進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

098 世界観⑥ 進撃の巨人


みなさんこんにちは。

 

 

今回はちゃんと進撃の話をしてます。

 

 


!!閲覧注意!!
この記事は 生命-I から始まる一連の記事の他、当ブログの過去の記事をご覧いただいていることを想定して書いています。最新話のみならず物語の結末までを含む全てに対する考察が含まれていますのでご注意ください。当然ネタバレも全開です。また、完全にメタ的な視点から書いてますので、進撃の世界にどっぷり入り込んでいる方は読まない方が良いかもしれません。閲覧に際してはこれらにご留意の上、くれぐれも自己責任にて読むか読まないかをご選択いただけますようお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。扉絵は29巻117話からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[進撃の巨人]

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前回までは「過去現在未来が同時に存在する」ことを軸に考えてまいりました。それはあくまで現実にも存在する時間というものを視点を変え、異なる捉え方をしてみたに過ぎません。とはいえその視点の変更によって「鶏か卵か」みたいな問題に折り合いをつけることができました。

またその副産物として「ジークが連れて行った→そのためレイス家を殺した→そのためジークが連れて行くことになった」といったように、過去と未来のことが同時に、まるで絡み合うかのように起こっているということになり、過去と未来が一体となってリアルを生み出しているかのような構図が見えてきたように思います。

 


そこでまた別の時間の捉え方の話をしたいと思います。今回のは少し観念的な話になるのですが、もしかしたらこちらの方が実際の感覚と近いかもしれません。


それは、時間というのは「過去も現在も未来も存在しない」といったものです。


まず過去というのは私たちの記憶の中にだけあるもので、実際には触れることも見ることもできません。そしてご存知の方も多いと思いますが、記憶というのは常に自身の都合によって改竄されています。過去の美化、偽りの記憶、思い違いなどと言った言葉はどなたも聞いたことがあるでしょう。実際、正確さという点において人間の記憶はたいした信頼性を保っていません。つまり私たちが過去にあったと思っていることが本当にあったことなのか、これは存外にあやしいものなのです。

未来も同様で、私たちの頭の中にだけ存在するものです。そしてそれは予測や願望と呼ばれる類のもので、実際にそうなるわけではありません。まぁ未来が無いことは説明するまでもないでしょう。


であれば私たちは現在だけを、今を生きてるんだーっみたいなことになると思いますが、じゃあその現在ってどこにあるんでしょう。

 

現在がどこにあるかなんて聞かれても「ほら、これこれっ。今見てるやつ」みたいになるしかありません。

でも現在とは今見ている景色だとしても、夜空を見上げるとなにかがひっかかります。私たちが現在だと思って見ている星々の光は、幾千あるいは幾万年前の光です。実際にはすでに爆発して無くなっている星でも、現在そこにあるかのように私たちは認識しています。スケールが違うだけで、目の前の光景も同じことです。私たちが見ている景色は、物体に光の粒子が当たってはね返ってきたものを目が捉え、その情報が脳に送られて創り出された映像を見せられているものです。ほんの一瞬ですがタイムラグがある上に、それは脳で都合よく解釈された映像です。そのため錯覚という現象が起きたりするわけですが、私たちが今見ている現在が本当の現在なのかも少しあやしくなってくるということです。まぁ星の光は置いといても目の前の一瞬くらいは同じじゃないかと言われればその通りなんですけどね。

じゃあその通りだとして、どれくらいの一瞬までは同じなのかそうでないのか、いやそもそも現在が一瞬ってどういうことなのでしょうか。

 

現在っていうのはたった今過ぎ去った1秒間のことではないですよね。もっと短い一瞬のはずです。

じゃあ0.1秒かっていえばそれも違って、もっと短い。0.00001秒でもなければ、0.000000000001秒でもない、もっともっと短い一瞬のはずです。どれだけ小さな数字を言おうが、それよりも短い一瞬としか言えません。一般的な数学では無いものとして扱われれるような”無限小”の長さということになります。長さが無いってなんだか意味が分かりませんね、どういうことなんでしょう?

そこで現在がある場所を考えてみたら意味が見えてきます。言うまでも無く現在があるのは過去と未来の間です。

間にあって長さがないもの、つまり現在とは隣り合った過去と未来の間そのものと考えられます。箱と箱をピッタリ並べた境目には何かがあるわけではないのと同じように、過去と未来の境目をそう呼んでいるだけであって現在というものが存在しているわけではないんです。だから実質的な長さが無いのだろうと思います。


すると過去も現在も未来もその存在があやしいとも言えるわけですが、それはともかく、現在が過去と未来の境目だというのはこういう捉え方ができると思います。

現在というのが形の無い狭間そのものであるとすれば、その狭間の形というのは両隣りのモノの形に依存します。つまり過去と未来がどのように合わさっているか、たとえばある部分で未来が出っ張っていれば現在もそのような形になるし、過去と未来がギザギザに噛み合わさっているなら現在はギザギザになるはずです。


これを少し飾った言い方をすれば、現在というのは過去の記憶や経験を元にした思考と、未来への希望などを元にした思考のせめぎ合いによって形作られている、といった感じではないでしょうか。

 

なんかちょっといい感じの言い方ですよね?笑 

 

まぁ自画自賛してるヤツはほっとくとして、わりと現実の感覚に近いような気はするんです。そしてここでもやっぱり過去と未来が一体となってリアルを作り出している感じが出てきたわけです。

 


そしてこのように時間を捉えてみた時、過去・現在・未来という時間の三要素が、あるものと奇妙な一致をしてきます。そのあるものとは、以前 072 三位一体 の記事で書いた心の三要素、超自我・自我・エスです。

 


雑なおさらいも兼ねて考えてみると、

まず、エスとは「~をしたい」という衝動や欲求のような部分というお話をしました。「~をしたい」というのはこれからどうしたいかということですから、未来志向です。

超自我は「~をしてはいけない」「~であるべきだ」といった自制をするような、ルールによって禁止する部分でした。そしてそれはエスに対抗するものだという話もしたと思います。前回の記事で書いたこととかぶるのですが、「~をしてはいけない」というのは過去の経験などから次はそれをしないということです。あまりこういう言い方はしませんが、過去志向といった感じになります。

そして自我はバランサーとして、エス超自我の双方の意見を汲みながら実際の行動をするものと説明しました。あと傍観者的とも書いたと思います。

つまり過去(超自我)と未来(エス)が押し合いへし合いして、その両者の考え方によって影響を受けながら現在(自我)が形成されるといった感じです。先ほどのイメージと重なってきたでしょうか。

そんなのこじつけだと思われるか、フラクタルという奇妙な一致がこの世界に溢れていることを考えて受け入れるかは、みなさまそれぞれにおまかせします。

 


さて、三位一体の記事ではイェーガー=狩人であることからエレンがエスの役割だろうと推測しました。そしてエレンはザ・進撃の巨人とでもいうくらい進撃の性向とぴったりはまってる印象がありますので、おそらく進撃も道におけるエスの役割ではないかと考えられます。そこに「進撃だけが未来の記憶を見られる」という性質が明らかになったことによって全てのピースが綺麗にはまったように思います。

繰り返しになりますが、「~をしたい」という欲求とはまさに未来のことです。そして当たり前ですが、生きていなければ未来になにかをすることはできません。逆に言えばなにかをしようと思うのは、生きようという気持ちがあるからとも言えます。それは「無気力」という言葉について考えていただければなんとなく腑に落ちるのではないかと思います。

そこで作中でこれに該当しそうな言葉を探してみたら、あったあったありました(26巻103話)

 

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生きる意志。

つまりエスとは、そして進撃とは、まさに「生きる意志」なのだろうと思うのです。ちなみにエレンの大好きな自由意思という言葉、英語では free will と書きますが、意思の will はどなたもご存知の通り未来のことを言う時に使う言葉です。意思とは未来、未来とは意思なのです。意志と意思の細かなニュアンスの違いについては、作中の表記に従っているだけなのでここでは無視させてください(キッパリ

 

生きる意志だということを念頭に置いてこの物語を読み返してみると、進撃が(というかエレンが)何をしてきたのかがはっきり見えてくる気がします。特に序盤は分かりやすく描かれているように感じます(2巻6話)

 

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-戦え!!
-戦うんだよ!!
-勝てなきゃ… 死ぬ…
-…勝てば 生きる…
-戦わなければ勝てない…

エレンは無気力になっていたミカサに、「生きることをあきらめるな、戦え、生きろ」と叫びました。ここではエレンの根本的な考え方として明言されている形ですが、これ以外でもエレンはずっと周りの人たちに言葉や行動で示すことで「生きろ!」もしくは「俺は生きる!」と生きる意志を振り撒き続けているようです(1巻1話)

 

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アルミンに対しても、勝ち負け無視でいじめっ子に戦いを挑む姿を見せていました。そしてアルミンはエレンに出会ったことで、それまでのいじめられっ子から、目を輝かせて夢を語る少年へと変わります。夢とは生きる糧です(1巻3話)

 

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-ウォール・マリアを奪還する前祝いに頂こうってわけか
-食ったからには腹括るしか無いもんな!!

トーマスたち104期もエレンの言葉を聞いて、調査兵になって肉のために生きるために戦う決意をしました。もちろんコニーやサシャ、そしてジャンにも影響を与えています。もしエレンが104期にいなければ、おそらく彼らは憲兵になって初期のヒッチのようにぬくぬくと暮らしていったはずです。ミカサやアルミンは訓練兵にすらなっていないかもしれません。ここでも彼らは巻き込まれてるわけですね。

 

さらにエレンは人々の希望となり、ピクシスやイアンを始めとする駐屯兵団も戦って生きようという方向へ導きました。さらにエルヴィンには地下室という夢を与えました。ハンジや兵長は後にこんなことを言っています(9巻37話、28巻112話)

 

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-状況はどん底なのに…
-それでも希望はあるもんなんだね…
-えぇ…ただしすべては
-エレンが穴を塞げるかどうかに懸かっているんですが…

 

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-エレンの命を何度も救った…
-その度に 何人も仲間が死んだ…
-それが… 人類が生き残る希望だと信じて…

 

人々に希望を、すなわち生きる意志を与え続けているのです。

 


さて、エスとはどんなものなのかをもう少し作中から見ていきましょう(23巻94話)

 

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-はぁ…
-何か起きねぇかなぁ…

私たちの日常でもよくありますよね、不満が無いのが不満とでもいいますか。何も無いという状態が我慢できない、それはつまり変化を求めているわけです。エレンはかつてこんなことに大いに感心しています(5巻21話)

 

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-変革を求める人間の集団…それこそが
-調査兵団なんだ

目の付け所がちょっと違う感じもします。「変化」ということに対して良い印象を持っていることもなんとなく伝わってきます。

 

進化の観点で言えば、変化というのは多様性をもたらすものです。私たちはみな同じホモサピエンスというひとつの種ですが、外見だけでも肌の色や瞳の色、髪の毛の色、毛深さや体格の良さ、顔を中心としたルックスなどなど、それぞれが異なる形に変化してきました。もちろん体内の免疫機能なども含めあらゆるものが他と異なるように変化してきたわけです。それゆえ大規模な環境の変化などがあったとしても、生き残る個体がでてくる可能性が高まります。コロナウイルスにはまだ決定打は出ていませんが、なんかの病気が蔓延した時にみんなが同じ免疫しか持ってないとそれこそ全滅を免れ得ません。これが淘汰であり、また進化そのものでもあります。

 

そして多様性というのは他と違うことであり、言葉を換えて言えば「個」です。

 

私が今まで壊れたなんちゃらのように個だ全体だと言っていたことがここに繋がってきます。進化というのは別に生物の種としての話だけではなくて、普段から身の回りにも同じようなことが起こっています。

たとえば私たちが「~をしたい」と思って既存の何かを始めたとすれば、やがて習熟していくうちに自分なりのやり方を試したりすることでしょう。すると中には斬新であったり効率が良かったりする方法があって、それが既存のものにも変化を与えていきます。文化でもそうですし、スポーツの記録や技術もそうです。あるいは学術的な理論でさえ同じことです。そうやって今までとは違うなにかが積み重ねられて、進歩、発達、あるいは進化と呼ばれるものが成されていくわけです。その自分なりのやり方というのはまさに「個」ですよね。

かつてエレンはそんなようなことも言ってます(1巻3話)

 

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-負けは したが得た情報は確実に次の希望に繋がる
-お前は戦術の発達を放棄してまで
-大人しく巨人の飯になりたいのか?
-……冗談だろ?

 

やはり目の付け所が(以下略

 

というわけでエスというのは変化によって多様性をもたらすものであり、「個」だということです。そしてそのエスとは狩人でイェーガーであり、また進撃だということになるかと思います。

 


そうなってくるともちろんエスに対抗する超自我が多様性を阻むものであり、「全体」であり、そして兵士=アルミンであるということになってきます。知性巨人に関しては全体を統べるという意味では始祖もおそらくそれに当たりそうな感じがありますが、敵を倒すことに特化した兵士という意味では、やはり超大型がより当てはまるのだろうと思います。

多様性を阻むなんて言い方をするとネガティブな印象になってしまうかもしれませんが、超自我も心の要素として、さらには進化の要として、エスと遜色ないほど重要なものです。


前回お話したような過去の記憶や経験に基づいて「~をしてはいけない」「~するべきだ」と考えるのが超自我の役割です。それって要するにルールを設定しているのと同じことですよね。

そこでルールの一例として法律があります。そこでこの世界に法律というものが存在しなかった場合を想像してみてください。おそらく誰もかれもが好き放題に行動してめちゃくちゃになるのが容易に想像できるはずです。”時はまさに世紀末”の世界が実際にやってきそうです。超自我というのは人が集団で生きていくにあたって欠かせない要素なんですね。

進化の観点から言っても、もし上記のように誰もが自分を律することなくまとまらなければ、それこそ70億人全員参加のバトルロワイアルが始まることになってしまい、まさに最後の一人になるまで誰もが自分を通そうとして相手を叩き、全滅することになるでしょう。

あるいは先述した例にならって大規模な環境の変化や深刻な伝染病などに見舞われたとして、仮に「個」が生き残ったとしても、たった1人とかだったら他の要因で結局滅びてしまうわけです。だからある程度同じような性質を持った個体群が必要なんですね。だから超自我というのは、多様性を阻むというか、同じであろうとする性質であるということです。同じ夢を持っているはずで、僕達と同じ考えを持っているはずで、分かり合いたい、みたいなことがあったような無かったような気もしますがそれはともかく、同じであるためにはひとつのルールに従ってみんなが同じようにあることが必要になってきます。だから「こうあるべきだ」と。


こうやって進化を念頭に置いて考えれば言うまでもないと思いますが、それはどちらが良いとか悪いということではなくどちらも必要な要素であって、大事なのはバランスなんです。

ただ以前からうちの記事を読んでいただいている方はお分かりの通り、私はどちらかといえば個に寄った書き方をしています。それはこの作品が進撃の巨人と題している通り、個をより重点的に描いているというのもありますが、以前にも書いたようにやはり全体は強いのです。

もちろん1より10の方が強いから全体であろうとする力が働くわけですし、それはそれぞれの個にとっても恩恵があることです。でも全体が強くなればなるほど、個は殺されるんです。

 

仕事でもスポーツでもなんでもいいのですが、全体で何かをしようという時に、それぞれの個がそれぞれのやりたいようにやっていたら物事は進みません。みんなが同じ目的に向かって一丸となって、その目的だけを考えて一心に行動するのが一番効率が良いわけです。それを極端に言えば、全体の中の個は一切の不平不満を言わずにただ黙々と役割をこなしてくれるのが一番良いんです。それを取りまとめる管理者の視点から見れば、変に得手不得手なんかがあるよりも、誰もが平均的に同じようなパフォーマンスをしてくれた方が管理しやすかったりするんです。だから人間の仕事がAIに取って代わられるだろうと言われてたりするのですが、それってつまり個性は要らないってことなんです。オリジナルで斬新だけど不安定なものよりも、平凡でも安定したものが良いというのが全体の考え方です。だからルールからはみ出すものは基本的には評価されない、あるいは罰せられます。

 

このことはもちろんこの「社会」と呼ばれるものにおいてもそうです。だから社会は私たちの個を顧みようとはしません。

これが知性を持たないアリの話だったらなんの問題も起こりません。一匹のアリは、たとえ自分の子孫を残すことが許されてなくても、一生同じことをするだけの毎日だったとしても、一切の文句を言わずに巣というアリ社会のために働き続け、その生涯を閉じます。

でも私たちはどうしたって個であり、個であるという感覚を持っています。だからこそ私たちは個を認めて欲しいし、個を貫くことに憧憬を感じるのかもしれません。そして個を顧みられないことに対して怒りを覚え、個を殺されていることに対して嘆くのだと思います(12巻48話)

 

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-頼む…誰か… お願いだ…
-誰か僕らを見つけてくれ…

これは全体の中で殺される個の沈痛な叫びではないかと思います。僕らは兵士という名のコマじゃないんだ、僕らはそれぞれ名前も感情も持ったひとりの人間なんだ、といった感じ。超大型は兵士ですからね。

 


とまぁちょっと重たい感じになってきたので、どエスの進撃くんに話を戻します。上記のことはもとより、多様性とは他と同じであることへの反発でもありますから、それぞれがそれぞれのあるがまま、好きなようにあるべきだということだとすれば、「自由を求める」という性向にも繋がってくると思います。

 

そこで実際にエレンがどういった感じで自由を求めているのかを作中で見ていくと(18巻73話)

 

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 思い返せばエレンは自分がどうこうというより、他人が不自由なのを見ることをものすごく嫌がっているんです。自分は壁の中にいてもなんとも思っていなかったのに、アルミンが夢を語った時、すなわち夢という叶うかどうか分からないものの叶わない方の原因に壁があって外に巨人がいることだと知った時に、言い知れぬ怒りと共に壁の外へ出たいという気持ちが芽生えてるわけです。母の件であれ、シガンシナが陥落した時であれ、誰かの自由が奪われる様を”目の当りにすること”に耐えようのない反発心を覚えているようです。それをまさに本人が端的に言っています(28巻112話)

 

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-オレがこの世で一番嫌いなものがわかるか?
-不自由な奴だよ
-もしくは家畜だ
-そいつを見ただけでムカムカしてしょうがなかった

そんなエレン、というかエスから見れば、全体の中で個を殺されながら黙々と生きているような人は不自由であり家畜のように見えることでしょう。特にマーレ編以降のライナーとのやり取りからは「お前そんなあれこれに圧し潰されてないで生きろよ!」みたいな感じを受けます(25巻100話)

 

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ライナーの立場に共感を示しながら立ち上がるよう促し巨人化へと続きます。クルーガーがグリシャに言ったように「立て」「戦え」って言ってるんじゃないかと思います(26巻104話)

 

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ここはどうもガビたちの声に応えてライナーが出てくるのを待った感じがあります。間にある太めの枠線が意味深です。「今は殺せやしないだろう」というのも、生きる意志が無いと修復されないということでしたから、ライナーが巨人化してきたということは生きる意志が少なくとも戻った、そして生きる意志がある相手は殺せないとも受け取れます(26巻104話)

 

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-ライナー
-またな

これはもちろん「生きて」また会おうということでしょうし、それまで「生きろよ」って感じがあります(25巻100話)

 

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そう考えるとこれも「ほらほら!ファルコを守れよ!」ってやってる感じに思えてきます。ファルコをわざわざあの場に引き留めた上で巨人化しようとしたことに理由ができます。

そしてシガンシナでイェレナの制止を無視してライナーと殴り合いに行ったのもその続きでしかない気がします。あの時はジークが現れる前でしたから、あの行動になにか目的があったとは今をもって考え難いです。だとすればライナーと殴り合って「生きろ!俺は生きる!」って言いたかっただけじゃないかと。顎の方を一度も振り返らなかったことを考えても、おそらく目的はライナーと殴り合うことだと思います(29巻117話)

 

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「あがいてでも生きるんだよ!」って言ってるようにしか思えません。


もはや単なる「ただ生きろって言う人」です。目的とかなんとかいう前に、不自由な人を見ると「生きろ!」って言いたくなってしまう人。始祖ユミルに対してもそうでした。もともとエレンはジークを騙して地鳴らしなりなんなりの目的は持っていたはずですが、始祖ユミルに選択を委ねてしまいます(30巻122話)

 

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-お前は奴隷じゃない
-神でもない
-ただの人だ
-誰にも従わなくていい
-お前が決めていい

 

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-決めるのはお前だ
-お前が選べ
-永久にここにいるのか
-終わらせるかだ

自分も含めて誰かの言うことに縛られるのではなく自由に選べと。でもこれ、もしも始祖ユミルが現状維持を選んだらアウトでしたよね。それまでの目的やら座標にたどり着くためにやってきたことが全部台無しです。でもそれよりもなによりも、不自由であることを解消する方を優先させているわけです。

 


そもそもエスというのは欲求や衝動です。自分に置き換えてみれば分かりますが、私の生きる意志は私になにかを語り掛けてくるわけではありません。ただ生きようとすることそのものです。

ですから進撃というのは別になにか宿命を背負って生まれてきたとかではなく、まさに始祖ユミルの、ユミルの民の生きる意志そのものなのだろうと思います。そして「この世に生まれたから」には生きようとする、ただそれだけなのだろうと。

 

 

そしておそらく、この「進撃の巨人」という作品は、タイトルをそのまま「生きる意志」に読み替えても成立するはずです。たぶん。

 

 


とまぁそんなこんなを考えていたら、あることと結びつきそうなことに気付きました。

 

次回に続きます。

 

 

 


本日もご覧いただきありがとうございました。


written: 27th Mar 2020
updated: none