進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

往生際の悪い思考実験


みなさんこんにちは。

 

 


自分でもいい加減にしろって思うんですが、自分の中で全てが綺麗に繋がってしまったので最後にもう一本だけ書きました。往生際が悪くてすみません。これを書かないと作者に負けたままな気がしてしまったので仕方が無かったんだ。誰かが一矢報いねばと思った。

ごめんね、ミカサ。

 

これは人によっては進撃に抱いていた印象が壊れる可能性もあると思うので読むも読まないも自己責任でお願いします。それと単行本派、アニメ派の方は今はまだ絶対にこの記事を読んではいけない、勝手ながらこれは命令です。

 

 

 

 

 

 


この記事は当ブログの過去の記事をご覧いただいていることを想定して書いています。最新話のみならず物語の結末までを含む全てに対する考察が含まれていますのでご注意ください。当然ネタバレも全開です。また、完全にメタ的な視点から書いてますので、進撃の世界にどっぷり入り込んでいる方は読まない方が良いかもしれません。閲覧に際してはこれらにご留意の上、くれぐれも自己責任にて読むか読まないかをご選択いただけますようお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。また扉絵は30巻122話より引用しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


[往生際の悪い思考実験]

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最終話でエレンはこんなことを言っていました(34巻最終話)

 

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-始祖ユミルは…
-カール・フリッツを愛していた

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-でも…彼女が自由を求めて苦しんでいたのは確かだ
(中略)
-愛の苦しみから解放してくれる誰かを求め続け…

 

始祖ユミル(以下、ユミルと表記)は、フリッツ王を愛していて、でも愛に苦しんでいた。それはつまり心の中に引っ掛かる部分と言いますか、疑念のようなものを持っていたということになると思います。

私は彼を愛している。いやでも彼は私の力しか見ていないのではないか、これは愛なのか? いやいや私は彼と結ばれ子供だって設けたではないか。でも彼は他の女ばかりを愛でてる。でも私は彼のためなら何でもやる、できる、彼のためなら自分の命さえ惜しくない、これが愛でなくて何なのだ。いやしかし彼は私の命さえ・・

テキトーですみませんが、要はこんな感じの葛藤が延々と繰り返されていたのだろうと思います。

 

さて、エレンを愛していると思っていたミカサが、その自分の想いは彼が悪魔だという事実(=残酷な世界・現実)から目を逸らすために思い込んでいた部分があったことに気付き、彼が悪魔だということを受け入れ殺しました。それは同時に、彼女が自由な意志によって、言い換えれば既存の愛という概念、すなわち自分が思い込んでた既成概念に囚われない客観的な判断によって未来のために彼を殺したということでもあると思います。また、それでも自身の自由な意志の下でもやはりエレンへの想いがあり、だからこそ彼を殺してあげることが愛であるということでもあるでしょう。

それに自分を重ねたユミルは、今まで自分が囚われていた愛という概念を捨て、それを断ち切るという感じで呪いが解けたのだと思います。

このあたりは今までも書いてきたことですし、読者間でもさんざん考察がなされてきてますよね。人それぞれ細かいニュアンスの違いはあるかもしれませんが、だいたいこんな感じに落ち着くだろうと思います。


でもなぜ、それがミカサだったのか


という疑問をどなたもお持ちになったんじゃないかと思います。普通に考えればミカサの置かれた立場や状況が一番ユミルに合致したからだということが考えられます。そして二千年間のたくさんのユミルの民の中で、その合致する人が現れることをユミルは待っていた、といった感じでしょうか。

でもなんかスッキリしないのはなぜでしょうか。少し ”ご都合” のような臭いがするせいでしょうか。二千年の数えきれない人々の中で他には一人として合致せずにミカサなのかぁと。

なんとなくですが、それも含めてユミルが ”ミカサの” 選択を待っていたと言及されている点に引っ掛かりを覚える感覚がありました。


そこでちょっと考えてみたんです。エレンは神の視点を持っていました。それでも自分が死んだ後のことは見えないと彼は言っていました。だから結果は分からないのだけど、それでもユミルがミカサの選択を必要としていることはあらかじめ分かっていたと言いました。

じゃあユミルはどうなのでしょうか。ユミルはエレンに神の力を与えた上位存在とも言えます。彼女には先が見えていたのでしょうか。

いや、答えが見えてるなら待つ必要はないか・・

じゃあなぜミカサだったのかという疑問が余計に強くなるばかりです。さっきよりももっとご都合臭がプンプン匂ってくる感じさえしました。

 

 

 

 


・・などと考えていたら全く違うところから繋がってしまいました。というわけで、その答えになりそうな話をこれからしていきますが、主に確認作業の方が長くなってしまいそうで隠したまま上手く説明する文章力が私にはありません。ですので先に結論をぶん投げた上で説明する形にしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

では、結論からまいります。

 

 

 

 

 

 

ミカサ、というかアッカーマンの一族というのは、おそらく始祖ユミルが自分のコピーとして作り出した存在であり、彼らの行動を通じて答えを探っていたということだろうと思います。言葉を選ばずに言えば、彼らは実験用のラットみたいなもので、それをケージの外からどう行動するか観察していた感じになると思います。そしてこれこそが「進撃の巨人」という物語の一番深いところにある下敷きになっている骨格であると考えます。違いますか?諌山先生。

 

だからミカサだった。

 


ではまず「自分のコピーである実験体」という部分から説明を始めたいと思います。

 

アッカーマンの特徴については今さら詳しく説明する必要はありませんよね。まずは巨人と同等の力を自在に引き出せるところがありました。前回の記事で巨人の力を「神(または悪魔)の力」としましたが、アッカーマンはまさに人間を超えた神のような力で戦線を引っ張ってきました。それは始祖ユミルも同じでした。まぁこれは当たり前と言えば当たり前のことです。知性巨人もそうであると言えるし、拡大解釈すれば全てのユミルの民がそうであると言えなくもない。ただし一般のユミルの民は自在には力を振るえないという点では異なります。


ところでアッカーマンがその神の力を振るうためには覚醒することが必要でした。そしてその覚醒は、命の危険を感じた時、すなわち「生きたい」とか「死にたくない」といった強い感情によるものだと説明されていました(30巻122話)

 

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ユミルが「神の力」を手に入れたのも同じような「生きたい」「死にたくない」という流れからでした。知性巨人も「生きる意志」がトリガーになっているという点では同じなのですが、覚醒に「脊髄液の摂取が必要」という点では異なります。実はこの時点でアッカーマン以外は振り落とされてると思いますが、まぁそれはともかく。


次に、私は以前からこの世界はユミルの心の世界、もしくは少なくともユミルの心が投影されていると考えてきました。そしてエレンがユミルの葛藤について明言したので、ならばユミルは「その答えが知りたくて仕方がないのだろう」と考えました。冒頭に書いた流れです。

そんなわけでユミルが「これは愛だ。いや、でも・・」という葛藤の答えを見つけ出したいと仮定してみたら、なぜか全てがアッカーマンの特徴と一致してしまったんです。

 

ユミルはフリッツ王を守るために自らの命を投げ出すようなことをしました。きっとユミルは自分は愛ゆえに彼を守ろうとしているのだと思っていた、あるいは思いたかったはずです。でも彼の言動は自分の思っていたものとは違いました。とうぜん疑念が湧くわけです。何かが間違っていたのか、いやでもこれは愛のはずだろうって。

その答えを知るためには、やはり自分と同じように「誰かを命をかけてでも守ろうと」してもらわないと意味が無いはずです。そしてこれがアッカーマンの特徴として描かれてきたことは言うまでもないですよね。


さらにアッカーマンにはもう一つ特徴がありました。他のユミルの民と違って始祖に操られません。

これも同様に、答えが欲しいユミルにしてみれば、王に操られてしまったら意味が無いと考えられます。彼らが自身の意志でどう行動するか何を選ぶかが肝心なわけです。だから ”アッカーマンだけ” は王に操られない設定にしたと捉えられます。


前述したものも含めてアッカーマンの特徴の全てが、ユミルの葛藤の答えを見つけ出すのに都合の良い、ユミルの状況をそのまま複写したような感じになっているんです。

 


聖書にお詳しい方は既にピンときた方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

「神は自分に似せて人を作り、そして自由を与えた」その上で神は戒律や道徳を与え、人々の行動を律した。

創世記の記述と完全に重ねられているのがお分かりになるかと思います。

 


というわけで、数多くのユミルの民の中でミカサの状況が偶然一致したというよりも、そもそもアッカーマン自体がユミルの状況に似せて作られていることが少しだけ見えてきたんじゃないかと思います。

 


ではここからは完全に確認作業になります。まぁユミルになったつもりとかで、ケージの中のラットを見ているイメージでもしながらお読みくださいませ。

 


私たちが知り得るアッカーマンの歴史は巨人大戦からになると思います。それ以前についてはケニーの祖父の言葉によれば王家に仕える武家だったとのことですが、それ以上の詳細はわかりません。

巨人大戦で起こったことの一つに、壁の王に対してアッカーマンとアズマビトが反発したというのがありました。民衆を壁の中に閉じ込め、「束の間の平和」という綺麗事で飾られた約束された死を、記憶を操作することによって無理矢理それに従わせるようなことをしたから彼らは反発したようです(17巻69話、30巻121話、16巻66話)

 

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-初代王は なぜ人類の存続を望まない!?
-…知らねぇよ
-だが… 俺らアッカーマンが…対立した理由はそれだ…

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-我々がただ何も知らずに 世界の怒りを受け入れれば
-死ぬのは我々エルディア人だけで済むのです

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-柵の外に出るなって 言ったでしょ!!

 

要するに、家畜化してるわけです。つまり、アッカーマンは豚を檻に入れるべきではないと、豚を逃がすべきだと王に反発したんです。

 

豚を逃がしたユミルは「お前は自由だ」と放逐され、命を弄ばれる存在になりました。以前の記事で書きましたが、彼女は社会を離れて「自由」の身になったがゆえに社会の恩恵を受けられなくなり、社会からいつ命を狙われてもおかしくない存在となったんです。

アッカーマンは壁の王に反発したことによって粛清され、以降は迫害されていきます。社会は彼らを守ってくれなくなり生存を脅かす存在となったわけです。ちゃんと同じ道を辿っていることがお分かりいただけるかと思います。

 


さて、ケニーの時代に移り、彼はその神の力を用いて王に反撃しようとしました。でもその力を見たウーリは、彼を自らの右腕として側におきました。

フリッツ王がユミルの力を見て側に置いたのと同じように。

 


やがてケニーはリヴァイに夢を託しました。次はリヴァイの番です。

最近の記事でエレンとエルヴィンが重なっている点を書いてきましたが、最後もまさにそんな感じでしたよね。リヴァイが「夢を諦めて死んでくれ」とエルヴィンに言ったのと同様に、ミカサもエレンに死んでもらうことで「夢を諦めてもらうこと」を選んだ感じになっています。

ただし少し違いがあります。白夜に関する記事で書きましたが、エルヴィンはリヴァイに自身の本音を漏らしており、リヴァイは選んだというよりその背中を押した感じがあると思います。エレンとミカサの場合も背中を押した感じであるのは同様なのですが、それはあくまでミカサ本人がエレンの意志に気付いて背中を押したのであって、エレンは言っていません。エレンが言動で示していたことは、言わば「オレは地下室に行くぞ」ということになるはずです。

余談ですがこれも以前の記事で、当時のエルヴィンとアルミンの違いとして誰かにその意図を話したかどうかという話をしました。アルミンは話さなかった方なのですが、その背中を見ていたのがエレンだという流れもあると思います。

それはさておき、エルヴィンとリヴァイはかなり惜しいところまでいった感じだろうと思います。でも本音を漏らしてしまったことによって「リヴァイが自分の意志で選択をした」とは確信が持てなくなってしまった。これではユミルにとって答えとしては不十分だったのだと思います。あるいは心の中の悪魔は自分が死ぬべきだなんて言わないから、とも言えるかもしれません。

エルヴィンは人間が出来過ぎていたのかもしれませんね。あるいはエレンと比して言うならば、悪魔になりきれなかったとも言えるでしょうか。

 

 

というわけで今度はリヴァイが夢を託した次世代になります。作中では主にエレンとアルミンだけ直接の描写がありましたが、次世代という意味ではミカサも含まれているでしょうし、アッカーマンの流れとしては当然ミカサ以外にいません。

 

そして最後に完全に自由な意志のもとで選択を行ったのが、ミカサだということになると思います。


こんな感じでアッカーマンの性質、そして一族の歴史そのものが122話で描かれたユミルの生涯をなぞっている感じになっているんです。そしてユミルは自身に見えなかった答えを出してくれるミカサを二千年間待っていたと考えられます。

彼女の持つ力を使えば、同じような状況自体を作り出すことはおそらく容易いのではないかと思います。でもそれではたぶん納得できなかったんじゃないでしょうか。それでは本当に「自由な」意志であるかに確信が持てないから。だから二千年もの間、自分に似た初期設定だけ与える形で待っていたんじゃないかと思います。あるいは、未来が見えなくなる、つまり何らかの形で呪縛が解けるのが二千年後のミカサの選択だったので、その答えを待つ他なかったということかもしれません。

 

まさに納得のいく答えが見つかるまで実験してる感じですよね。

 

でもこれ、みなさんも身に覚えがあるはずです。

「こうしたらどうなるだろう」「それともこっちならどうかな」私たちが頭の中で考えたり、シミュレーションをする感じと全く同じです。そうやって設定を作り、神の視点から眺めながら、また条件をいじってみたりして。それを私達は「考える」とか「葛藤する」といった言葉で表現します。

 


で、もしこういうことだとすると少しニュアンスが変わってくる点が出てきます。

 

エレンが幼馴染会談でミカサに言っていたこと、あれが本当のことになるはずです。カッとなって言い過ぎてる部分はあるでしょうが、言ってることは本当だったと。むしろ嘘だったのは「ジークは(中略)知っている」という部分。いやこれも言葉としては間違ってないのですが、エレンはジークよりもさらに知っていたということになるでしょう。最終回で言っている「授与式で見た」ということとも矛盾しないはずです(34巻最終話)

 

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-それは僕じゃなくてミカサに言うべきだよ
-あんなでたらめ言って傷つけて…

-あぁ… そうだよな

ここでのエレンの返しは謝ることにかかっているようにも読めますし、それ以前にアルミンに言ったことやミカサに言ったことがでたらめだとはエレンは明言してないですよね。アルミンがそう推測してるだけで。

 


さて、そうなってくると全てはユミルの掌の上みたいな感じがしてしまうかもしれません。実際それは否定しきれないところもあるのですが、それはそれとして、やっぱりエレンもミカサも彼ら自身の意志によって未来を掴み取ったところも否定できないんじゃないかと思います。

特に前述したアッカーマンの性質がいい例だと思います。これはまさに宗教論争みたいなのとも重なってくる話なのですが「神は自由を与えたけど戒律によって律する」って、結局縛られてるじゃんって思いませんか? 私はめっちゃ思います。

アッカーマンには自由な意志を与えたけど、王を守るような性質を与えた。

でも前段で書いた通りエレンがその神による縛りであるアッカーマンの性質を指摘しています。そして最後の選択においてミカサはそのアッカーマンの性質を打破したと言えるわけです。

 

だからあれが本当に「自由な」選択だということなのでしょう。

 

知らないということほど自由からかけ離れたものはない。

 

自分を縛り付けているものを知らない、それに気付かないことこそが、一番不自由だということだと思います。

 

身近な例で言えば、彼氏彼女が「ん?」と思うようなことをした。でも彼/彼女はそんな人じゃないからと目を背ける。それは私のことを想ってくれているからだと都合よく解釈を付ける。そんな性質が人間という生物にはあります。そして後になって「そんなはずではなかった」「そんな人には見えなかった」とこぼす。「そういえばあの時」と、やっと気付くも後の祭り。

もしその性質を知っていたならもっと早くに気付けたかもしれません、おかしいことはおかしいのだと。アッカーマンの性質のような神に与えられた性質によって私たちは縛られているのかもしれません。そんな不自由な存在である私たちが自由であるには、その性質を知り目を背けずに直視することだ、ミカサの選択やユミルの葛藤とはまさにそういうことですよね。

 

あなたは「愛」や「正義」に囚われてはいませんか?(←煽るな)

 

ちなみに、幼馴染会談にてエレンがミカサに言ったことが「本当のことであり、自分の性質を知るきっかけを作った」とするなら、あれはミカサにしてみれば「生き方を教えてくれた」ということになるはずです。

 

 


ところで、最終回においてエレンは「仕方なかった」みたいなことを言ってましたが、これは今まで描かれてきたような背中を押された「仕方なかった」とは少しニュアンスが異なると思っています。いや、結局のところは同じかもしれませんが、むしろ今までのも含めこういうことだろうと。

 

これは「視点」みたいな話だろうと思うんです。

エレンは神の視点を手に入れてしまったために、見えているものが全く違ったんだと思います。前回もチラッと書きましたが、彼のしたことは世界を踏み潰すとか仲間を守るとかいうよりも、負の連鎖を止めるために世界を盤上ごと引っくり返したと捉えることができます。パラディからは巨人の力を奪い、世界からは数の暴力を奪っていったん白紙に戻す、それが神の視点から見た時に考え得る最善の選択だったみたいな感じです。見えてしまっているがために、それを自らの意志で選ぶしかなかったってことだと思うんです。

もちろんそれは大事な仲間のためにもなっている面もあるけれども、決して彼らだけを有利にするものでもなかったということです(34巻最終話)

 

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-本当に… ここまでする必要あったの?
-全部… 僕達のためにやったの?

だからエレンはこのアルミンの問い掛けに返答してないのだと思います。先ほどのミカサへの暴言に関する返答もそうですが、そういうことじゃないといった感じ、もはやそういうところにいない。

ものすごくお粗末な例えではありますが、このエレンとアルミンの会話って、もともと同期だった大会社の社長と平社員が話しているようなものだろうと思います。アルミンが異常なほど賢いために会話が成り立っているけれども、やっぱり見えてるものはだいぶ違う。エレンはもはや数人の大事な仲間を助けるために何かをすることはできなかったのだろうと思います。だってそのために最も大事な母でさえ手にかけているわけですから。別に彼は母と仲間を天秤にかけたわけではないでしょう。

たとえば子供が甘いものをたくさん食べたがる。子供を愛しているので望み通りにしてあげたいけど、その子のためを思えばこそ制限をする。親と子の視点の違い。それを子に説明したとしても子はなかなか理解できないかもしれません。

社員はもっと休みや給料が欲しい、人を無駄に増やして楽したいと思う。ものすごく社員思いの社長さんがいたとしても、社員を愛すればこそそれをできないわけです。それをすれば会社が傾き結果として社員に災いが降りかかることが見えているから。社長と社員の視点の違い。まぁこれは話せば理解できる場合もあるけど、そうでない場合もあるでしょう。

神と普通の人間との視点の違い、それは如何ほどかけ離れたものなんでしょうか。想像もできませんが、よほどの苦悩があったんじゃないかということは想像できます(34巻最終話)

 

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「エレンは自分たちのためにやってくれた」と遠足気分の英雄たちと、それを出迎えるヒストリアの厳しい表情の対比が描かれていること、ここも視点の違いを感じさせます。

これは単なる妄想でしかありませんが、ヒストリアは仲間として、また賓客として彼らを迎え、とうぜん危険にさらすこともないでしょう。でも、こと交渉にあたってはかつて一方的な攻撃を受けた側として、また相争った間柄として毅然として接するだろうと思います。アルミンはジークやエレンとの会話によって一気に成長した感がありますので分かりませんが、ジャンやコニー、ライナーあたりは面食らいそうな雰囲気さえ感じさせます。

結局それがどうなっていくか、どうしていくかは彼らが今後必死で考え行動していくことによってのみ決まっていくことでしかないと思います。エレンがしたことというのは、それを阻みかねない過去から絡みつくものを断ち切って地盤を整えたに過ぎないと思います。それが一番困難だったというだけで。先ほども書いた通りアルミンが成長していると思いますのでそれほど悲観的なわけではありませんが、彼らが世界を生き抜いていけるかどうかは今後の彼らの戦い方にかかっている、委ねられている。まさに「これから」なわけですね。

 

そしてそれが「自由」なのだと。

 

ここでいう自由というのは、ぼんやりと美しい与えられた自由ではなく、自分の行動如何によってはいつだって死んだり殺されたりする可能性すらひしめく、本当の「自由」なのだと思います。

 

その「自由」を全ての人類に与えた、ということなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

-余談(ほんとに余談)-


さて、記事で書いた通りだとするとミカサが主役を食ってしまってる感じもあるんですが、まぁそれも間違いではないと思うのですが、じゃあエレンはユミルにとってなんだったんだって話をしたいと思います。

まず彼がユミルの心の三要素の一つであるというのは変わりません。もともとユミルが豚を逃がそうとしたことが、自由という概念に囚われていたところがあったためそこに不満を見出したことや、また「お前は自由だ」という言葉に端を発していること、そしてなにより悪魔であり神である力を持っているのはユミル自身ですから、悪魔であるエレンもやはりユミルの一部分であると考えるべきだと思います。

 

ただし、自身の想いへの答えを見出そうとする一点においては、自分とフリッツ王の関係をミカサとエレンの関係に重ねていることから、エレンはフリッツ王の役としてもユミルに見られていると捉えられます。

そしてミカサが見せた答えは、彼を想うが故に断ち切るといった感じでした。愛に関する既成概念の破壊と新しい概念の構築であるとも思いますが、それを見たユミルは言いなりになることが愛ではないといった感じで、やはり既成概念を破壊することで呪いを断ち切ったと考えられます。

 

そのミカサはそれでもエレンを愛しているという姿が描かれました。

それはすなわち、ユミルはそれでもフリッツ王を愛している、と考えるのが自然ではないかとも思います。

 

ではそう仮定したとして、

前回書いたように、あたかもユミルが今のこの世界に転生してきたと匂わせるような表現がありました。誰かに縛られずにありのまま生きていいんだ、生まれていいんだとユミルが思えたという風に受け止められるのではないかと思います。また、自身とフリッツ王の直系であるヒストリアのもとへ来たということは、「それでもフリッツ王を愛している」という感じをも覗わせるように思います。過去の目を逸らしていた自分にただ反発するのではなく受け入れている、これはミカサの選択とも重なりますし、前回ヒストリアまわりで書いたこととも重なると思います。

 

じゃあフリッツ王の役をしてた人はどうなるのでしょう?

「それでも彼を愛している」はずではないでしょうか。

 


ちなみに、前述したアッカーマンの話の流れで言うと役者がちゃんと役をこなしてなかったらユミルは納得しない感じでしたよね(34巻最終話)

 

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ミカサはアニやヒストリア、ハンジから兵長までいろんな人に嫉妬してきちんと役をこなしていました。エレンも役をこなしていないとユミルは納得しないのではないでしょうか。というかユミルが「愛していた」ことを描写するのにこんな場面である必要は別にないんですよね、本来は。

 

あとこれは邪推でしかないかもしれませんが、今回さりげなくアルミンにこんなことを言わせてます(34巻最終話)

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-少なくともミカサはこんな女泣かせのことは忘れて幸せになるべきだね!!

 

というわけで「エレンがフリッツ王の役であること」、これを根拠6としたいと思います。

 


あと前回は主にヒストリアの成長まわりの話が書きたかったので、くどくなるため端折ったのですが、最後に書いたユミルが転生したかのような部分は、それこそまさに「処女懐胎」である可能性を示唆するかのようであるとも思います。

でもやっぱり、それが「処女懐胎」であるなら、エレンを匂わす数々の描写なんてサスペンダー君を描かなかったのと同じように、描かなければいい話です。

で、エレンがそうであることを否定する根拠というのが「鼻がエレンに似てないから(見たことないはずの)サスペンダー君の鼻を受け継いでいるんだろう」という一点に集中しているように感じるので貼りますが(34巻最終話、18巻71話)

 

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別にこれを「だからエレンだ」って言うつもりはありません。そこまで酷似してるとは思いませんし、もはや個人の感覚で異なるレベルの話かもしれません。でもこれを含め幼少期のヒストリアなんかを確認してもらえれば分かると思うんですが、ああいう鼻の描き方、「子供」を書く時にわりとよくやってると思うんです。ライナーだって幼い頃は今みたいな角張った立派な鼻には描かれてなかったりします。どちらかと言えば「子供」の表現でしかないんじゃないかと。

で、これを見た上で「鼻がエレンとは違うから(見たことないけど)サスペンダー君の血だ」って主張できる人はいないんじゃないかと思うんですけど、

 

要はそこだと思うんです。

 

全く確証の無い、事実無根のことでも、人は思い込みで信じてしまったりするし、それが正しいこと・間違いないことだと感じてしまう、それを信じ切って主張してしまう、進撃ってそれをずっと描いてきたと思っています。

 

実のところ私はどちらが父親でもいいんですけど、(34巻最終話)

 

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たった数ページ前とか場合によってはそのすぐ真下に「違う」とは言い切れないような鼻が描かれていることさえ見えなくなってしまう、それが進撃が言っていることだと思うし、それを伝えたいだけです。

 


で、記事中でも書いたようにミカサの選択やユミルの葛藤なんかもそれですし、あるいはメタ的な意味でこの記事で書いたことなんかも含めて、全てが目を逸らされるような仕組みに描かれていると思います。

 

それはどういうことかってひとつ例を挙げるとすれば、

 


エレンとミカサの純愛というニンジンを読者の前にぶら下げた上で、イサヤマハジメは背後から殴り掛かってきてるってことなんですよ。

 


言い方、がアレですが笑。

 

 

でもそれって、まさに残酷な世界、残酷な現実を体現してるってことだし、それに気付く機会をくれているってことでもあると思うんですよね、

 

 

この「進撃の巨人」という作品自体が。

 

 

 

 

 

 

 

それでは今度こそ、みなさんごきげんよう

みなさまにたくさんの気付きが訪れることを祈念しながら

 

written: 25th Apr 2021
updated: none