進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

041 最新話からの考察 109話② ミカサ・アッカーマンの場合

みなさんこんにちは。

 

今回は渦中のミカサを取り上げたいと思います。ミカサに関しては以前からあちこちで考察されてますし、この記事では特に目新しいことも書いてませんので、そういうのを求める方には時間の無駄になるかもしれません。それでもよろしければどうぞ、お付き合いください。

 

 

 


この記事は最新話である109話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。 

 

 

 


[ミカサ・アッカーマンの場合]

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-きっとエレンには私達を導く強い力がある(3巻12話)

すでに”導く”という表現が使われていたんですね。ミカサと言えばエレンへの傾倒というくらい、その導かれ方は強いものだと思います。今回はアッカーマンということは脇に置いて、彼女自身の内面を探ってみたいと思います。

 

 


109話で久しぶりに頭痛が描かれました。ミカサの頭痛の原因には諸説ありますが、まずは今までに頭痛が起こったシーンを見てみましょう(1巻3話、17巻67話)

 

 

 

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エレンかよ!

 

そうです。進撃では、ミカサ同様にエレンにも頭痛のシーンが数回ありました。エレンの時は全て”父からの巨人の継承”を想起した時に起こっていますね。これらからエレンの頭痛の原因を推測するならば、”自分が父を喰った”というトラウマな出来事を忘れていて、それを思い出しそうになると頭痛が起こっているように見えます。PTSDのような症状ですね。父を喰ったことをはっきり認識して心のわだかまりが解れてからは、頭痛の描写はされていません。

 

エレンがトラウマの記憶ですからミカサもループの前兆だろう、ってのは日本語が成り立ちませんので、残念ながら楽しいループ考察はできなさそうです。

 

 

さて、ミカサに関してもほぼ、あの事件に結びついているだろうことは誰しもが考えていることと思います。そこで少し気になるのが、かつてルイーゼ母子を助けた時の描写です(2巻5話)

 

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この2枚を見る限り、母子を見て頭痛が発生していることはほぼ間違いなさそうです。おそらく母親を連想させられることが原因ではないかと考えられます。つまり、ミカサはあの事件で両親を失ったことで強い悲しみを抱いていることが推測できます。

 

ところが物語を読んでいると、この推測は間違っているんじゃないかと思わされます。

 

なぜなら、作中でミカサが両親の死を悲しみ、想起するようなシーンは描かれたことがないのです。彼女はあの事件も、かつての両親のことも、普通に思い出すことができています。しかし、その際に涙や辛そうな表情を見せたりすることはなく、ただ淡々と過去が語られ、全てがエレンだけに紐づいているように見えます。

ご存知の通り、進撃は人物の内面描写は入念に描かれています。エレンも、アルミンも、ヒストリアも、コニーも、その他多くの人々が、亡くなった親への想いを描かれています。その中にあって、特にその想いが描かれてもおかしくない経験をしているミカサが、何も描かれていないわけです。

ミカサは助けられた直後も、こんな感じでした(2巻6話)

 

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-イェーガー先生 …私は
-ここから…どこに向かって
-帰ればいいの?

そこに親を失ったことの悲しみは見えません。これからどう生きていくかの心配とでも言いますか。ただ、これだけであれば”直後”だから頭が追い付いていない、と言えるかもしれません。でも前述の通り、その後も一切それを描かれたことがないのです。

 

おそらくこれは、解離という心の防衛機制が起こっているのではないかと考えます。

解離とは、あまりに辛く悲しいといった心を壊しかねない感情を切り離してしまって、感じなくさせることです。”親が殺された→悲しい” この矢印部分のリンクを切ってしまうことで、悲しみを感じることなく親が殺された事実を見つめることができるようになります。もとの自分と、悲しく思う自分を繋がりの無い別個のものにしてしまう感じです。

これがもっと重くなると、解離性同一性障害、俗に言う多重人格の症状を起こします。切り離された心の一部が、完全な別人格として現れてしまうのです。ライナーは軽度の多重人格と言えるでしょうか。ミカサの場合は人格が入れ替わってる様子はないようですが、エレンのことに関してスイッチが入るような描写がされていますよね。突然キレる人というのもこれに類することが多いのですが、多重人格まではいかない解離の症状の一つだと思います。

 


そして解離を念頭に置いてミカサを見ていくと、どうも切り離された感情は親のことだけでは無さそうなんです。

 

前述の頭痛のシーンに挟まるコマで、イアンはこう評しています(2巻5話)

 

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-この落ち着きは何だ?
-命のやり取りをしているというのに……

確かにこの時、ミカサは真っ先に刃の心配をするほど落ち着きはらっています。彼女にとってもこれは初陣で、おそらく1体目の巨人討伐だと思います。さらにそこではリーブス会長、すなわち人を殺すことの即断もしていました。

 

作中ではジャンを筆頭に、人々の巨人への恐怖、さらには人を殺すことへの葛藤や恐怖などが度々描かれています。マルコのセリフにある通り、ジャンはみんなと同じで強くない人、つまり”普通”の人の代表みたいなものだと思います。普通は恐いんです、人を殺すことも巨人に相対することも。

シガンシナ戦では、すでに敵となっていたライナーを殺した(と思った)際、動揺や悲しみを禁じ得ない104期の面々が描かれています(19巻77話)

 

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そんな中でも、ミカサは感情を動かしません。むしろこのシーンは、彼女の感情が動かないことを強調して描かれているように見えます。

 

さらにこうして考えた時に意味が生まれそうなシーンがあります(15巻59話)

 

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-ミカサもこうなったの…?

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これはアルミンがうっかり言ってしまった体になっていますが、ミカサがそうならないことを読者に気付かせるためのセリフではないかと思います。

これらを見ると、人を殺し殺されることへの感情が切り離されているんじゃないかと思うのです。そういう感情を人が抱くことは理解できるけど、本人にはそれが浮かんでこない、といった感じに見えます。

審議所でもエレンとミカサの異常性を示す根拠として持ち出されていました。少なくとも作中の”普通”の人々から見れば、普通じゃないということでしょう。

 


そこで、あの事件を振り返ってみましょう(以下、注記のないものは2巻6話より)

 

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全く身動きすることすらできずに、両親が殺されるところを見てしまいます。ここまでは口調も反応も、至って普通の女の子でした。

 

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瞳に注目して読み返してみてください。カヤが母親のそばで座り込んでいた時と同じく、輝きを失った目が描かれています。そして放心したように、ただただ母親の言葉への疑問を考えています。大きなショックにより、すでに”親を失って悲しい”という感情を解離しているかもしれません。

 

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エレンが入ってきて1人目を殺すまでの間は、放心したままで顔を向けることもしていません。

 

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続けてエレンの叫び声により、我に返るかのように目が見開かれています。少し輝きが戻っているようにも見えます。そこで見たものが今回出てきたシーンですね。おそらくミカサの意識の視点では、両親が殺された場面に続いてこの場面が映し出されているように思います。

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エレンに話しかけられてる時は再び瞳の輝きを失っています。エレンが人を殺す場面を見た時の感情が、既に解離されているかもしれません。ビクッという表現からも、それは恐怖である可能性が高いですね。悲しみや恐怖は既に解離されていますから、”冷静に”3人目がいたことを助言できます。

そして今度は”自分が人を殺す恐怖”が襲ってきます。

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ここで覚醒しますので定かではありませんが、”自分が人を殺す恐怖”も解離されていそうです。さらに言えば、この度重なる解離が覚醒に関与している可能性もあります。

 

防衛機制とは強いショックから心を守るために行われますから、その裏には強い感情があることになります。解離によって悲しくならない裏には、親が殺されたことをとても悲しく思う感情があるということです。これ以降”エレンを守る”ということを至上の課題にしていることも合わせて考えると、何もできなかった、家族を守れなかった自分への強い感情もありそうです。その罪悪感をある意味で正当化しているのが、家族であるエレンを何が何でも守るということであり、その為なら人を殺すことも辞さない、だって世界は残酷だからという考え方です。これも防衛機制の一つで、合理化といいます。

合理化にとって、エレンが言った「戦わなければ~」という理屈は非常に都合が良いといえます。だからその考えを自分のものとして受け入れる、すなわち”導かれた”ということかもしれません。全てをその考えに沿って整合性をとっていくのです。エレンが人を殺したのも自分を守るため、だから恐怖なんて感じたら申し訳ない、英雄的行為じゃないか、といった具合です。そうやって、あの手この手で本来の感情を自分の意識から遠ざけていってるように思います。

 

ところで、ショックの度合いが大きすぎたためか、ミカサには解離の他にも様々な防衛機制が垣間見えるように思います。

まず、マフラーのように、欲求の対象を別の物事で満たすことを置き換えと言います。これは普通によくあることなので分かりやすいでしょう。

そして、こちらのエピソードは投影に見えます(4巻16話)

 

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-その時は私も一緒に行くので…
-そんなことは心配しなくていい

 

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-これで私と離れずにすんだと思って安心してる…

これはミカサがそう思っているわけですよね。兵士をあきらめるという提案に含まれる自分のエゴを隠すために、相手がそう思っていると意識に思い込ませることで正当化を図っているような感じです。そのエゴの元をたどると、エレンのそばにいたい→そばにいなくてはいけない→なぜなら家族を失うわけにはいかないから→なぜなら一度家族を失ったから、といった具合に元の感情に行き着いてしまいかねません。いわば嘘を嘘で塗り固める感じで、意識から元の感情を隠そう隠そうと必死になっているわけです。もちろん意識からはそういった裏の動きは見えませんから、自分がエレンと一緒にいることを望んでいる感覚をおぼえたりします。恋愛感情というのは意外とこういうところに端を発してたりすることも多いです。

これははっきりしませんが、少し退行が入っているような感じもします(7巻30話)

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-ごめんね エレン
-もう少しだけ待ってて

少なくとも、通常の状態ではありませんよね。

 


さて、ミカサの無意識にとって、これらの防衛機制による正当化は自分の心を守るために絶対に守られなければならないものになります。もし崩されたならば、かつての強いショックや感情と向き合わなければならなくなり、心に壊滅的なダメージを受ける可能性があるからです。

それはつまり、エレンは英雄であり続けなければならないということです。

 

おそらくそれが、エレンにおとなしく安全なところにいて欲しい感情に繋がっていますし、エレンがぶれることを許さない気持ちにも繋がっていると思います(8巻32話)

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-じゃあ…戦わなくちゃダメでしょ?

 

しかしながら、兵団に入ってからはエレン以外の他者との関係が生まれてきて、ミカサも”普通”の感情を見知るようになってきました。そして、その仲間たちも大事な人になってきたことは、エレンという存在の絶対性を薄めることにもなっていると思います。そんな折、エレンは以前の発言に反するかのような行動を見せています。少なくとも、周りの大事な”普通”の人たちはそう考えています。その疑念によって合理化していた理屈に亀裂が入り、本来の感情を隠しきれなくなってきたというのが現状なのかもしれません。

109話のフラッシュバックで本来の感情を取り戻したのかどうかは、まだ定かではありません。もしもそれが起こると、以下のような感情が戻ってくることになります。しかもそれは、今まで合理化でプラス方向に感じていた反動で、よりマイナス側に振れるかもしれません。

・両親を失った悲しみ
・何もできなかった無力感、罪悪感
・人を殺した罪悪感
・エレンへの恐怖心

どうなるかは作者次第ですので分かりませんが、精神を病んでしまう可能性すらあると思います。募りに募った罪悪感から、戦えなくなるかもしれません。エレンに対しては言い知れない恐怖感とともに、否定的な感情が強く湧き上がってくるかもしれません。大人になって精神的に成熟しているからそれほどではないかもしれませんが、少なからず影響は受けると思います。

 

 

 


ただ、以下は希望的観測でしかありませんし、少し違うのかもしれませんが・・


ヒストリアはクリスタ・レンズという役を演じていましたが、そこからの決別が描かれています。もともと彼女は、その生い立ちから”親に受け入れられたい”という気持ちが強かったことが分かっています。そしてその気持ちが、他人に受け入れられたい→そんな人たちを受け入れたい といった感じに変化して、彼女の考え方の根底を形作っていると思います。

与えられたクリスタ・レンズという役も”他人を思いやる優しい子”でした。成長の過程で”自分のために生きる”ため、いったんは役を放棄しましたが、今の彼女を見るに”他人を思いやる優しい子”であることに変わりはないように感じます。それって、役を演じていたけど、それも自分自身になっているってことですよね。ユミルも最後は”自分のために”他人を助けることを選んだわけです。


そう考えれば、ミカサにとってもエレンと過ごした日々や彼を大事に思う気持ちの全てを否定できないんじゃないかと思ったりします。いったんは否定に囚われる可能性が高いと思いますが、この気付きでミカサも成長していくのかもしれないなと。

 

 

・・ただ、”大事だからちゃんと殺す”可能性が無きにしもあらずなのが、進撃だったりもするのですが。

 

 

 

 

 

 

-蛇足-

 

さて、ミカサの感情が取り戻される可能性がありそうなのが、幼馴染会談です。まだ開催されるか分かりませんが、やはりエレン本人の言葉でズレを確認したら決定的になると思うのです。

 

ところでこの幼馴染会談、はっきり言って話し合いではありませんよね。言ってみれば裁判です。

アルミンは、エレンが異なる考えを持つなら殺す選択肢があるという前提の上で、自分たちと同じ考えか確かめようと言いました。これをエレンに対するセリフっぽく表現するとこういうことです。

「君は僕達と同じ考え?違うなら殺すけど」

つまり、自分たちに従え、ということですよね。

前回書きましたが、ハンジたちとフロックたちは”みんなが助かる”という目的は同じです。ただ、目的に対する方法の違いがあるだけです。おそらくエレンとアルミンもこんな感じではないでしょうか。エレンにはエレンの方法があり、それは今のところアルミンや104期と異なっている。


「エレンの考えを聞いて、違ったら説得しよう(話し合おう)」だったら話し合いになったと思います。でもアルミンが言っていたのは、エレンの考えを”確かめて”、違ったら殺すかもしれないというだけです。

 

ミカサのことも考えれば避けられない展開なんでしょうけど、これ開催しないようにしてくれませんか、ハンジさん。

 

-蛇足おわり-

 

 

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

written: 16th Sep 2018
updated: none