進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

112 世界観⑯ 進


みなさんこんにちは。

 


これは分割した後編ですので、まだの方は前の記事から読んでください。

 


ちょっとまとまりきらなかったし早口過ぎるんですが、間に合わなくなりそうなので上げます。

 

 

 

 

 

この記事は当ブログの過去の記事をご覧いただいていることを想定して書いています。最新話のみならず物語の結末までを含む全てに対する考察が含まれていますのでご注意ください。当然ネタバレも全開です。また、完全にメタ的な視点から書いてますので、進撃の世界にどっぷり入り込んでいる方は読まない方が良いかもしれません。閲覧に際してはこれらにご留意の上、くれぐれも自己責任にて読むか読まないかをご選択いただけますようお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。扉絵は10巻40話から引用しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


[進]

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さて、散らかったまんまの話がいくつかありますので、ここで三角形に話を戻したいと思います。

 

イェーガー=エス、アッカーマン=自我、アルミン=超自我とかなんとか言ってましたが、それがなんの意味を持っているのかというおはなし。

 

結論から書きますが、おそらくこれ「人間の意思決定のプロセス」として描かれているんじゃないかと思います。


たとえば「進撃の34巻を本屋へ買いに行こう」という欲求が立ち上がったとします。まず欲求。

その時私たちの頭の中ではこんな感じのプロセスが発生していると思います。

8時:通勤通学中・条件付きだが禁止しない
9時~18時:仕事中or授業中なので禁止
19時:禁止しない
20時:〇〇さんとの約束あり・禁止
21時:同上・禁止

そして次のプロセスとしてまた個別に検討を進めていきます。たとえば朝行くなら家を早くでる必要があるがそれは可能か否か、終業後ならばその後の予定も踏まえてどこの本屋なら可能なのか、とかとか。意識してやることもあればほぼ無意識であることも多いと思いますが、要はこういう演算を高速で積み重ねていくことによって、

 

私たちは ”考えて” います。

 

まず欲求が立ち上がり、そこに経験や情報などを基にした禁止が発生し、その禁止を考慮しながら欲求を叶えられる道を見つけ出す、あるいは欲求を許可するという承認を下すということになります。

そして最終的に承認が下った方法によって「行動」というものが生まれるわけです。

さらにまた演算をし、行動をし、またまた演算を・・といった感じで、これらのプロセスが繰り返されることによって私たちは前に進んでいきます。行動しなければ、前に進むことはありません。

 

あ、前に進むことを作中ではなんと言うんでしたっけ?(3巻12話)

 

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「進撃」するんです。


子供は純粋にこれがしたいと願います。父は過去の経験を活かして「こうするべきだ」「こうしてはいけない」と禁止します。母は父の意見も織り交ぜながら、子供の欲求を満たすべく承認をします。

そして親殺しが成されることによって今度は子が父や母となっていき、次の世代へと続いていきます。

つまり、家族が前に進んでいきます。


調査兵団は壁の外へ出ようとし、憲兵団はあれこれ難癖をつけ禁止を課し、駐屯兵団が調査兵団に寄りそったことによってレイス王家という親が殺され、パラディ島は前に進みました。

パラディが「生きたい」「分かり合いたい」という欲求を発し、マーレが過去の経験に従って様々な禁止を課し、ヒィズルがパラディに寄りそうことによって、三国は前に進みます。いやどうかな、世界を父に見立てればマーレが母とも言えるのかもしれません。


欲求とは未来への希望で、それを過去に蓄積した経験により行き先を修正し、現在の行動が出力されて前へ進んでいきます。


全部同じです。


進撃がまさにタイトルなわけですから、それは前に進むということすなわち「行動」について描いているのでしょう。

でも「行動することの大事さ」みたいなのって物語に限らずよくある普遍的なテーマではあります。しかしながらご存知の通り作者はさらに一歩踏み込んで「行動」について掘り下げていますよね(24巻97話)

 

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背中を押されてする行動と自ら地獄へ足を踏み入れる行動。


背中を押されてする行動というのは、雑に言えば人間の習性だったり社会の環境だったりによって成される行動といったところでしょうか。カッとなって殺す。憎しみにまかせて罵倒する。恐いからやらない。なんか気持ちよくなるからマウントを取る。神がそう言ったからそうする。法律でそう決まってるからそうする。伝統でそう決まってるからそうする。

全てがそうだとは言いませんが、ある程度共通してるように見えるのは「思考停止」が伴っている感じでしょうか。

自ら地獄へ足を踏み入れるというのは、そこが地獄であるということを知っているということです。そこに踏み入れるとどんなリスクがあるか知っているということです。そしてメリットデメリットなどを勘案した上であえて踏み入れるということです。

 

というわけで、「行動」だけでは以前の記事に逆戻りしている感じがしてしまうので言葉を洗練したいと思います。

 

「意志を伴う行動」

 

つまりこれが、進撃という物語の、メインのメインのメインのテーマなのだろうと思うんです。

 

ですからトドメはミカサなんです。子としてのミカサは、「かつて命を救ってくれた」という美しい偶像だった父エレンの真実の姿を見つめ、親殺しを成す必要がありました。あるいは幼馴染三人における母にあたるミカサは、エレン(欲求)とアルミン(禁止)両者によって作り出された道筋に承認を与える必要がありました。またそれは過去やなんかに囚われたものではなくミカサ自身の「ありのままの」意志でもあったということでしょう。

そうやって三人がいたことによって生まれた「行動」によって、前に進んだのだと思います。

これがもしエスの欲求だけしか無ければどうなっていたでしょうか。ただただ相手を踏み潰すだけだったかもしれません。もし超自我の禁止しか無ければどうなっていたでしょうか。あれはしてはいけない、こうするべきだ、いやいやそれはダメだと無為に時間を潰すだけだったかもしれません。あるいはそれを突き詰めれば、自分たちが生きていなければこんな問題は無かったという考えに辿り着いてしまったかもしれません。

では間に立つ自我の承認が無ければどうなっていたでしょうか。

「生きる/死ぬべきだ」、「戦う/分かり合える」、「攻撃する/攻撃してはいけない」そうやって対称的な意見がぶつかり合い、終わりの無い争いが続くばかりだったかもしれません。


エレンはこんなことを考えていました(33巻131話)

 

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-自由だ

ただただ自分がしたいことをしたい部分があり、(33巻131話)

 

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-死ぬべきは… オレ達エルディア人なんじゃないのか?

それを押しとどめる部分もあり、(33巻131話)

 

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-でも…そんな結末
-納得できない

それも受け容れられない部分もあり、

いろんな自分がいて頭を悩ませていました。これを日本語では「葛藤」と呼びます。あるいは欲求と禁止のせめぎ合い、エス超自我の争いです。

でもこの葛藤もしくは争いがあるからこそ、自我はその中間のより良い行動を見つけ出すことができます。

葛藤があって、必死で考えて考えて考えるからこそ前に進むんです。悩むのは面倒だと投げ出したり流されたりしてしまったら、すなわち思考を放棄してしまったら、同じところをグルグルと回ってしまうんです。前に進まないんです。

ここは言い方が難しくて、極端に受け取らないで欲しいのですが、いわば争いがあるからこそ前に進むようなところはあると思います。そして争いが起こるためには超自我のような対称になるものが必要なんです。そして超自我が禁止をするためにはまず欲求が立ち上がらないといけないんです。


私たち人間は争いというものを忌避しますよね。暗いイメージを持っています。つまり闇夜です。でも夜が無ければ朝は訪れないんです。夜があるからこそ初めて朝という名の、(16巻66話、21巻84話)

 

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「承認」がやってきます。日が昇るイメージと共に描かれるのはいつも「承認」なんです(32巻130話)

 

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だから人類の夜明けも「承認」によって成されました。


もし承認をもたらすミカサ(自我)がいなければエレン(エス)とアルミン(超自我)はひたすら殴り合うばかりだったかもしれません(34巻138話)

 

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ではその自我が加わった遠因はなんでしたっけ?(22巻89話)

 

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-それができなければ繰り返すだけだ

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ここが黄昏になっています。夜は夕方が無ければやってきません。前回のおさらいみたいになりますが、ここからの流れによって、エレンがアルミンの「分かり合いたい」を生じさせ闇夜の種を撒き、その一方でミカサが二人と行動を共にすることになります。ここが朝を迎えるためのターニングポイントなのだと思います。

 

夜は夕方が無ければ来ないのは分かった。では黄昏はいつどのように始まったの?(22巻88話)

 

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グリシャが立ち上がったことで始まったのでしょう。おそらくここでエレンが生まれることが確定したのだと思います。

 

つまり、欲求が立ち上がった、それが黄昏の始まりです。

 


イエス・キリスト伝説は太陽の運行を基にしたものだとお話しました。冬もやっぱり暗いイメージがあるように思います。闇夜です。だけれどもやっぱり冬があるからこそ春が訪れます。

だから最後はパラディ全体の母としてのヒストリアによる承認があるのではないか、そんな気がしてます。

もちろんあくまで予想でしかありませんが、パラディというかエルディア人としての母というか。もしかしたら世界の全ての人類くらいの感じかもしれませんが。そして承認というからにはただ英雄を讃えるのではなく、悪魔になった人や争い合ってた人々を包括した感じの承認になるんじゃないか、そんな風に予想しています。じゃあ父親は?道を指し示したのは誰だったのでしょうか。

 

 

 


ところで、争いがあるからこそ前に進むなんて言うと物騒ではありますが、そんなものだと思う部分も多々あります。

以前書いた記事とかぶるのですが、人間はもともと家族単位で狩猟生活を送っていました。でも獲物や狩場の奪い合いなどをするうちに部族が生まれたのだと考えられています。たくさんいた方が強いですからね。もちろん今度は部族同士がぶつかるようになって、集落、村、町、国といった感じで発展していきます。

争いがあって、今まであった枠組みが一度解体され、新たな枠組みが出来上がるわけです。

アニメ4期のオープニングテーマが「破壊と再生」な感じなのはそういうことだろうと思いますが、要するにプロセスなんだと思います。何のプロセスかって「ひとつになるため」のです。

生物というのはもともと単細胞生物という個体が食ったり食われたりしてて、何がきっかけかは分かりませんがそれが集まって多細胞生物という協力体制を築くことで現在の生物のルーツになったと考えられています。争ってやがてひとつになったわけです。

私たちは自分のことを「自分」という一個体だと思っていますが、実際は兆を超える単細胞が寄り集まって、皮膚という名の境界線、あるいは壁によって外界と隔てられた国のようなものだったりします。先ほど書いたことも含めて結局全部それなんです。ぶつかって一つになっての繰り返し。もう性質というか、この世界の仕組みみたいな話になってしまいます。

人間はよく科学技術や文化、政治体制から法律やらなんやらを「英知の結晶」みたいに言ったりしますよね。人間ほどの知能があったからこそ成し得た偉業の産物だ、みたいな。でも三権分立の仕組みって前述した三角形にかぶったりしますし、コンピュータの仕組みが脳のプロセスの後追いみたいなところもあったりするんですよね。人間がその高い知能で編み出したはずの集団行動と似たようなことを知能が低いはずの生物がやってたりとか。

面白い例がありまして、作中でジークが「誇り高き死」を揶揄してるセリフがありましたけど、これも同じような感じです。「誇り高き死」って要するに人間様ほどの知能や文化的献身的な精神があって成される他の生物にはできない生き方(死に方)である、みたいなニュアンスがあると思うんですが、実はこれと同じようなことが自然に起こってます。

私たちの体は日々新陳代謝によって細胞が入れ替わるのはどなたもご存知かと思いますが、細胞分裂をして新しい細胞を生み出した古い方、これまだ生きてるんです。でもそれじゃ困るので、自殺の命令が下されます。そして古くなった細胞はその命令を受け取ったら死んでいって老廃物として体外に排出されていきます。

要するにみんなのために死ねって、心臓を捧げろってことが私たちの体の中で日々行われてるんです。ちなみにこの自殺の命令が上手く機能しないとそれがガンになるという、なんかシャレの効いた感じの話になります。いや、シャレが効いてるっていうか、なんかすいません、

全部、仕組みです。

で、また進撃と関係ない話してんのかって思われそうですけど、こういう観点がないと出てこないと思うんですよね「肉の塊」なんて言葉は。

作中では道をネットワーク状のなにかのように描かれてると思いますが、「増えること」と「ネットワーク」はほぼ同義です。なぜかこの世界のものはネットワークを成して増えていきます。人間や生物は家系図などを思い浮かべていただければ分かりやすいでしょうか。これは物に限った話ではなく、会社や組織なども支社・子会社とネットワーク状を成しながら大きくなって(増えて)いきます。音楽にロックというジャンルが生まれると、やがて〇〇ロックといった感じで枝分かれしながら増えていきます。そして時に他のジャンルと融合したりしますよね。ライバル会社同士が合併したりしますよね。家族同士は婚姻を通じて同族になっていきますよね。

増える。増える過程でぶつかり合ってひとつになる。そしてまた増える。

ただ、それだけ。

ちなみにこの世界の全てを構成する素粒子が持つ、この世界の基本的な原理には「くっつこうとする力」と「離れようとする力」があります。そして少しだけくっつこうとする方に偏った(?)結果生まれたのが物質。たぶんそれ以上でもそれ以下でもなさそう。そしてたくさんの素粒子が集まった結果くっつこうとする力はさらに大きくなった、そうやって集まったかたまりを私たちは地球と呼び、その中のほんの一部のかたまりが私。

だからほっといたら人間もただくっついて増えようとするだけなのだろうと思います。見えない力に後押しされてなんとなく地位や金、セックスアピールを高めることに血眼になって増えようとするだけ。たぶんそこに意味はなさそうです。意味がないから自由がどうたらという話はさんざんしたので割愛しますし、流されるのが悪いとかどっちが良いとかそういう話でもありません。ですがそういった流れに抗い得るもの、影響を与え得るものがあるとすれば、なにかを変えることができるものがあるとするなら、それは「意志を伴った行動」なのだろう、そういうことではないかと思います(20巻80話)

 

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-それこそ唯一!!
-この残酷な世界に抗う術なのだ!!

 

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-兵士よ怒れ

-兵士よ叫べ

 

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-兵士よ!!
-戦え!!

 

 


・・というわけで、長らくお付き合いいただきましたこの「世界観」の記事はこれで終わりです。あと一本おまけみたいな記事がある予定ですが、あくまで余談みたいなものなので本編はここまでです。そして本編の最後を飾るにふさわしいのは当然この人でしょう(10巻40話)

 

 

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ラガコ案件の際に南班の班長を務めていたゲルガーです。私が思うに、作者の「世界観」が一番分かりやすいのはこの人じゃないかと思います。もちろん幼馴染三人を始めとする作品全体にもそれは現れているはずですが、なにせゲルガーは出番が少ない。そして少ないからこそ、見えやすいものがあると思うのです。

 

 

以前、死なないように生きてる人とその例外みたいな話をしましたが、ゲルガーもその例外の一人です。彼は同時期に活躍するミケやナナバとは対称的に「死にたくない」「嫌だぁぁぁ」みたいなことを一切言いません。ご存知の通り、彼は最初から最後まで酒のことしか頭にありませんでした笑(9巻38話、10巻40話) 

 

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-こんなもんまであったぞ…(ゴクリ…)
-バカ言えこんな時に…

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-酒も飲めねぇじゃねぇか 俺は!!
-てめぇらのためによぉ!!

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-ただ… 最後に…
-何でもいいから酒が飲みてぇな…

 

そして、死にたくない人たちがバタバタと死んでいく中、ゲルガーはなかなか死なないんですね(10巻40話)

 

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もちろんこれはナナバが助けてくれたというのもあるんですが、それより凄いのは、たまたまそこに穴が開いていたことです。穴が無ければ彼は圧死していたかもしれません。もしくは体半分もずれていれば、頭を打って即死とか、腕や足を失ったりとかしていたかもしれません。偶然に偶然が重なって彼は生き永らえてしまいます。

しかも偶然にも、彼があれほど熱望していた酒の瓶がそこにあったんです。まぁご都合と言っても差し支えないような奇跡の連続が起こったわけです。

 

ただ、その後はみなさんもご存知の通り、その酒瓶はヒストリア女王が情け容赦なくも全て消毒に使い切ってしまっていたため、彼は酒にありつけずに終了という少しコミカルなシーンと相成ります(10巻40話)

 

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でもですよ、ここでひとつ考えてみてください。私は今までみなさんと一緒に進撃を読み解いてきたつもりです。登場人物のちょっとした表情だったり、小さなコマの何気ないセリフなんかにまで作者が込めているものを拾い上げてきたつもりです。

さて、この作者はこの一発ギャグをやるためだけに、上に示したような数度に渡る前フリまでするのでしょうか。もちろんこの場面がギャグにもなっていることは間違いないと思います。でもそれだけのために? 他の作品ならいざ知らず、進撃ですよ。

 


と前フリをしたところで、話を戻します。

 

アニメ版だと上記の場面に続きがありまして、巨人に掴みだされた彼は穴の端に頭を打ち付けて事切れます。入ってきた時とは大違いなわけですが、それはこういうことだと思うんです。


彼は酒を飲むことを目的に生きていました。こう書くとしょーもなく聞こえますが、仕事が終わって酒を浴びることが彼にとってささやかな幸せだったのかもしれません。そんな「あたりまえの大事な日常」を彼は大事にして生きていたということです。

生きようとする性質に流されて「死にたくない」と生きていた人たちは、やっぱり流れには逆らえず死ぬ時はあっさり死んでいきます。ところが目的を持って行動していた彼は、常に前に進み続けていた彼には、私たちが奇跡と呼ぶようなあり得ないこと、つまり世界の流れに逆らうかのようなことが起こり続けたわけです。

では彼はなぜ死んでしまったのでしょうか。運が尽きたということでしょうか。

違うんです。彼はあの時「空っぽの酒瓶」という、とうに終わった出来事に固執してしまったんです。そして神や誰かに呪詛を吐くような行為に終始してしまった。ずっと前を向いていた彼が、後ろを向いてしまったんです。

 

神様はそれを見てたんですよ(10巻40話)

 

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もちろん巨人がそんな判断してるってことはないでしょうが、たぶんそういう表現だと思います。

 

アニメの方が分かりやすいですが、実はあの時多少の時間の猶予があります。明らかに中身の入ってない酒瓶を傾けてひとしずくが落ちてくるのを待たずに、あるいは瓶を持ち上げた時点で空であることに気付き、もし次の行動を起こしていたなら彼は助かっていた可能性が高いです。

何の行動かって?

酒が入ってる他の瓶を探しにいけば良かったんです。彼はあの時、ちょっとダメだったからって今まで持ってた目的を放棄して後ろ向きになってしまったんです。


実際あそこを這ってでも切り抜けていれば、おそらくユミルたちと一緒に救出され負傷者扱いかなんかでトロスト区に送られた可能性があります。もしそうであれば彼はもう一度酒を飲むことができたんです。可能性はいくらでも広がっていたんです。

でもその可能性を潰したのは、終わってしまった過去にこだわって文句を垂れ続けた彼自身だったとさ。めでたしめでたし。

 


・・といった感じじゃないかと思います。そして同時に、アニメ版でナナバに「死にたくない」といった感じのセリフが追加された意味が見えてくるんじゃないでしょうか。

 

 

この世界の性質に流されて生きること、それに抗って生きること、そのどちらが良いとか悪いとかなんて私には言えませんが、作者が何を考えていたのか、それが少しだけ垣間見えたような気はするのでした。

 

 

 

 

世界観 了

 

 

 

 

 

 

 

 

-おまけ-

これはとある記事の補足のような話なので、「木を避ける」と言われて意味が分からない方は今は読み飛ばしていただけると助かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず結論から書きますが、少し前に豚小屋の場面が描かれましたので「木を避ける」というよりは「豚を逃がさない」感じではないかと思っています。もしそういうことであれば、という話ではありますが。

以下は人によっては少し嫌な書き方だと思われる可能性が高いのですが、怒らずに読んでください。

 


ユミ子ちゃんは豚を逃がしました。

 

それはおそらく、檻に閉じ込められてやがて食われるのを待ってるだけの人生(豚生?)に何とも言えない憤りを覚えたからじゃないかと思います。本人が意識してたかは定かではありませんが、おそらく自身の境遇を投影してしまったものと考えられます。

ユミ子の目線から見れば、豚たちは不憫で不自由で、逃がしてあげたらどれだけ喜ぶかと思うかもしれません。でも私たち第三者から見れば、ひとつツッコミが出てこないでしょうか。


「それ、豚がどう思ってるか聞いたの?」


もちろん豚に問うたところで返答はこないでしょうが、こんな意見もあります(28巻114話)

 

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-これでよかったんだ…
-ずっと収容所から出られなくたって生きてさえいれば…

「あたりまえの何でもない日常」なんて話もありましたが、なるほど、言いたいことは分かります。

でもユミ子の立場からすれば、近いうちに豚が食べられることを知っている、つまり彼らが想うささやかな幸せさえ叶わないことが分かっているから逃がすわけなので、相容れませんよね。

 

というわけで、その両方の意見を汲み取った上で豚たちが出した結論がこれ(34巻138話)

 

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与えられる自由という甘露に甘んじるのではなく、ただ生かされたり殺されたりすることを無為に受け入れるわけでもない。誰かに気に入られていたくて全てを無条件に受け入れるのでもなければ、今までの状態を保つことに心を奪われるわけでもない。

自分の生き方は自分で決めるという、考えに考えた上での意志を伴った行動。それこそが自由ではないかと。

それは同時に「豚たちを自由にしてやらないと」という抑えきれない感情からユミ子を解放してあげる、相手も自由にしてあげる行動なのかもしれません。


ユミ子にしてみれば、心の奥底から湧き上がってくるなにかによって豚を逃がすことが正しいことだと思ったからこそ逃がしたのでしょう。つまり豚を囲っている行為は悪いことであると。だけどその結果として自分が悪い者にされ迫害されてしまいます。そして悪魔が現れました。

彼女は自分が悪魔じゃないことを証明しようと懸命にフリッツ氏に奉仕し、命さえも捧げますが悪魔以外の何物とも見てはもらえません。じゃあみんなが悪魔になってしまえばいいのか、あるいは悪魔は滅びるべきなのかなんていろいろと考えてみますが、どうにも答えが出ません。

でも葛藤に葛藤を重ねた結果、彼女は気付きます。あるいは気付かされます。自分が悪魔の力に寄りかかって本来の自分を忘れていたことに。そして元をただせばその悪魔の力を生んだのは、豚を逃がす自分が正しくて囲ってるのが悪いという自身の思い込みであり、悪魔とは自分の中から出てきたものでした。

そしてその思い込みは、自身の境遇への不満のようなものを当てこすったようなものと言えるでしょうか。つまり自分自身が自由に生きたいという欲求、その中に悪魔の芽が潜んでいたと。


・・といった感じなんでしょうか。

 

まぁ実際そういうことなのかどうかは分かりませんが、豚を逃がさない、もしくは選択肢を与える?のかもしれませんが、それが彼女の親殺しになっていくのかなと思ったりしてます。

-おまけおわり-

 

 


本日もご覧いただきありがとうございました。


written: 4th Apr 2021
updated: none