099 世界観⑦ 不戦の契り
※2020/4/27 追記:途中に注意書きを一点追記しました。
みなさんこんにちは。
それは、生きる意志をめぐるものがたり。
!!閲覧注意!!
この記事は 生命-I から始まる一連の記事の他、当ブログの過去の記事をご覧いただいていることを想定して書いています。最新話のみならず物語の結末までを含む全てに対する考察が含まれていますのでご注意ください。当然ネタバレも全開です。また、完全にメタ的な視点から書いてますので、進撃の世界にどっぷり入り込んでいる方は読まない方が良いかもしれません。閲覧に際してはこれらにご留意の上、くれぐれも自己責任にて読むか読まないかをご選択いただけますようお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。
※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。扉絵は18巻73話からです。
[不戦の契り]
今回は前回の内容を受けての不戦の契りです。
この不戦の契りに関しては私も考えが二転三転した経緯がありまして、以前から読んでいただいている方に混乱を招かぬよう、蛇足ではありますが先に少し経緯をお話させていただこうと思います。
当初は 042 新説 壁の王 という記事に書いたように、それ自体が145代フリッツ王によるブラフではないかと考えていました。その発端はフリーダとグリシャが相まみえた際、不戦のはずなのに戦い、しかも戦った上で始祖が他の巨人に負けるといったように、作中で言われていることとの矛盾のようなものを感じたからです(16巻63話)
であれば、フリッツからレイスへと名前を変えていることも合わせて、そもそもレイスの血統は不完全にしか始祖を扱えなかったのではないかという推測をしました。ただしそれでは壁の抑止力が意味を成さない可能性があるため、大陸の王家にだけはブラフを言って始祖を奪還する意欲を削ぎ、その後王家を殲滅してしまえば始祖を扱えないことが闇に葬られるというシナリオがあったのではと考えたのです。実際に大陸では王家関連を潰す動きがあったようですし、ヴィリーの告白があるまで不戦の契りのことはマーレ軍上層部だけの機密であったような描写があったこともその下敷きになっていました。
まぁ要するに何も知らないパラディの面々が「なんかある」と勝手に思い込んでるみたいな話かなと思ってたわけです。でも 生命 という記事群に書いたことが見えてきた頃に、この作品はそういう話じゃないなという感じがしてきたため、前述の記事に注意書きで保留扱いとした上で実質的に一から考え直しをすることになりました。
やはりというか、その後115話でクサヴァーさんが「不戦の契りの解法」について言及したことによって、ブラフではない、つまり契り自体の存在は私の中で確定します(29巻115話)
-壁の王が「始祖の巨人」を封じるために課した「不戦の契り」
-これを打ち破る方法がある
パラディとは全く関係がなく、しかもジークの味方であるだろうクサヴァーさんがジークに嘘をつくとは思えません。ですから彼がその「解法」を話すということは、契りは確実に存在するということになるはずです。
それ以降はもやもやしたまま放置していたのですが、進撃が意味するものに思い当たった時に繋がった気がした、というのがこの世界観という記事を書き始めた理由だったりもします。そんなわけで今回は不戦の契りの”意味”について考えていきますが、今までの推論はいったんリセットして読んでいただければと思います。
まず先に結論として、不戦の契りがなんなのかということを言いますと、
不戦の契りとは、戦わないという契約だと思います。
・・・・・・
んなこたぁ分かってんだよって声が聞こえてきそうですが、ふざけてるばかりでもなくて最終的には言葉通りのところに辿り着きました。つまりそれは真相に近いということなんじゃないかと勝手に思っています。
さて、
座標に関して、ジークがこんな推測を述べています(30巻120話)
-おそらく始祖を継承した王家はここに来たんだろう
-始祖の力を行使する際に
つまり145代もエレンジークと同様にあの座標空間に来て、始祖ユミルと契約を交わしたということなんでしょう。いちおう細かい点を付け加えておくとすれば、フリッツ王としての始祖ユミルへの命令が契約ということになるかと思います。それと、(25巻99話)
-カール・フリッツの平和を願う心なのです
ヴィリーによれば145代は平和を願う思想から契りを生み出したとのことでした。平和を愛しているから戦わない契約をする、それは至極あたりまえのような話です。逆に当たり前すぎてその裏を考えたりもしてしまいましたが、これもそのまま素直に額面通り受け取ります。
145代は平和を願っていたから、戦わない選択をしました。
そして145代は座標空間に至り、始祖ユミルに命令したということになると思います。「ユミルの民を戦わないようにしろ」みたいな感じで。
それともうひとつ、鍵となったのがこの場面なんですが(30巻121話)
-「進撃の巨人」の特性?
-そんな話は…
冒頭に挙げた始祖が負けたこととも重なるのですが、全ての巨人の頂点に立つはずで、全ユミルの民の記憶をも自由に扱えるはずの始祖が、進撃の特性すら知りませんでした(30巻121話)
-あなたがそれをご存知ないことも知っている…
-「不戦の契り」で始祖の力を完全に扱えないのは
-王家といえどあなたも同じ
しかも進撃の視点から見れば、あなた(=フリーダ)がそれを知らないことは分かっていたと言います。
この文脈では明言しているわけではないのであくまで一つの解釈としておきますが、こんな捉え方ができると思います。
不戦の契りによって能力に制限がかかったため、フリーダは進撃の特性を知らない
つまり、本来の始祖は作中で言われているように全ての巨人を完全に掌握するような存在で、とうぜん進撃の特性も知っていたが、不戦の契りで力が制限されたことにより進撃の特性を知らない状態になったという感じです。特に無理のある解釈ではないはずです。というか普通の解釈ですよね。
そこで大事なので繰り返しますが、以前の始祖は知っていたけれども不戦の契りによって進撃の特性を知らない状態になった、ということです。それを言葉を換えて言えば、
不戦の契りによって進撃の巨人のことを忘れた、とも言えると思います。
さて、役者が揃いましたので、ここでひとつ考えてみてください。
戦わないとはどういうことでしょうか?
なんかいまいち答えづらい問いですね。逆から考えてみましょう。
戦うとはどういうことでしょうか?
こちらは簡単ですよね。戦うというのは、生きるためにする行為です。
現代の人間はややこしい理由(建前)を用いて戦争していますから分かりづらいですが、動物なんかのことを考えてもらえれば単純明快ではないかと思います。
動物が戦うのは主に食べるか身を守る時だけです。動物はストレートなもので、普段捕食している他の生物を見かけても腹が減ってなければ襲ったりしません。でも実際は人間だって動物なんですから同じことです。人間の戦争というのも主に自分たちの集団が他の集団より優位に立つために行われており、それはより生き易くするための行為に他なりません。個人間のケンカやマウンティングも同じです。自分の立場を優位にしたり、あるいは承認欲求由来のマウンティングであっても、自分の価値を高く見せたり自分の価値を認めるため、つまり根本は生きるためにしているのです。
戦うのは生きるため、生きようとするから戦います。であるならば、戦わないというのは生きることの放棄に近いとも言えるかもしれません。
始祖ユミルになったつもりで考えてみてください。
あなたは「ユミルの民を戦わなくしろ」といった命令をされます。でも戦わなくしろ、あるいは戦えなくしろと言われても困りませんでしょうか。身体の自由を奪っては生活すらままならなくなってしまいます。
でも「生きようとするから戦う」ということが分かっていれば答えは簡単、
生きる意志を失くしてしまえば、戦わなくなるはずです。
そして進撃が「生きる意志」そのものではないかと前回の記事で結論付けたことが正しいのであれば、生きる意志の喪失とはつまり進撃の喪失であると考えられます。あるいは命令は「始祖を戦わなくしろ」という方がより正確なのかもしれませんが、それも進撃の喪失であることに変わりはないと思います。
では進撃の喪失とはどういうことか。
以前の記事でも書きましたが、ユミルの民の「道」はおそらく人間の神経細胞ネットワークを模しています。作中でもビリビリって描写がありますが、脳内で電流が起こることによって各神経細胞へ伝達や指示が行われる仕組みと同じことが起きていると考えられます。始祖が全ての巨人を意のままにするというのは、おそらく始祖が全体に電気を流す司令塔のような役割であるからだと推測しますが、その「道」のネットワーク自体から進撃が失われたとすれば、とうぜん進撃には電流を流すことができません。つまり始祖は進撃に命令をすることができなくなります(21巻86話、30巻121話)
-我々マーレ政府の管理下にある――
-「七つの巨人」を継承するに値する器でなくてはならないからだ!!
-予てより「進撃の巨人」の継承者は何者にも従うことが無かった
だから進撃だけは始祖の命令に従わなかった、あるいは従わずに済んだということではないかと思います。またそれは同時に、フリーダがグリシャに戦って負けたことの理由にもなるはずです。戦うこと自体はできたことにも説明が付けられます。さらに隠喩として、生きる意志を喪失していた始祖は、やはり生きる意志がある者には勝てないんだという感じにもなるかもしれません。
もちろん進撃のことを忘れたのは始祖だけではありません。ユミルの民にとっての「道」は外部のぼんやりとした記憶のようなものと考えられると思っています。
記憶は情報の結びつきだという話を以前の記事でしましたが、たとえば”ど忘れ”といったような、急に物の名前とかが出てこない時ってありますよね。でも別の時にそれを見たら普通に名前が出てきたりして。それはなんらかの原因によって結びつきを上手くたどれなかったことで”ど忘れ”したけれども、その名前の情報自体はちゃんと残っていたということと考えられます。
さらにその結びつきをたどることができた場合、すなわち普通にその名前が出てきた時は、それがその名前であることは当たり前のように感じていると思います。あの赤くて丸い果実のことをリンゴと呼ぶのに理由はありません。あの姿カタチのものは、リンゴなのです。
壁内人類は145代によって記憶を改竄され、巨人に関することを忘れさせられました。それはつまり巨人に関する情報の結びつきを切られたと考えられます。だから壁の外にいる巨人を日常的に見たとしても、それが巨人であること以外なにも思い出すことはできませんでした。そして王政が意図して流した情報だけが結びついて、「なんだか知らないけどかつて人類を滅ぼしかけたもの」という認識になっていたわけです。
でも結びつきを切られただけなので、その情報自体は記憶の中(というか道)に残っています。だから壁内人類は”それ”を見たことによって思い出したのだと思います(4巻15話)
-見たことあるのか?
-超大型巨人!
-ウォール・マリアを破った「鎧の巨人」は⁉
「超大型巨人」と「鎧の巨人」という ”正式名称” を。
(余談ですが1枚目がアルミンに重ねられてるの今気付きました。ライナーたちは有名ですけど)
彼らにとってはあの姿かたちをしたものをそう呼ぶのは当たり前なんだと思います。巨人が巨人であることは分かっていたように、姿かたちと名前の情報は特に強く結びついているのでそれだけはたどれたという感じになるでしょうか。女型の時もそんな感じでした。
ところがここが盲点でもあるのですが、進撃の名前だけは誰も思い出さなかったんです(3巻10話)
-大勢の者が見たんだ!!
トロスト陥落の時も、奪還戦でも、ストヘス区でもそれ以降も、多くの人々が進撃の姿を目撃しているはずなのに、誰一人として記憶の結びつきをたどることができませんでした。そしてその名前が判明したのはグリシャの手記によるわけですが(22巻89話)
-お父さんから受け継いだ君の巨人の名前でしょ?
それは”当たり前”じゃないんです。その名前を聞いてなお、全然知らなかった風なんです。
つまり、進撃の情報はそれ自体が「道」にも存在していない(あるいは隔離された)状態にあったと考えるべきだと思います。それはすなわち不戦の契りによって、あるいは副作用とでも言うべきかもしれませんが、生きる意志を、すなわち進撃を失ったということなのではないかと思うのです。
さらに、生きる意志たる進撃が「道」から外されたとするならば、それは「全体」である道から切り離された「個」という構図にもなってきます。
全体が、みんなの平和のために、個の生きる意志を殺したのです。
おそらくこれが不戦の契りの”意味”ではないかと思います。
壁の王にしろ、ジークやライナーにしろ、”みんなのために”やたらと死へ向かいたがるユミルの民がいます。壁の外に脅威の可能性があろうが、その日良ければそれで良しとばかりに未来への希望も心配も顧みず酒浸りだった壁内人類がいます。その「未来を生きていこうという意志」を失わせたのは、不戦の契りというみんなが平和であることを願う気持ちによって生み出されたものだったのかもしれません。
これは以前から言われている憲法九条と重ねるような、進撃が発しているひとつ目のメッセージともぴったり合致します。
※2020/4/27 追記:不戦の契りとその源泉たる壁の王の思想について、「マーレが攻めてきたら滅びを受け入れる」という考え方とか、記憶の改竄によりその対外的なリスクを民衆が知らない状態にしていることからも分かる通り、それは実際の憲法九条とは似て非なるものです。より極端で、見方によっては独善的とさえ言える部分もあるかもしれません。現実世界に照らし合わせて憲法などを真剣に考えるきっかけになればとても良いことだと思いますが、壁の王の思想や不戦の契りがそのまんま憲法九条とイコールでないことは明白ですので、どうぞそこは混同されませぬようお願いいたします。以下に書いていることは全て現実とは一切関係ない「進撃の巨人」の世界の話です。
平和を愛すると言えば聞こえはいいですが、それは突き詰めれば自滅の道と隣り合わせでもあると思います。戦争や、戦うことは悪いことだとされています。「だから私は戦いません、話せばきっと分かるはず。」それはとても美しい思想だけれども、そう思っていても我関せずで殴り掛かってくる相手がいたりします。だからといって私がそれと戦えば、やっぱり悪いことであることに変わりはありません。であれば、みんなが平和にあることだけを考えるならば、私が最初からいなければそんな諍いが起こることもなかったかもしれません。自分ひとりだけが犠牲になればたくさんの人が平和に過ごすことができるのかもしれません、だから心臓を捧げる。
これは「全体」の考えとしてとても合理的です。だけれども「個」の生きたい気持ちは殺されています。
だから「個」は、小さな刃はこう叫びます(18巻73話、セリフは2巻6話)
戦え
戦うんだよ
勝てなきゃ死ぬ
勝てば生きる
戦わなければ勝てない
「全体」の視点から見れば「なぜそんなに自分が生きることにこだわるんだ。みんなが笑顔で平和に生きていけるなら、それが一番良いことじゃないか」といった疑問が生まれます。だから小さな刃はこう答えます(4巻14話)
-オレが!!
-この世に生まれたからだ!!
生まれてきた以上、生きようとするのだと。つまり生きる意志とは原初的な欲求であってそれ以外のなにものでもないのだと。
そして小さな刃は、細胞分裂を始めます(2巻7話)
はじめは一人に、さらにその周辺へと自己増殖してどんどん広がっていきました(2巻7話)
こうして生きる意志を失っていたユミルの民は、それを取り戻していったのでした。というのが壁内編の要約になるのでしょう。そしてピクシス司令が言っているように、生きるとは「進撃すること」なのだと思います(3巻12話)
-しかしこの作戦が成功した時
-人類は初めて巨人から領土を奪い返すことに成功する
-その時が人類が初めて巨人に勝利する瞬間であろう…
-それは人類が奪われてきたモノに比べれば…小さなモノかもしれん
-しかし その一歩は我々人類にとっての
-大きな進撃になる
そう考えれば、(30巻120話)
ここで始祖ユミルがエレンを完全スルーしているのもおそらく、始祖ユミルが進撃のことを忘れていたということじゃないかと思います(30巻122話)
だからこそ始祖ユミルが進撃を思い出した時、すなわち生きる意志を取り戻したことによって、壁巨人による「進撃」が始まったのだと思います。
・・そして不戦の契りが解けたのも、この瞬間だったということになりそうです。
おわり
記事中にも書きましたが、元々はこのあたりのことを書きたくて始めた記事群でした。でもまだ少し書いてないことがあるのと、書いてるうちに派生してきたことがありますので、もうちっとだけ続くんじゃ。
次回に続きます。
本日もご覧いただきありがとうございました。
written: 30th Mar 2020
updated: 27th Apr 2020