みなさんこんにちは。
この記事は 057 生命-I から続くお話であり、そちらの警告をご承諾いただいてない方の閲覧はお断りしております。まずはそちらからご覧くださいますようお願い申し上げます。
この記事は最新話である112話までのネタバレを含んでいます。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。
※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
[パラダイス ロスト]
楽園には食することを固く禁じられた知恵の実がありました。楽園での暮らしを謳歌していた人類の祖、アダムとイヴは、誘惑に負けて知恵の実を口にしてしまい楽園を追放されるのでした・・旧約聖書の創世記に記された有名な「失楽園」のエピソードです。
キリスト教ではこれを原罪と呼び、全ての人間は生まれながらにして罪があると説きます。「ので、善行に励みなさい」といった感じで人々にモラルを求めるような意味合いも込められたりします。
ところで、欧米キリスト教圏の人々にとって、リンゴが象徴するものはこの知恵の実かiphoneが主であるようです。次いでニュートンやウィリアムテルといった感じでしょうか。余談になりますが、apple社のロゴはニュートンから来ているそうですけど、ニュートンの逸話自体の真偽は定かではなく、万人に受ける話になるように知恵の実が組み合わされた可能性もあるそうです。それくらい一般的なイメージなのですが、その割には進撃まわりで知恵の実が語られることはあまり無いように思います。
それはさておき、この失楽園の話は人間についての示唆に富んでいると思います。
アダムとイヴは知恵の実を食べたことによって善悪の概念が生まれ、裸でいることを恥じて体を隠すようになったとされています。恥ずかしいというのは、比較するものがあって初めて生まれる感情です。自己と他者の明確な区別を前提とし、自分を客観視することによって他人と異なる部分を見出しているわけです。まさに自我そのものです。
前回書きました、人間が知能を発達させることによって意識・自我を獲得したことと、知恵の実を食べて自我が生まれたことが完全に一致しています。すなわち知恵の実とは、まさに人間が人間である最大の特徴、意識や自我の獲得を表しているんですね。動物たちは裸でいることを恥ずかしいなんて思いませんし、善悪の概念もありませんから罪を感じることもないでしょう。罪とは概念であり、人間が知能を得たことによって生まれたものです。だから知能を持つ人間は生まれながらにして罪から逃れられない、となるのです。
そして、アダムとイヴは善悪の概念が生まれたことで理解してしまったんです。自分たちがいた場所が楽園では無かったことを。「神が楽園から追放した」なんてファンタジーではなく、彼らが知能を得たことによって景色が変わったのです。
失楽園、すなわち「失われた楽園」とするなら、lost paradise の方が自然な表現だと思います。でも paradise lost と表記するということから「楽園を失った」、つまり失くしたことの方に主眼が置かれていると考えられます。lost というのは通常なにかを失くしたというニュアンスで使われますから、神に奪われたというよりはアダムとイブが自ら失ったことが主題なんだと思います(2巻5話)
-イヤ…違う…
-地獄になったんじゃない
-今まで勘違いをしていただけだ
-元からこの世界は 地獄だ
その喪失は、”知った”ことにより起こったのです。
さて、前置きが長くなりましたが本題にまいります。
042 新説 壁の王 では、イェーガー翁(エレン、ジークの祖父)の語る歴史は信憑性があることを述べました。そこには歴史の真実が隠されていると思います。そして、どうも引っかかる点が民族浄化のくだりにあります(21巻86話)
-巨人になる力を持った「ユミルの民」は
-他の民族を下等人種と決めつけ 弾圧を始めた
-土地や財産を奪い いくつもの民族が死に絶える一方で
-エルディア人は他民族に無理矢理子を産ませ
-ユミルの民を増やした
分かりやすいように書き出してみましたが、「エルディア人は」という言葉を抜いて読み返してみてください。
普通に意味が通りますよね。それは今まで解釈されてきた通り、「ユミルの民」が弾圧をし、無理矢理子を産ませ、ユミルの民を増やしたという意味になります。つまり、エルディア人って主語を改めて言う必要は全くありません。それを”わざわざ”言い直してるんです、「エルディア人は」って。
つまり、イェーガー翁はエルディア人とユミルの民を区別しています。そして、ユミルの民を増やした、つまり民族浄化を行ったのはユミルの民ではなく、エルディア人だと言っているんです。
それを踏まえて・・
イェーガー翁の語る歴史によれば巨人大戦は80年前とのことです。このグリシャへの指導は817年と考えられますので、約80年前とすれば737年前後、壁内への移住完了が845-102=743年とすれば時系列に問題はありません。その巨人大戦の前1700年ほど民族浄化があったようです。そして契約が1820年前と言っていますから、契約から民族浄化が始まるまでは約40年になります。民族浄化を”約”1700年と考えたとしても、多めに見ても100年くらいでしょう。簡単にまとめると、
1820年前 始祖ユミルの契約
40~100年ほど エルディア帝国建国、大陸の支配者
1700年ほど 民族浄化
80年前(737年頃)巨人大戦
0年前(817年)グリシャに指導
始祖ユミルやその子孫がかなり頑張ったとして、100年足らずでどれだけユミルの民が増えるのでしょうか。国? 帝国? せいぜい親戚一同とか良くて一族とかって規模にしかならないのではないでしょうか。
すると、前述したことと一致してきます。そこにはユミルの民以外の誰かがいて、やっぱりエルディア人とユミルの民は別なんです。じゃあエルディア人って何なのかって、普通に考えれば「人間」ですよね。人間が巨人の力を利用して古代マーレを滅ぼして、さらにその軍事力を増すためにユミルの民を増やし続けた、そんな光景が容易に思い浮かびます。どこかの近代マーレがやっていたことと何ら変わりません。歴史は繰り返すんです。
さらにそれを踏まえて・・
これは以前からよく言われていることですが、契約の絵は怪物の方が始祖ユミルだという説があります(13巻54話)
-この子みたいな女の子のことかな
(中略)
-いつも他の人を思いやっている優しい子だからね
このヒストリアが子供の頃読んでいた本で少女を指差しており、それがクリスタと思われることからも推測ができます。でもこれだけでは契約の意味も分からず、50%の確率で当たるか外れる予想に過ぎませんでした。
でもみなさんはもう知っています。リンゴは知恵の実の象徴と考えられ、知恵の実とは知能、すなわち意識や自我を意味することを(21巻86話)
この絵だけでは、少女はリンゴを差し出しているのか受け取っているのか分かりません。でもリンゴを意識や自我だと知っていれば答えは簡単です。人間は既に意識を持っているわけですから受け取っても意味がありません。つまり差し出していることになり、怪物が知能を受け取ることになります。人間が意識や知能を失ったところで巨人になるわけがありません。ただの獣になるだけです。つまり、あの怪物のような何かが人間から知能を受け取ったことで、巨人の力を得たのだろうと考えられます。先述した、人間によって利用されたこととも合致しますよね。
すると契約とは、まさに失楽園のエピソードを踏襲したものとなってきます。
今まで意識や自我を持っていなかった始祖ユミルは、知能を得たことによって楽園をロストしてしまったんです。この世界が楽園などではなく、残酷な世界だったことを知ったんです。何も知らなければ気付かずにいられたはずなのに(18巻73話、13巻53話)
-そこで初めて知ったんだ
-オレは不自由なんだって
-俺がそれに気付いたのは数年前からだ
-なんせ生まれた時からずっとこの臭ぇ空気を吸ってたからな
-これが普通だと思っていた
エレンもリヴァイも「不自由であること」を知るまでは、自由かどうかなんて考えなかったんです。知りさえしなければ、不自由だなんて思わないまま暮らしていたかもしれません。「不自由だ」と思いながら生きる人と、知らずに「自由だ」と思い込んで生きる人、果たしてどちらが自由なのかは非常に難しい問題です。
動物たちは「私は不自由だ」なんて考えないでしょう。彼らは寝たい時に眠り、お腹が減ったら他の生物を食べるだけです。彼らは自由でしょうか、不自由でしょうか。人間が同じことをやると無法だなんだと言われそうですが、生きる為に必要な時だけ食べる(他の生物を殺す)動物と、必要なくても無駄に殺す人間、果たしてどちらが無法なのでしょうか(28巻112話)
-無知ほど自由からかけ離れたもんはねぇって話さ
本当にそうでしょうか。知らない方が自由だと言うこともできるんじゃないでしょうか。動物園の檻に入れられた動物は、人間の都合の良い時に餌を与えられ、人間に都合の良い範囲の中だけで暮らしています。それでも彼らが不自由を感じているとは言い難いと思います。それこそ、不自由だと感じるという悲劇が起こるのは、彼らが知能を得た時なんじゃないでしょうか。
ただし、エレンの言うことも間違っていません。私たち人間は知能を持っていて、動物のように何も知らない状態には戻れません。であればどうしたって不自由であることを知ってしまうことになります。不自由を感じたならば、自由になりたいと思うのが自然な感情です。つまり、知能というのはその存在からして自由を求めることが宿命づけられているようなものなんです。
だから、なぜ自由を求めるのかと問われれば(4巻14話)
-オレが!!
-この世に生まれたからだ!!
知能が存在するゆえ、ということなんです。
人間の知能が発達したのが生き残るためだったとすれば、それはまさに自由を求めて生まれたことになり、そしてその性質ゆえに永遠に自由を追い求め続けるものなんだと思います。エレンは、いや進撃の巨人とは、まさにその体現者なんでしょう。
なんか哲学っぽくなってきて終わらなくなるので止めますが、この物語の本丸はここにあると考えています。
次回に続きます。
・・そんなこんなを考えていると、できるだけ何も知らない状態に近づけて楽園を取り戻そうとした、壁の王の心情も今なら理解できるような気がするのでした。
-おまけ-
こうして知恵の実を持ち出すとキレイに繋がる、と思っていただけたかどうかは分かりませんが、リンゴが重要な場面に描かれているにも関わらず、聖書に言及されることがそれほど多くなかったのって不思議ではありませんか?
よくよく考えてみると、これもやっぱり”敵は本能寺”だと思うんです。
全体的に「進撃は北欧神話だ」という雰囲気があって、なんとなく聖書には目が向かなくなっている感じを受けるのですが、なぜかと言えば作者が北欧神話との関連を明言したからなんじゃないかなと思います。「作者が言っている」わけですから「進撃は北欧神話」であって他の神話は関係ない、みたいな感じです。
でも、そもそも巨人が出てくる時点で北欧神話との関連を言い出す人は出てきたはずです。さらにユミルとかウトガルドとかそのまんまな名前が出てきた時点で、ググれば誰にでも分かることです。作者が言う必要性が全く無いんですよね。それをわざわざ先回りして明言しているあたりに「マブラヴ」と同じ匂いを感じて仕方がありません。バイアス、かけられてるんじゃないでしょうか。
ほんとこの作者のコメントは危険だなぁ笑
-おまけおわり-
本日もご覧いただき、ありがとうございました。
written: 27th Dec 2018
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