進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

100 世界観 ⓪ 始祖ユミル


!!閲覧禁止!!


この記事は”連載が終わってから”お読みください。これは言わば未来の自分への手紙を埋めておく的なアレで、連載完了後にお読みいただいて外れてたら指差して笑ってもらおうという企画です。ですのでそれ以前に読んでしまうと、みなさんがこれから得られるであろう驚きや楽しみを損なう可能性を孕んでいます。どうぞ連載の完了をお待ちくださいませ。それでも、と思ってしまった方も必ず次の記事 101 パンドラの箱 を先に読んでから、未来を覗くかもしれない行為について今一度自己責任にてご判断ください。

 

 

 

 

 

 

 

この記事は当ブログの過去の記事をご覧いただいていることを想定して書いています。最新話のみならず物語の結末までを含む全てに対する考察が含まれていますのでご注意ください。当然ネタバレも全開です。また、完全にメタ的な視点から書いてますので、進撃の世界にどっぷり入り込んでいる方は読まない方が良いかもしれません。閲覧に際してはこれらにご留意の上、くれぐれも自己責任にて読むか読まないかをご選択いただけますようお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。注記の無いものは全て30巻122話からのものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


[始祖ユミル]

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2020年の終わり頃(?)のみなさんこんにちは。それ以前のみなさんもこんにちは。今回は始祖ユミルについて今まで考えてきたことなどを詰め込んでみました。どうしても内容が最終回の予想みたいな話に繋がってしまいますので、それを先んじて書くにあたっていろいろと警告などさせていただきました。でもお読みになるとご自身で判断された以上、私はあなたの読もうという意志は尊重いたしますので楽しんでいただければ幸いです。それとこの記事に書いたことは他の記事では一切触れませんので、もしツッコミや疑問点などがあればこちらでお気軽にコメントしてください(ただし連載完了後にいつまでコメントをお返しできるかは不明です。)また、詰め込みすぎてクッッッソ長い上にめっちゃ早口みたいになってる点はご容赦ください。

それでもひとつだけお伝えしておきたいのは、全てが合っていることはないでしょうし、全くの的外れである可能性も普通にありますが、もし万が一にでも一部分、あるいは大まかにでも合っていたとすれば、私なら先に知ってしまったことを後悔するかもということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、101 パンドラの箱 の記事はお読みいただいてると思います。そちらでは未来が過去を生みだすならば、進撃の世界はよくあるツリー状の分岐する世界観ではなく、まさに並行世界という言葉があてはまるような世界観で見るべきではないかというお話をしました。そしてその並行する世界が意味する事のひとつとして、「今までの道」と「今の道」の過去が必ずしも共通しておらず、全く新しい世界である可能性があると述べました。

たとえば854年に視点を置いた時、ジークとエレンの行動によって845年における過去の行動が変わったことになります。そして845年のことがあればこそ、それ以降の出来事も起こり得ます。これを大局的に見れば、845年という過去から未来までの歴史が新たに創造されたと捉えることができます。

過去が原因となって未来を作り、未来が原因となって過去を生み出す。そうして創り出された真新しい世界が「今の道」であるとするなら、845年よりもっと前のことも、それこそ歴史の原点でさえも同様にして「今の道」の中で生み出されたのかもしれない、

 

そう考えた時に、それと疑わしい事柄がひとつあるように思います。

 

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-決めるのはお前だ
-お前が選べ

エレンがグリシャと結びついたのと同様に、これもそうであるかもしれません。その意味するところは、(21巻86話)

 

 

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これこそが作中の伝承で言われている「契約」であり、(31巻123話)

 

 

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この人こそが「大地の悪魔」である可能性があるということです。

 

 

このこと自体はネット上でもけっこう言われていた気がしますので、細かい理屈は抜きにしてそんなイメージを抱いている方も多いかもしれません。でも、ここにはひとつ大きな矛盾が存在しています。

 

なにせ、巨人の歴史に苦しめられていたエレンが巨人の歴史を生み出したことになってしまうわけですから。

 

エレン・イェーガーという人は言うまでもなく巨人の歴史の最たる被害者の一人です。巨人によって親や先輩、仲間たちや故郷を奪われました。そしてそれらは過去に巨人族の中で起こった様々な出来事、すなわち巨人の歴史によって、彼や周囲の人々が生まれた時から置かれていた立場が原因だったことが分かっています。

そんなエレンは巨人の歴史に苦しめられたので、それを終わらせようと考えました。このことを逆から考えれば、初めから巨人の歴史が無かったとしたら巨人の歴史を終わらせようとは”絶対に”思うはずがないですよね。無いものを終わらせる発想なんて出てくるはずがありません。

「私たちの選択によって異なる未来が待っている」といったような通常の世界観では、必ず元となる世界線が存在しなくてはなりません。この場合だったら「巨人の歴史がある」という元になる世界線が存在することで初めて「巨人の歴史を終わらせるor終わらせない」という選択肢が生まれるわけです。つまりエレンが巨人の歴史を終わらせようと思うためには、まず巨人の歴史が存在しなくてはいけません。それをエレンが生み出すというのは矛盾してしまいます。ですからエレンは大地の悪魔であるはずがないという結論が導き出されることになってしまいます。


でも今までみなさんには、まるで進撃と関係ないかのようなクソ長ったらしい説明にお付き合いいただきました。それによりみなさんは過去とか現在とか未来などと呼ばれているなにかが同時に存在し、それぞれの瞬間において同時に選択が行われることで、相互に影響し合いながら新たな世界を創り出すという観点をお持ちいただけてるかもしれません。

その観点から言えば、ジークの選択によってグリシャの選択が変わり、そのグリシャの選択によってジークの選択肢が生まれたことと全く同じことです。逆にその観点が無ければ、もし漠然と「エレンが大地の悪魔かも」と思ったとしても決してツジツマが合うことはないということでもあります。

 

そこで改めて強調しておきたいのですが、

 

ジークが連れていく(原因)→ グリシャが殺す(結果)
グリシャが殺す(原因)→ ジークが連れて行く(結果)

 

ここに原因と結果の円環構造のようなものができています。それをカタカナで言えばループなんですが、よく言われる”人生やり直し”みたいなループとは全く意味合いが異なりますので混同されないようご注意ください。同様に、

 

エレンが始祖ユミルに関わる(原因)→ 始祖ユミルが巨人の力を得る(結果)
始祖ユミルが巨人の力を得る(原因)→ エレンが始祖ユミルに関わる(結果)

 

ジークの件で描かれているのと全く同じ構造を見て取ることができます。この円環構造こそがこの作品における最大のキモと言えるかもしれません。

 

 

 

それはさておき。

 

 


まず、座標にてエレンが意識を取り戻した時、すでにジークは待っていました(30巻120話)

 

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ここでジークの言っていたことがどこまで本当なのかは分かりませんが、少なくともエレンが気付いた時にジークがそこにいたのは間違いありません。つまり正確な期間は分からないとはいえ、ジークはエレンより長い時間を座標で過ごしたと考えられます。でも彼らは同じ瞬間に座標へ跳んだはずでした。

そしてまた、彼らが座標で何日、あるいは何年過ごした感覚なのかは分かりませんが、その全ての期間が現実世界では一瞬のことでしかありませんでした。その同じ一瞬であったはずのエレンとジークでも、座標での時間が異なっていたということになります。

これらのことから、現実世界の時間と座標での時間には一切の関連性が無く、また人それぞれでも一致してないことが確認できます。


さて、始祖ユミルは現実世界での二千年にも及ぶ期間、座標にて巨人を作り続けていたらしいです。では仮にその始祖ユミルが現実世界に戻るとしたら、いつの時点に戻るのでしょう。

 

普通に考えれば、二千年前に戻る可能性が高いと考えられるのではないかと思います。

 

先に確認した通り、座標で過ごした時間は現実では一瞬であってもおかしくありません。そしてエレンよりもジークの方が座標にいた期間が長かったように、彼らより始祖ユミルが長い期間いたとしてもなにもおかしいことはないはずです。

 

 


次にもう一点、おそらく混乱を招きかねない部分を取り上げておかねばなりません。

 

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ここから続く場面を普通に解釈すれば、始祖ユミルはフリッツ氏をかばって死んだことにより座標に跳んだと読めるように思います。でもこれはミスリードが絡んでいるかもしれません。その理由は始祖ユミルの姿にあります。

 

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座標にいる始祖ユミルは三人娘を生んだ後の姿とは明らかに異なり、少女時代のユミルのままでした(以下、巨人の力を得た後の「始祖ユミル」と明確に区別するため、人間の頃の少女ユミルのことを「ユミ子」と呼ぶことにします。)

座標での姿がユミ子と同じならば、その時点で時が止まっているような感じに捉える方が自然なように思います。しかもそう解釈すれば、止まってる一瞬の間に座標でエレンもしくは進撃と「契約」を交わして「巨人の力を得た」というのが、作中の伝承とも不思議と重なり合ってくることになります。

 

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やはり始祖ユミルとエレンの接触こそが、巨人の歴史の原点を未来が生み出した瞬間だと考えた方がしっくりくるように思います。

 


巨人の歴史を終わらせようとして巨人の歴史を生み出したとしたら、それはまるで皮肉のような話ではあります。でも仕方のないことでもあったのかもしれません。

 

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当時のユミ子はまさに死と絶望の崖っぷちに立たされていました。まだ幼い彼女にどれほどの罪があったというのでしょう。でもそんな絶望の中で鈍く光るものがあったのかもしれません。この場面のユミ子が涙したのはきっと「死にたくない、生きたい」と想ったからではないでしょうか。

 

以前の記事で進撃とは始祖ユミルの「生きる意志」ではないかと論じました。その理屈に従って解釈すれば、「生きる意志」が「悪魔」に成り果てたということになります。

 

あらゆる生物は生きるために戦います。地鳴らしの根本は自分たちパラディ島のユミルの民が生き延びるために戦うということです。そして自分たちが生きるために、他者を犠牲にするということです。翻ってユミ子の境遇を想えば、彼女も誰かの犠牲だとかを考える余裕は無かったかもしれません。自らの命が脅かされている時、まずは自らの”生”を確保しようとするのが生き物の本能だと思います。もちろんそれはユミ子に限ったことではなく、誰だって、どんな生物だって、まずは自分が生きることを最優先として戦うのです。

でもその時、やっぱり誰かが踏み潰されたりします。あるいは、ある生物が生きるために他の生物が捕食されて命を絶たれるのも同じことです。誰かが生きるためには誰かが犠牲になっているのです。

 

生きる意志とは誰もが持っているとても大事なものですが、それはまた誰もが持っている鈍く光る凶器でもあるということなのだと思います(31巻125話)

 

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-そいつは俺の中にもいる
-カヤの中にも 誰の中にも
-みんなの中に悪魔がいるから…
-世界はこうなっちまったんだ

誰もが自身の生きる意志に従い、自分が生きることしか考えなかったとしたらどうなるのでしょう。自分が生きることは自分にとって大正義であることは間違いありません。ならば自分が生きるのに都合が悪い他者は悪者になってしまいます。であればその他者を「悪魔」と呼び、痛めつけ、蹂躙するかもしれません。そうすることで自分が生きられるからです。もちろんそこに遺恨が生まれ、それがさらなる遺恨を生みだしていくことになるとはいえ。

つまりそうやって悲劇の連鎖を生むもの、人をそのように駆り立てているものの根源とは、生きようという原初的な欲求だったということになるのだと思います。その欲求が時に集団への盲目的な帰属意識(正義の信奉)や承認欲求などへと形を変え、他者を踏みにじるような行動へと繋がっているのだと思います。そしてその時、他者から見れば自分はまさに「悪魔」と呼ぶにふさわしいものとなっているかもしれません。

 

だからこそ、自分が生きるための自分の都合だけではなく、相手の都合も考えないと止まらないよね

 

というあたりが、生きる意志たる『進撃の巨人』を表題に掲げたこの作品の主題なんじゃないかと思います。作者が決して生きる意志を肯定するばかりでなく、良い面と悪い面の両方から客観的に描き出していることからもそんな感じを受けます。そしておそらく「巨人」というのは、生きる意志に潜む凶暴性のメタファーなんじゃないかと思います。

 

 


ところで・・

 


先ほどはサクッと流したのですが、二つほどひっかかりそうな部分があるはずなので話を巻き戻します。

 

まず一点。座標の始祖ユミルがユミ子の時点で止まっているものだとするなら、巨人の力を得てから三人娘を生んだあの始祖ユミルは一体なんなのかという問題が残ります。

さらにもう一点。進撃が大地の悪魔だったとするならば、あの古生物は一体なんだったのかという話にもなってきます。

 

この二点を合わせて考えていきましょう。


まず現実的に考えて、生きる意志がどうこうしたからって人間がいきなり巨人になるなんてことは起こり得ません。作中でも他国に普通の人間がいることから同様と考えられますので、実際的にはあの古生物との接触が原因であることは間違いないと思います。

 

そこでまず、あの古生物について少しおさらいしておきましょう。

 

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この木とあの古生物がユグドラシルとニーズヘッグをモチーフにしているのはほぼ間違いないでしょうが、それはいいとして。

まずここから読み取れるのは、この木だけがこの森の中でも異常に長命だということです。あるいは異常に成長が速いという可能性もあり得ますが、ニーズヘッグをなんとかっていう古生物に似せて描いていることから、これは古生物だよ、つまり長命だよと主張されていると考えます。

なぜ長命なのかと考えてみれば、あの古生物が根っこに寄生しているからだろうという推測が当然のように成り立ちます。そこから逆に、他の木々にはあの古生物はいないだろうという推測もできます。

そんな他では見られないような古生物がここだけに存在しているとすれば、あの地底湖というか水たまりにはかなり古い水質が保たれているかもしれないと考えられます。原初の海は言い過ぎだと思いますが、近い感じかもしれません。まぁ水質自体はどうでもいいのですが、なぜあの古生物が生きていけるような環境が保たれているかといえば、あの木が守っているような感じなのだろうと推測することができます。

 

つまり、木と古生物はお互いがお互いを支え合う共生のような関係にあると考えられます。

 

そして森の中でもずば抜けて高いあの木は、相当長い期間をその共生関係によって生き延びてきたと思われます。人間の尺度で言えば不死に近いとも言えるかもしれません。ところで寿命というのは生物が進化の途上で獲得した”能力”です。あくまで獲得した能力であって、最初から当たり前にあったものではありません。微細な生物や細胞を含めれば寿命を持たない生物の方が多く、寿命を持つというのは実はマイナーな能力です。より原初に近いであろうあの古生物が不死だったとしても、そんなに不思議なことでもありません。

 

 

次に、以前 生命 という記事群で書いたことを思い出していただけたら幸いです。

当該記事では、ユミルの民は人間ではなく巨人族と呼べるようなものと強調することから始まり、失楽園を例にそれまで知性を持たなかったものが知能を得るということや、社会性昆虫などの生物における個体そのものに機能を分担させる仕組み、そして共生をキーワードにしてミトコンドリアにまで生命の起源を遡りました。(ただし大地の悪魔の呼称に関してはピントが外れていました。あと鳥そのものも関連してこなさそうなので、そのあたりは忘れてくださって結構です笑)

 

実際の本編ではミトコンドリアまで遡ることはありませんでしたが、記事でミトコンドリアとして書いていたことをそのままあの古生物に置き換えて考えると色々とツジツマが合ってきそうです。

まず、あの古生物と人間であるユミ子が、共生のような関係になって巨人族の血統が生じたことは誰の目にも明らかだろうと思います。そうして出来上がった始祖ユミルですが、それがユミ子なのか古生物なのか半々なのかは答えが出なさそうですので、とりあえず混じったようなものとしておきます。そこで古生物部分の視点に立つならば、それにとっては初めて人間という生物や、その人間独特の知能というものに触れることになります。そんな感じで、今まで人間や知能というものを見聞きしたことがなかった者が初めてそれを知り、学習していってると考えてみると、様々なことが思いがけず綺麗にはまってしまいそうなのです。

 

ぜひ古生物になったつもりで、初めての邂逅をイメージしてください。

 

 

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-フリッツの名の元
-憎きマーレを滅ぼせ

「ああなるほど、この宿主はフリッツという人間の命令を聞くのが役割なのか」

 → フリッツ王家の命令が絶対であるというルール

 

 

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「ああなるほど、この人間という生物は13年たったら不死であっても生きる意志を失って死のうとするのか」

 → ユミルの呪いと呼ばれる、力の獲得後13年で死ぬルール

 

 

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「ああなるほど、この生物は祖先を食べることによってその能力を引き継ごうとするのか」

 → 巨人化能力の継承ルール

 

 

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「ああなるほど、人間というのは同じ種であっても余所の人間は殺して、自らの血統の子孫を増やすのが生存戦略なのか」

 → 民族浄化

 

同種間での直接的な殺し合いというのは生物界ではマイナーですので、他の生物から見れば人間は生きるために同種と戦う特徴があると捉えられると思います。他の生物は戦うといっても、基本的に他種を一方的に捕食するか、他種の捕食から身を守ることがほとんどです。同種殺しっていうのは人間の特殊な一面と言えるんですね。また、生きるためには同種である人間を殺すという理解があったとすれば、「戦わない=人間を殺さない」ことは「生きるための行為をしない」と同義ですから、不戦の契りでの副作用にも繋がってくるかもしれません。


こんな具合に古生物の視点から見れば、「人間という新たな宿主はこういう風に種の存続をしているのか」と学習しながら、新たな共生生命である「ユミルの民」の性質を決定していってる感じに見えます。そして人間の目から見れば不可思議なものでしかなかった巨人の性質に、ことごとく綺麗に説明が付けられてしまいます。

 


少し余談っぽいものを挟みますが、ユミルの民が人間体から巨人体に変わるというのは、おそらく意識と無意識の綱引きのメタファーでもあるんじゃないかと思っています。

無垢巨人というのは何かを考えるでもなくただただ行動しているように見えます。少し言うのを憚られる話ではあるのですが、無垢巨人の挙動が脳に損傷を負った人間の挙動と似た感じであることは誰もが感じていたのではないかと思います。たとえば私たちが背筋をピンと伸ばして立ったり、腕をまっすぐ規則正しく振って歩いたりするのは、理性によってそのように自分の身体を律しているからです。気を抜いたらだらしない姿勢をしていたなんてのもよくあることですし、神経などを損傷すると思うように身体を律することができなくなります。私たちは意識的にちゃんとした姿勢を取ろうとし、そうでない巨人のような挙動を珍妙なものとして見ていますが、人間から理性や意識を奪ったら他人からどう見えるかを気にしなくなって、それこそ巨人のような挙動になってしまうかもしれません。

さらに単純な生物や知能を持たない生物がそうであるように、ただただ捕食を繰り返して生きているだけみたいな様もまさに本能によるもの、つまり無意識的な行動と考えられます。でも人間は理性を伴う知能を持っていますから、集団の中でどうあるべきかといったことを考えながら行動しています。理性によって本能を押しとどめているわけです。それがユミルの民の人間体であり、もちろんそれは人間であるユミ子由来であると言ってよいだろうと思います。

でもフリッツ氏は巨人であることを有り難がって、「巨人の力を得たい」という意志の表現として始祖ユミルの肉体を食させました。だから肉体を食うことが巨人の力を得ることに繋がったのでしょうが、その巨人の力とは古生物由来のものですから、古生物がまさに寄生した箇所である脊髄を食すること、つまり脊髄液の摂取がトリガーになったということだと思います。

これらを俯瞰すると、意識を持った人間体(≒理性)から無意識の巨人体(≒本能)への変化という図式になっていると思います。

私たちは普段、意識だけを主体にして考えながら生きている感覚が強いと思いますが、今までの記事でも書いてきたように無意識の影響というのは計り知れないものです。それは人間の行動もおよそ全ては生きること、すなわち自らの種を保存することに基づいていることからも分かります。たとえば三大欲求と呼ばれるものを思い浮かべてみれば、そのどれもが衝動であり無意識から湧き上がってくる欲求です。私たちはそれを理性によって抑えたり、やっぱり抗いきれなかったりしますよね。このように理性と本能、あるいは意識と無意識は常に綱引きをしているような感じで、それが人間体と巨人体に投影されているのだろうと考えます。

そういう意味では知性巨人というのはまさに中間にあるわけで、ユミ子側(意識)でも古生物側(無意識)でもなく、まさにユミ子と古生物が混じり合った始祖ユミルそのものの一部と言えるように思います。アッカーマンは人間体のまま巨人の力を使えるわけですから、中間よりもだいぶ人間寄りなイメージでしょうか。

 

閑話休題

 

話を戻します。古生物が人間の性質を学習していってるようだと書きましたが、記憶や経験などを元に様々なルールを作っていくというのは超自我の役割そのものです。そう考えると「共生生命ユミルの民」のルールができていくことは、古生物にとっての超自我の獲得であり、ユミルの民全体としての超自我の発達とも捉えることができます。超自我は心の三要素の中でも一番最後に生じると考えられていますから、原初的な欲求であるエスしか持たないであろう古生物が、初めて超自我を持ち得る高い知能を得たと考えるとピッタリはまってきます。そしてそれがユミルの民全体に影響を及ぼすということは、「道」というのはひとつの集合体的な生命としてのユミルの民の心のようなものでもあり、ユミルの民の歴史というのはその心が葛藤しながら成長していく心の動きの具象化のように捉えることができると思います。

ただし心の要素であるエスの役割をエレンが、超自我の役割をアルミンが持つなんてのは人間の視点では考えにくい話です。ところが地球上には社会性昆虫などのように「あなたの生涯は子供を産むだけの役割」「あなたは巣を作るだけの役割」「あなたは戦うだけの役割」ということを実際にやっている生物が存在しています。であれば心の性質も含めた生きるための機能を各個体に分担させることは”古生物の視点から見れば”別に不思議なことではないと言えるかもしれません。

たとえばあの古生物が一匹だけで生き永らえていたのならば、不死であるか単体での自己複製をするということになるでしょう。それは”性”という概念が無いことを意味します。そのためかは分かりませんが巨人は性器や性徴がありません。すなわち”無性”なわけですが、女型だけは”有性”に近い感じに見えます。これもやはり社会性昆虫を参考にすれば、女王アリしか子を産まないといった具合に”性”というものもひとつの役割的な性質と捉えられ、女型はその性質を具現化したようなものと考えられるように思います(ただし巨人は不死なので実際には繁殖機能は無いと思われます。) でもやっぱりこんな発想は”性”を持たない古生物の視点からじゃないと出てこないように思うんです。


さて、これまで書いたことに少し違和感があるかもしれません。

 

知性との邂逅、そこからのルール作り(超自我の発達)、個体への役割分配、これら全てはユミルの民の根幹たる特徴を成すものだと思います。でも、そのどれもが古生物視点なんです。私さっきから「古生物の視点では~」みたいなことしか書いてないんです。もちろん人間体はユミ子由来ということになると思いますが、それも普通の人間そのものではありませんよね。「道」の影響を受けたり、脊髄液の摂取で巨人になったりなど、どうにも古生物の影響力が強く感じられます。人間と古生物が混じってできた共生生命なんて言い方をしましたが、どうにもユミ子の意志のようなものが全く見えてきません。

 

そこで彼らのファーストコンタクトに注目したいのですが、

 

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ユミ子は大きく息を吐ききった後、呼吸が止まっているかのように見えます。それはつまり既に死んでいるか、死ぬ寸前の仮死状態といった感じではないかと思います。そこに古生物がまとわりつき、おそらくは脊髄に寄生した感じになると思います。

 

わざわざ息をがばっと吐いた描写を入れる意味を考えてしまいます。

 

ここでまた古生物の視点で恐縮なのですが、寄生生物っていうのは当たり前ですけど自分が生きるために寄生します。ですから宿主に死んでもらっては困りますよね。もちろん死体を利用するケースも考えられるんですが、その場合は死体を利用するだけして朽ち果てる前に次の宿主を見つけるような生態になると思います。でも先ほどから見てきた通り、古生物はせっせと人間の生き方を手探りで学び取りそれを基にユミルの民の性質を作っていってるようです。それは如何にして宿主と自分の種を繋ぐかということであり、

 

 

見方によってはこの方、死にかけてるユミ子にずっと「生きろ、生きるんだよ!」って言ってるようなものではないかと思うんです。

 

 

そういえばまさにそれを言っていた人がいました。

 

つまり、

 

それが古生物であり無意識であり進撃でありエレンであり大地の悪魔であり原初的欲求であり、そして「生きる意志」であり、

 

 

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二千年前の君が持っていたはずの生きる意志を、

 

 

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二千年後の君に、なんとかして思い出させようとしていた、ということなのかもしれません。

 


幼くして奴隷の身分にあったユミ子は、誰かの意志に従うことだけが生きる術でした。しかしその誰かに拒絶された時、生きることさえ許されないような立場に追いやられました。だからその誰かに価値を認めてもらえなければ、自分は生きる価値がないということです。そして人間は自分の価値を確認するために、時に自らを投げ打ったりしてしまいます。

 

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そして価値を認められないと生きる意志さえ見失ってしまったりします。これは知能が高いことの弊害とも言えるかもしれません。誰でもそんな感じになる可能性はありますから、それは一見、人間とはそういうものなのだと思えてしまいそうです。

 

 

でも本当は、その心理の奥深くはそうじゃないんだろって。

 

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-待っていたんだろ ずっと
-二千年前から 誰かを

 

本当は、誰かに認められるとか自分に価値があるとかないとか、そんなことは関係なく「ただ生きてていいんだ」って思いたかっただけなんだよなって(18巻71話)

 

 

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-だからこの子はもう偉いんです
-この世界に 生まれて来てくれたんだから

 

そう思いたかっただけなのに、いつの間にか自分の価値を認めてもらうことに一生懸命になってしまってたんだよなって。そして自分の価値を認めてもらうための役割を果すことに囚われてしまって、それをしてないと自分に価値が無いと思い込んでしまって、自分が生きていることにさえ否定的になってしまったんだろって。

 

 

だから原初的な生きる意志であり無意識でもあるエレンが、ユミ子の意識に伝えに行ったということなのかもしれません(16巻66話)

 

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-自分なんかいらないなんて言って
-泣いてる人がいたら…
-そんなことないよ って
-伝えに行きたい

 

そんなことないよ、って。

 

 


それはつまり、「生き方を教えてる」ということですよね(12巻50話)

 

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-生き方を 教えてくれてありがとう

 

 

 

こうやって考えていくと、やはり「道」というのはユミ子の心そのものであるような感じがしてきます。ユミ子の時間が止まっていたかもしれないこと、そしてユミ子が死にかけるような描写があった上で古生物が生きろと語りかけているかのようなことを合わせて考えると、全てはユミ子と古生物が接触したあの瞬間の出来事という可能性も考えられるように思います。

 

作中では、始祖ユミルの想いなんかが「道」を通じてほのかに影響を与えているかのように、人々の行動が重ねられて描写されてきました。

 

たとえば、子供を授かりながら憂鬱な表情を見せたりします(27巻107話、30巻122話)

 

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まだはっきりとは分かりませんが、他者を踏み台にして自分の血縁を繋ぐことへの罪悪感みたいなものでしょうか。まるでトレードオフのような自身の血統の生と他者の死といった趣があるように思います。同時にマタニティーブルーと重ねているかもと思いますが、その意味は後述します。

 

あるいは、

 

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他の人のために自分の命を捧げることで、自分の価値を認めて欲しいという行動をします。これはアルミンやジークを始めとして該当しすぎるので例示しません。ここで槍が刺さってるのがまさに心臓であろうことも、心臓を捧げる思想との関連を感じさせます。

 

これらは先だって説明した古生物によるルール作りと同じように捉えられますが、少しだけひっかかりを覚えたものがあります。

 

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罪を指摘された時、それをみんなのために受け入れます(22巻89話、25巻99話)

 

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はたまた、

 

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ここは結婚に対して憧れるような感情の表現だと思いますが、(22巻89話、10巻39話)

 

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-まだお前と結婚できてないことだ

 

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-結婚しよ

おそらくこれも重ねてきているのではないかと思います。

 

でもこれらは、先の例とは異なり始祖ユミルというよりは、古生物と出会う以前のユミ子の記憶が元になっています。つまり、古生物が始祖ユミルとして体験したことではなく、ユミ子の記憶に干渉していると捉えることができるのではないかと思います。そしてユミルの民の性質がどうも古生物だけが主体になってることも合わせると、ファーストコンタクト以降の出来事は古生物が死にかけのユミ子の精神に干渉して生み出した世界であるとも考えられるように思うのです。

 

とはいえこれに関しては脳内であれ地続きの世界であれ、どちらとも取れるように思うので正直よく分かりません。もし地続きなのであれば、死にかけのユミ子の肉体を古生物がほぼ支配する形で始祖ユミルが成り立っていたと捉えるべきかもしれません。

それともし精神世界のようなものだとしても、私たちが普段考えるような夢や妄想という概念とは必ずしも同じではなくて、そこも現実世界と変わらないれっきとした「世界」であるイメージだろうと思います。

フラクタルの話なんかもしましたが、銀河がネットワーク状になっていて、私たちの脳内もネットワークになっていて、「道」もネットワークになっています。私たちの住む宇宙全体を含む「世界」はさらなるネットワークの一部でしかないかもしれませんし、であれば私たちの中にあるネットワークの内にも「世界」があるのかもしれません。

そして私がどちらかというと精神世界の方がありそうに思うのは、もしそうであるなら、その意味するところがこんな感じになるからです。

 

私たち読者が悩んだり葛藤している時も、もしかしたら私たちの心の中でエレンやアルミン、ミカサや104期が戦っているのかもしれないねって。

 

 

 

さて、長くなってしまいましたが始祖ユミルに関してはほぼ終わりです。ただあと2つほど書いておきたいことがありますので、よろしければお付き合いください。本編の予想という意味ではここからが本題のような感じです。

 

 

 


冒頭で原因と結果の円環構造(ループ)の話をしました。根拠はかなり薄弱なのですが、もうひとつループが重なってくるんじゃないかというのがひとつ目です。

 


以前から読んでいただいている方は、私が「アルミンがエレンを食うのではないか」と予想していることをご存知だと思います。ただこれ、少し前から揺らいでおります。というのもこの場面が出てきたためです(30巻119話)

 

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もともとなぜそんな推測をしたかといえば、シガンシナ戦でアルミンへの最大の承認をエレンが言ったにも関わらず、アルミンにはその記憶が無いからでした。ですので承認欲求を繰り返し強調されていたアルミンがそれを知る展開になるだろうと推測したのです。当時は記憶を得るには食うしかなかろうと思っていたのでそうなったわけですが、この場面が出てしまったおかげで今となってはエレンとアルミンが接触すれば記憶が見られる可能性が極めて高いと言わざるを得ません。

というわけで食うか食わないかは正直分からなくなりました。でも始祖を流出させないみたいな意図で食う可能性もまだありますので、否定も肯定もできないもどかしい状態になっています。


ただ、いずれにせよアルミンがエレンの真意かなにかを知って、殺してしまったこと、もしくはそれでも殺さなくてはならない運命を呪うような感じにはなるんじゃないかと思うんですね(2巻5話)

 

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-もう… やめてくれ…

それが接触によるものか、食うことによるのか、あるいはエレンが(もしくはジークが?)座標に連れていくとかなのかは分かりませんが、なんらかの形でアルミンが「道」との繋がりを強めることになると思うんです。そして細かい経緯は分かりませんが、そこでもうひとつの結びつきが生まれるんじゃないかというのが現在の私の予想です。

 


で、その結びつきの相手は145代フリッツ王。

 


つまりですね、それまでのエルディアの歴史になかった145代になっての思想の大転換というのは、親友を殺さざるを得なかったアルミンの「こんな世界はごめんだ」といったような悲痛な記憶や、アルミンの思想が影響したんじゃないかということです。そんなことが起こらないように巨人の力を封印しようとしたとすれば、145代の行動にもある程度の必然性が出てくるんじゃないかとも思います。

 

ほんとに根拠が弱くて恐縮なんですが、まず思想の方向性が妙に似ています。世界のみんなが平和であることを模索している点はもちろんとして、そこに自己犠牲的な部分が付いてまわる点。壁の王にとってのそれは壁の民に対する姿勢にも表れていると思います。壁の王にしてみれば壁の民は自己の分身のようなものであるとすれば、「我々はこうあらねばならない」という考え方は自分に厳しいアルミンと重なってくるものです。

 

そしてなにより、ウーリがケニーに言っていた言葉です(17巻69話)

 

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-だが… 滅ぼしあう他無かった我々を
-友人にしたものは一体何だ?

そこからは、暴力ではなく話し合って互いに分かり合いたいと夢みている感じを受け取れます。これ自体アルミンと同じような思想なんですが、大事なのはその後です(17巻69話)

 

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-あぁ…
-避けがたい真実だ…

ウーリはそれが夢想に過ぎないことを分かっていたようです。ここがかつてのアルミンとの違いであり、言わばアルミンより少し先に進んでいる感じを受けます。そしてここからはなにやら「友と話し合って分かり合いたかったけど暴力の前に無力であった経験」を持っているような感じを受け取れませんでしょうか。だからこそ戦うしかない運命にあったはずのケニーと分かり合えたことを奇跡という言葉で表現し、そこに夢を見ていた(酔っぱらっていた)と考えられます。もともと無理だろうと思ってなければ奇跡なんて言葉は使いませんよね。

 

「友と話し合って分かり合いたかったけど暴力の前に無力であった経験」

 

これ、今後起こりそうなことそのまんまではないかと思うのです。


今までもアルミンと壁の王の思想がなんでそれほど似てるんだろうって考えた時に、アルミンが王家の血を引いてるみたいなことも考えたんです。でも今さら感もありますし、そうであったとしてもそれだけだとちょっと弱い感じがします。今までさんざん隠してきて最後にそれだけ出されたところで「ふーん」ってしかならないと思うんです。ものすごく安易な仕掛けと言いますか。まぁそれが王道ストーリーにありがちなことだと言われるとちょっと揺れるところはあるのですが。

 

でも壁の王がアルミンに似ていると考えてみたら、はまってくる感じがしたんです。おそらくその仕込みのひとつじゃないかと思うんですが(17巻69話、17巻70話、26巻105話)

 

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思考が似ているから髪型も似たようなのを選ぶという感じだろうと思います。そしてこれはアルミン”が”ではなく、ウーリがアルミンに似ているからこそサプライズになり得るのではないかなと。

 


そう仮定して考えてみると、エレン(進撃)が生み出した巨人の歴史にアルミン(145代)の思想が不戦の契りという楔を打ち、その楔によってもたらされた新たな歴史の流れに苦しめられたエレンが、やがて巨人の歴史を生み出すことになります。それによりアルミンは楔の元となる思想を145代に与えました、といったさっぱりわけのわからない円環構造の重なり合いができあがります。

 

これだ、と思いました笑


というわけで、冒頭の円環構造にこの第3の円環を付け加えたいと思います。

 

145代がひきこもる(原因)→ エレンを殺す(結果)
エレンを殺す(原因)→ 145代がひきこもる(結果)

 

それはつまり、巨人大戦というのは今やっている戦いの写しみたいな感じなんじゃないかと思うんです。そして今度は巨人大戦があったことによって今やっている戦いが起こっているんです。アルミンの思想が145代に影響を与え、今度は145代の思想がアルミンに影響を与えます。このように巷で言われていたループとは全く異なるループのような構造が重なり合っていく感じ、物語としての面白味もあるように思います。

そう考えると、もしかしたらアニメのナレーションは、アルミンではなく145代の声だったという可能性もあるかもしれないし、ないかもしれません。

ついでに書いておくと、私は最近の記事で104期とかのことを「英雄たち」って呼んでますが、これはA面B面の話の皮肉みたいなのも少し込めてはいますが、あくまで 英雄たち=Heroes=ヘーロス という意味で使ってますのでよろしくお願いします(何を?)

そうであればミカサも、ひょっとすると他の面々も、座標へ行くというか過去と結びつくような展開があるかもしれません。もしかしたらミカサは祖先のアッカーマンと結びつきを持ち、それが巨人大戦のヘーロスのモデルになったりするのかもしれません。もしくは9つの巨人が結びつくことで全ての記憶が繋がるみたいなのも妄想できますね。


あともしかしたら、アルミンの円環部分が無ければこんなことになってないんじゃないかって思われるかもしれません。それはその通りなんですが、実はちょっと問題があります。問題というかこれも面白いのですが、

 

不戦の契りが無ければ、エレン・イェーガーは生まれない可能性が高いんです。

 

もちろんそれは誰もが当てはまると言えばそうなんですが、エレンって実は唯一無二なところがありまして、

パラディとレベリオの両方の壁に関係して生まれたのって、エレンだけなんです。つまり両方の不自由さに反発するかのように産み落とされた自由の権化、みたいな捉え方もできるわけです。そしてその両方の壁を生んだのはもちろんあの思想、みたいな話になります。

その意味するところとして、全体である超自我が強かったので個であるエスが隆起してきたという風に捉えられます。そして今度はエスが強くなると超自我が隆起してきてエレンを討伐するわけです。そんな綱引きのような心の中での揺らぎが、まさに先ほどの円環構造に表されているのではないかと思います。だからこれはたぶん必然であって、もしエレンやアルミンじゃなくても誰かがそうなる感じだろうと思います。「器」みたいな話もありましたよね。

これも言ってみれば連鎖のようなもので、今エレンがやっている地鳴らしも暴力の連鎖を生むものなのは間違いないと思いますが、それでもあえてそれをすることによって全ての連鎖を元から絶たないといけない、これがエレンの言っていた「二千年の巨人の歴史にケリをつける」ということではないかと思うんです。


とりあえずこれは、あくまで予想ということで。

 

 


最後にもうひとつ。

 

 

「~の場合」という記事群で取り上げたように、この作品は過去の記憶や経験による抑圧という防衛機制がたびたび描かれてきました。心がダメージを受けないように、嫌な感情や記憶を意識には見えないところへ無意識が隠してしまうというアレです。

その一貫したテーマに沿って考えてみると、物語全体でも最後にもうひとつ大きな抑圧が起こるんじゃないかと思っています。

 


この記事では座標にいた始祖ユミルの姿から、ユミ子はあの時点で止まっているのではないかと述べました。さらにそこから他民族を蹂躙したり、逆に世界のために自分たちが滅ぶべきと考えたりというユミルの民の歴史を、彼女の心の葛藤と重ね合わせるように考えてみました。そして最終的にユミ子は生きる意志と再び出会ってますから、あの死にかけてたユミ子が生きる意志を吹き返したということになるかもしれません。

もちろんそれが巨人の歴史の始まりになったというのが先ほど書いたことでもあるのですが、それとはまた別の線のおはなし。巨人の歴史の世界が脳内であったなら脳内ではない元の世界ということ、あるいは地続きだとするなら新たに生まれたもうひとつの可能性の世界線という感じです。

 


「生きよう」と思った時、その生きようと思う気持ちを失わせるような記憶は、あまりよろしくない記憶と言えます。ユミルの民の歴史がユミ子の心の具象化であるとすれば、それは非常に辛くて思い出したくもないような記憶だと言えるのではないかと思います。力による暴力の歴史、それに反発した自滅思想、それらがぶつかり合って親友同士で殺し合わなくてはいけないような哀しい記憶。

そんな嫌な記憶は心がダメージを負いかねないので隠さなくてはなりません。でも以前お話したように、抑圧っていうのはあくまで隠すだけなんです。心の中からはその記憶を抹消できないので、グリシャが妹殺しの罪悪感から目を逸らされていたように、なんとなく避ける方向へ意識が向けられたりします。

 

つまり、ユミ子はあの古生物になんとなく恐い感じを覚えて避けようとするかもしれません。なぜならその嫌な記憶は全てあの古生物と関わったのが原因なわけですから。

 

イメージとしてはあの古生物と接触した水の中から息を吹き返して慌てて這い上がる感じでしょうか。生きる意志を取り戻し、抑圧によってなんとなく恐怖心を覚えた感じになります。もしかしたら少し前の時点で、ユグドラシルの木そのものに嫌な感じを覚えて近づかないとかかもしれません。時系列は前者の方がすっきりしそうですが、このあたりは作者の裁量次第な気もします。


するとどうなるかと言いますと、ユミ子と古生物が邂逅しなければ当然のことながら巨人は生まれません。だからユミ子が古生物なり木なりを避けた世界の続きには巨人がいないことになります。おそらくそれが、スクカーの世界とか、現実の私たちの世界に繋がるようなイメージになるのではないかと思います。そこは人間が普通に人間として生きていく世界であり、もちろんエレンたちがいる進撃の世界とは異なる世界線です。

ただ、これも抑圧と少し似た感じで、巨人のいない世界から見てもやっぱりこの時空のどこかにエレンたちの世界や記憶が存在していて、それがなんとなく人々の無意識に影響を与えるんじゃないかと思います。

だからその世界では誰とはなしに巨人やらなんやらの物語が語られ始め、人々はそれを戒めに、あるいはどことなく懐かしい感じすら覚えるかもしれません。でも実際にそんなことがあったわけではないはずです。それでもなんとなく惹かれる話なので、みんなが語り継いでいきます。やがて世代を超えて語り継がれていくうちに面白おかしく脚色されたりもしていきます。

 


それが現代の私たちが知っている「神話」なんです。

 


実際にはどういう感じに描かれるのか、描かれないのかは分かりませんが、少なくとも様々なエピソードを神話になぞらえた感じで描いているのは確かだと思いますので、おそらく現代の神話の原型として繋げているだろうと思います。世界中には様々な神話が存在しますが妙に一致する部分が多く、その雛形は共通の民間伝承にあるだろうと考えられています。たとえば巨人に関する話だけでもユミルはもとよりネフィリムティターンなどなど、あらゆる神話に出てきますよね。実はそれらを含む全ての神話の元になっていたのはユミルの民の歴史ですよといった感じです。

作中でも描かれていますが、神話や伝承なんておよそいい加減なものです。現代の神話は言ってしまえば二次・三次創作みたいなもので、長年語り継がれるうちに好き放題に脚色されてきています。”だから”作中で神話になぞらえたエピソードが描かれる際に各人の役割が一定ではなくごちゃまぜにしてあるんだと思います。エレンはフェンリルかと思えばロキのようでもあり、そのロキはジークやアルミンにも重なります。ジークと言えば彼の外見は西洋社会が長いこと信じていたイエス・キリストのイメージそのものであり、またジークにはロンギヌスの槍を刺されたり処女懐胎や復活を思わせる場面がありますが、イエスの誕生日とされる日に生まれたのは兵長です。さらに、実際のイエスは中東の人だから有色で黒髪だったという説が近年まことしやかに言われており、そのイメージはエレンに重なるかもしれません。

神話になぞらえた作品は多々ありますが、普通はだいたいこの人はこの役ってなってるんです、生まれ変わりみたいな。逆に役割を固定しないということは、神話が伝言ゲームのように変化していくという現実的な認識があることを示唆しており(作中でもクルーガーにそんなようなことを言わせています)、それはつまりこの物語が現実的な神話の雛形であるという意図があると考えます。

ですので、進撃は神話になぞらえているのでもモチーフにしているのでもなくて、神話が進撃の物語を元にして成立したんです。


あ、神話のついでに書いておきますが、たぶん地鳴らしは途中で止まることになると予想しますが、マーレはそれなりにダメージを受けた上に巨人の力を失って普通の国に戻るんじゃないかと思います。すると世界におけるマーレの一国支配体制が終わって、植民地なんかも独立することになりそうです。そうなると植民地や属領だったところは母国語が公用語に戻ることになるでしょう。


たぶんこれ、バベルの塔です。


マーレは神に等しい力(巨人の力)を得ようとしていた点と、巨大な国家を塔に見立てればぴったりはまります。そして神の怒りに触れて世界はバラバラになり、言葉が通じなくなるわけです。

ちなみに実際そうなったとして、世界の国々としても全体から個への回帰という構図になりますので、進撃がやり遂げたことという意味でも非常にしっくりくるようにも思います。


とまぁこうして、どこか遠いような近いような別世界で起こったユミルの民の歴史は、この世界の私たちの無意識にうっすらと語り掛け神話ができましたとさ、というお話。さらに付け加えると、私たちが結婚に憧れたりマタニティーブルーになったりする心の動きも始祖ユミルの気持ちが起源なのかもしれません。ということは私たちにも道があるのかも??みたいな。

 

 

 

さておき、ここで少し話を戻しますが、巨人がいないという別の可能性の世界が生まれたとしても私たちがこれまで見てきた進撃の世界自体は変わらないだろうと思います。なにせ因果が繋がってませんので。

 

でも、エレンはこの別の可能性の世界を見ているのかもしれない、というほぼ妄想に過ぎないかもしれない根拠があります(1巻1話)

 

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この作品は845年から始まったはずですよね。

ところでこの「845」という数字と似たようなコマがあと3回あるのはどなたもご存知かと思います(1巻2話、2巻5話、4巻15話)

 

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実はこれら3つのコマに共通していることがありまして、どれも次のような配置になっています。

 

 現在の場面 → 数字のコマ → 数字の年の場面

 

まぁ回想のためのコマなので当たり前みたいな話なんですけどね。ちなみに「847」だけは話の冒頭なので前のコマが無いのですが、前の回が現在視点で急に回想になっているのは同じです。つまり、まず数字のコマがあって、その次のコマからその年の出来事が描かれているわけです。やっぱり当たり前のことしか言ってませんよね・・

 

 

いやいや、ちょっと待って。

 


「845」だけちょっと毛色が違うことになります。ご存知の通り「845」は、

 

 845年の場面 → 数字のコマ → 845年の場面

 

ってなってますよね。あれあれ?

 

 


ということは、もしかしたらですが「845」の前の場面は 違う かもしれないって考えられませんでしょうか。

 


もちろん「845」の前ってのは、あの「いってらっしゃい」からエレンが泣いているところです。そしてその場面、読み返して頂くと分かるのですが、実は壁が出てきません。アングル的に壁が映らないようにも見えなくはないのですが、もしくは当時は背景の描き込みがまだまだだったせいかもしれませんが、実際に壁が無い可能性もないとは言えないはずです。

 

しかもその後「845」のコマを挟んだ次の瞬間にわざわざアングルまで変わって、ついに壁が登場!! どーん!!笑(1巻1話)

 

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もちろんこんなの与太話の域を出ませんよね。でももう少しだけお付き合いください。

 

 


ずっと気になってたんですけどエレンは最初に夢を見てましたよね。夢っていうか、おそらく悲しい記憶を。

 

でもこれ、グリシャとエレンが結びついた場面を考慮すればシンクロしてる可能性があってもおかしくないし、むしろその方が自然かもしれません。それはつまり誰かが見ていてもおかしくないというか、誰かが見てるはずってことです(30巻121話)

 

 

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-あの景色を…

「あの景色」ってなんでしょう。「景色」ですよ、けしき。たとえばパッと見て巨人がいなくなったと分かるとか、エルディア人が平和に生き永らえたことが分かる「景色」ってなにか思いつくでしょうか。あるとすれば地鳴らしでめちゃくちゃになった景色とかでしょうか。でもスリの少年を見て涙していたエレンが、破壊された世界を見て自由になったとかって恍惚とした表情を浮かべるとはちょっと思い難い気もします。

 

 


でも、自分が子供の頃に見た景色と全く同じ だけれども壁が無い 景色だったらどうでしょう。

 

 


すぐに気が付くのではないでしょうか。そこには巨人がいないということに。

 

巨人そのものである壁も無ければ侵入を防ぐ必要のある巨人もいない。壁に囚われてない自由な世界、巨人の歴史に囚われてない自由な世界、それこそまさにエレンが求めるような「あの景色」と呼べるような気がします。

 


とはいえ、先ほども述べたようにエレンたちがいる世界線の未来が変わるわけではありませんから、そこに待ち受ける厳しい未来もエレンは同様に知っているかもしれません。なればこそ(24巻97話)

 

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-ただし 自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ
-その地獄の先にある何かを見ている

という言葉が、出てきたのかもしれません。

 

もしそうであれば、進撃やエレン、そしてアルミンやミカサや他のみんなが苦しみながら戦った結果として、少なくとも別のひとつの世界を救ったかのような話になるかもしれません。もちろん彼らの世界自体は、必ずしも報われたりとか死んだ人が戻ったりすることもないでしょうが。

 


細かいところを少し補足しますと、「あの景色」は仮にグリシャが同じ記憶を見たとしても意味が分からないんじゃないかと思います。エレンはかつて自分が見た景色と重なるので壁が無いことにすぐ気付きますが、グリシャにはどこにいるのかはっきりしないでしょう。単に壁から離れた場所だと思うかもしれません。するとグリシャにとってはなんの意味も持たない他愛ない記憶となり忘却の彼方となるのではないかと思います。

ですからグリシャがジークに言った「先の記憶」というのは、エレンが言っている「あの景色」とは別の記憶のことで、彼らの世界線で起こる悲惨な未来の出来事だろうと思います。でもエレンだけは「その先にある何か」を見ていたんじゃないかなという感じです。


ちなみにアニメでは最初から壁が描かれてるんですけど、あちらは「845」のコマのような仕掛けもありませんので、もしこの通りであるならラストにもう一回最初と同じ場面を「壁無し」でやればエレンと全く同じ体験を視聴者がすることになるなあとか、そんなことまで考えてしまいました。

そしてアニメで冒頭の演出を変えてきた意味というのも、もし原作だけ壁が無いとして想定してみるなら、こんな仕掛けである可能性も考えられます。

もし原作の冒頭に壁が無いとすれば、そこにいるエレンは私たちが今まで追ってきた世界線のエレン(エレンA)ではない世界線のエレン(エレンB)だと捉えることができます。アニメの方はもちろんエレンAそのものです。これはおそらく量子力学のような感じで、両方の可能性が重なり合うように存在しているといった感じになるのではないかと思います。だから青年時代のエレンAが「道」という次元を超えた力で繋がった時、その両方の可能性と同時に繋がったみたいなことになるのではと考えます。

それと私たちが今までずっと見てきたのは、つまり物語で語られてきたのはエレンAの視点だけですよね。

すると壁があるアニメ版で悲しい記憶を見ているのは、壁があるわけですから少年時代のエレンAで間違いありません。でも原作の壁が無い方の「いってらっしゃい」は、少年時代のエレンBが見ているというよりは、やはり青年エレンAの視点で物語のラストまで経た最後の記憶が描かれていることになるんじゃないかと思います。青年エレンAの視点では「あの景色」を見ているのであって、悲しい記憶を思い出しているわけではありませんから描かれる必要が無いですよね。つまり原作では「854」のコマを境にして2つの可能性の世界が描かれている感じになります。

そしてもしミカサがエレンとの接触などでエレンの中にある記憶なんかに触れ、エレンがここを目指していたことを知るなり察するなりしたなら「いってらっしゃい」というセリフも納得がいくものになるように思います。実際に転生するのとは違うとは思いますが、それでもどこかで繋がった同一人物の記憶の中で生き続けるとすれば、こちらの世界のミカサが「あっちの世界では幸せになってね」という想いを込めて言う言葉として適当なように思います。


ちなみに超自我エスがドンパチやってるところを、両者の意見を考慮しながら実際の行動に移すのが自我の役割ですので、やはりフィニッシュはミカサなのではと思っています。そうすると「アニ 落ちて」「ライナー 出て」「エレン いってらっしゃい」という三部作が綺麗に幕を下ろすことにもなります。ミカサにしても上記のことを含めて、大事だからこそエレンを手放すという、執着からの脱皮、成長が描かれることになります。

ついでに言うと、仮にミカサがトドメを刺すにせよ、エレンを殺さないとって方針はアルミンの考えが鍵になるんじゃないかと思っています。そしてアルミン本人は悩み苦しむかもしれませんが、表向きは立役者のような感じになるかもしれません。前段でエレンや進撃を無意識や本能と重ねましたが、とうぜんアルミンはその対になる意識や理性のメタファーだと思っています。つまり理性が本能を抑える形でこの人間を描いた物語は結ばれ、それはまたユミ子が人として生きていくことに投影される感じになるんじゃないかなと。同時に、本能であるエレンと古生物は生きるんだというメッセージを伝えながら消えていくということになります。

どんな生物も生きようという本能を持っています。でも人間だけは理性というものも同時に持ち合わせていて、それが人間が人間たる最大の特徴であるとも言えるように思います。でも普段私たちはそういうことに気付くことはあまりありません。だからこの作品では古生物とそこから生まれた巨人という本能しか持たない生き物の視点を通して人間を見ることによって、改めて人間とは何なのかということを浮き彫りにしているのだと思います。そして知能が発達してしまったがために人間が忘れかけてしまった、「生きることに理由などない」という生命の本質を本能の視点から語り掛けつつ、同時にそこに潜む危険性を理性を持った人間の視点から描き出している、といった感じになるでしょうか。

 

 

・・ところで少し巻き戻しますが、転生ではないのではと書きましたが、エレンBがエレンAの記憶をおぼろげながらも持っているのであれば、エレンBの一部分は青年エレンAそのものであるとも言えるかもしれません。それは少年エレンAにも同様に言えますので、見方によってはエレンという心がぐるぐると周ったあげくにひとつの抜け道を得たといった既存のループ説のような解釈もできなくはないように思います。するといろんな人をすっきりさせる感じにしつつ謎を残すような面白いまとめ方、ということになるかもしれません。

 


まぁこれらの全ては妄想に過ぎないかもしれません。なにはともあれ、私の推測通りであったならこういうことになるはずです。

 

 


私たちの住むこの世界が、そして私たち人間が今こうしてあるのは、エレンやみんなが頑張った結果かもね、と。

 

 

おわり

 

 

 

 

 


あ、ひとつ書き忘れました。

 

何度も書いてきたように全ては並列で起こっていると考えないと矛盾しますので、ほんとは時系列ではないのですが、ユミ子の心の動きとして順序立てて考えるならば、

 

奴隷であったユミ子が理不尽に命を脅かされる
→生きる意志に火がつき、巨人の力を得る
→奴隷として虐げられたことへの反動か、生きる意志の凶暴性によって暴力に振り切る
→それに反発する理性が現れるが、そちらも反動で大きくなって自滅的思想にまで達する
→さらに反発して生きる意志が地鳴らしを始める
→これじゃいけないよねって巨人族が自分で自分を止める


→つまり、ユミ子は生きる意志をしっかり持ちながらも理性でそれを抑えるようになる

 

といった感じになるのではないかと思います。

 

そういったこともあり、ユミ子が古生物かユグドラシルの木を避けることになると考えられるわけですが、じゃあその後のユミ子はどうなるのかというと、

 

 

 

 

やはり実際に「森から出る」んじゃないかと思います。

 

 

 

 

とはいえ、その先には社会というさらなる森が広がってて、始まりに過ぎないって感じかもしれませんけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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(30巻120話)

 

 

 


当ブログをご愛読いただき誠にありがとうございました。

  - 2020年5月より、連載完了後のみなさまへ

 


written: 20th May 2020
updated: none