進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

070 巨人化学⑯ 心-I 生きる意志

みなさんこんにちは。

 

この記事は 生命-I から続くお話であり、そちらの警告をご承諾いただいてない方の閲覧はお断りしております。まずはそちらからご覧くださいますようお願い申し上げます。

 

 

 


この記事は最新話である115話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。注記の無いものは全て115話からのものです。

 

 

 

 

 

 

 


[生きる意志]

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116話が待ち遠しいです。

個人的な話で恐縮ですが、こんな形でエレンとピークちゃんの駆け引きのようなものが見られるなんて思いもよらなかったので、115話ラストの引きはもの凄く刺さりました。ところで今回の記事ですが、生命 の記事で書いたことを踏まえた部分があるので続きのような形にしましたが、実は115話の考察②みたいなものです。

 

 

では、スパイ映画のワンシーンのようなラストから始めたいと思います。

 

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当然ながらピークちゃんも銃で簡単に殺せるとは思っていないでしょうから、交渉かなにかの目的があることは容易に察せられます。エレンさんもポケットに手を突っ込んだまま全然動じてないところを見るに、撃たれてどうなるとも思っておらず、むしろ探す手間が省けたくらいの感じに見えますね。

 

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-壁内の侵入者が反応を示すようにな

ガビへの指示は、知性巨人に何らかのアクションを取らせれば感知できることを示唆しているかもしれません。また、ファルコをダシにしてでもガビを利用しようとするあたりに、エレンの何がなんでも進み続ける覚悟のようなものも感じます。

 

でも少し気になる点があるのですが、ガビってエレンにとっては単なる一人の”ガキ”のはずです。あるいはサシャを殺した敵の一人である子供でしかありません。戦士隊(またはマーレ軍)を炙り出すのに都合が良いのは確かですが、それはファルコにやらせても同じことです。なのにわざわざガビを使うのはどうしてでしょうか。

あくまでなんとなくでしかありませんが、エレンはガビに何かを感じ取っているんじゃないかと考えます。思い出すのがこの場面(25巻102話)

 

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-殺してやる!!
-エレン…!!
-イェーガー!!

以前の記事でガビの強烈な意志をエレンが感じ取ったのではないかと推測しましたが、これかもしれません。この後ガビはサシャへの復讐を果たすことになりますが、それは言うなれば”自らの強い意志を持って敵を駆逐するまで進み続けた”とも言えます。ただの「ガキ」ではなく「サシャを殺したガキ」という舌を噛みそうな呼称をしているあたりにも、サシャを殺した行為に思うところがあるのを匂わせています。ライナーに「同じだ」と共感を示していたのと同じように、ガビにも自分と似たような匂いを感じ取っているのかもしれません。ガビが体を動かせなくなっていることや髪型などを考えても、エレンとガビは「道」の結びつきが強そうですね。

 


話をピークちゃんに戻しまして、その意図を推し量るのは難しいのでしませんが、ガビファルコを助けたいというのは当然含まれていることでしょう。でもそれだけであればエレンがいない隙を見計らった方が簡単なわけです。つまりエレンと話す、あるいは交渉することが目的であることはほぼ間違いないでしょう。そしてその主題はジークにまつわることだろうというのは、誰もが想像していると思います。

以前 047 さすがピークちゃん で書きましたが、始祖奪還計画中の二人での本国待機などを経てジークとはなにかしら繋がりがあり、レベリオ戦では裏切られたと感じていることが推察できます。そのレベリオ戦において、瀕死になったピークちゃんの修復が遅いことがファルコに指摘されていました(26巻104話)

 

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-体の修復が追いついてない…
-巨人の力があるのに何で…?

ガビがなんか言ってますが、実際の理由はおそらくこれでしょう(26巻103話)

 

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-巨人の力なら損傷した体は
-勝手に修復されるはず
-生きる強い意志さえあればだけど…

ジークやパンツァー隊が敵にやられた悲しみ、あるいは裏切られた哀しみ(この時点でははっきりと気付いてなさそうですが)などがまとめて襲ってきたことで、絶望から生きる気力を失くしていたのではないかと思います。一応、ガビが言ったことを軽視してる理由を書いておくと、その後ピークちゃんはガビいわく頑丈であるはずの鎧の巨人・ライナーより先に回復しており、再生速度に特別な違いは無さそうだからです(27巻107話)

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やはりあのセリフは、ガビに「鎧の巨人」を思い出させるためと考えるのが自然でしょう。


さて、じゃあ生きる意志を失っていたピークちゃんが回復に向かったきっかけは何だったのかと言いますと(26巻104話)

 

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-ライナアアアアア

ガビとファルコが助けを求める声でした。似たような場面が既に描かれています(24巻97話)

 

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-…そうだ
-俺には まだ…
-あいつらが…

自殺を図っていたライナーが生きる意志を取り戻したのは、ファルコの言葉を聞いたからでした。ファルコやガビたちを見守ってやらなければという感情が思いとどまらせたのです。ピークちゃんが目覚めた直後にした行動からも、同様であることが察せられます(26巻105話)

 

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-隊長…
-思い出しました

つまり、大事な仲間であったジークをマーレに売ってでもやらなければならなかったということです。そして目覚めた瞬間を考えれば、それは子供たちを守るためであると考えられます。イェレナのことを思い出したのも、生きる意志によって無意識にあった記憶が結び付きを持ったということかもしれません。それまで目を背けていた裏切りの可能性を示唆する記憶が、それよりも大事な子供のために。

子供が生きる意志、あるいは希望になるというのは、さほど説明は要らないような気がします。現実世界でも、どこへ行っても子供は宝と呼ばれます。核家族化の進んだ現在ですら、家族のみならず地域で育てようといった雰囲気が残っていたりします。もちろん生物の本質的な”種の保存”という性質が与しているのは間違いないでしょうが、自分の血を引いてない他人の子供にもそういう感情を覚えさせるということは、単なる性質にとどまらず、未来への希望であり人々に”生”を感じさせる象徴であるのかもしれません。

 


さて、先月の記事でジークの”生まれたくなかった”も根源は”生きたい”からだと書きました。自分が”要らない子”であると考えるのは”要る子”でありたいという感情が存在するからです。むしろそこに強い関心があるからこそ、要らないという気持ちもより大きくなり得るのでしょう。そして、自分が”要る子”でありたいというのは、他者に必要とされることで自分に価値があることを確認したい、つまり”生きたい”わけです。その生きるために必要な自分の価値がみんなのために死ぬこと、という点ではややこしい話ではありますが。

 

そして今回、ジークは死を覚悟しながらも、こんなことを考えていました。

 

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-必ず みんなを
-救ってあげよう

死んだら自分の計画もどうなるか分かりません。そもそも死んだらジーク自身にはもはや関係ないと言えるかもしれません。それでもなお救ってあげたいって言ってるわけです。

最後の最後まで、”みんなのために自分たちが死ぬこと”をやり遂げたい、みんなの役に立ちたい・・つまり、”生きたい”ってことですよね。

 

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始祖ユミルはこの想いに気が付いたんじゃないかと思います。始祖ユミルからすれば、すべての「ユミルの民」は子孫です。その子供が本当は生きたいという気持ちから目を逸らしながら、みんなのために死にたいって、死の瞬間まで願っているんです。

 

そこで始祖ユミルは、ジークに”生”を与えました。つまりこういうことではないでしょうか(16巻66話)

 

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-自分なんかいらないなんて言って
-泣いてる人がいたら…
-そんなことないよ って
-伝えに行きたい

どうも私はここに結び付けたい傾向があるようですが笑 

 

でも生命というものを進化まで遡って、その本質について考えれば考えるほど、やはり生きる意志こそが全ての根源なんだろうと改めて思います。生物のあらゆる行動は”生きたい”という衝動で説明が付けられます。生きたいから戦うし、生きたいから身を守る、そして生きたいから人に認められたいわけです。

そして進化の根本を考えた時、単体で生き延びられたか分からない私たちの祖先である単細胞生物が、現在の地球上のあらゆる生物へと形を変えて生き永らえたのは、ミトコンドリアとの共生があったからです。それは単細胞の生きる意志にミトコンドリアが寄り添い、力を貸してくれたと言うこともできるでしょう。細胞がそういう性質を持っているということは、その細胞でできている生物はそういう性質を持っていておかしくありません。


そうやって考えてみると、始祖ユミルあるいは「道」のネットワークが生命としての生きる意志を尊重するのならば、安楽死計画はそもそも実現できないんじゃないかと思えてきます。生命の根本的な性質に反しているからです。子供を作るというのは生命の存続であり、もしもその本質を否定できるのならば生命そのものが”要らない子”ということになり、あらゆる生命が滅びに向かってもおかしくないはずです。ジークに”生”を与えた始祖ユミルが、果たしてそれを良しとするのでしょうか。もしかしたら145代も似たようなことをやろうとして、できなかったのかもしれない、なんて妄想すら浮かんできます。


じゃあ不妊化がよろしくないのであれば、ユミルの民が巨人化しないようにすればいいんじゃないか、というのが大方の見方だと思いますが、これも私はなんか違う感じがあります。

巨人化できなくするというのは、不妊化とたいして変わらない側面があると思います。つまり人間に合わせるということですよね。それは例えるならば、敗者が勝者に服従することでそれ以上虐げられないようにすることと同義であって、言ってしまえば奴隷です。そうやって自分を殺して他者に迎合することは、アイデンティティの否定とも言えるかもしれません。まぁこれ自体がテーマになってくるかもしれませんし、作者がどういう方向に持っていくかは分かりませんが、少なくともこのメッセージとは反発すると思います(9巻36話)

 

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-いいじゃねぇか!
-お前はお前で!!

私たちは望んで私たち自身として生まれてきたわけじゃないかもしれません。鳥たちは望んで鳥として生まれたわけじゃないし、巨人も望んで巨人になったわけじゃないかもしれません。でも、生まれてきたからにはその姿で生きるほかないはずです(10巻40話)

 

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-ユミルとして生まれたことを否定したら負けなんだよ!

巨人として生まれたことを否定したら負けなんじゃないでしょうか。「巨人だから世界から迫害されるんだ」こう書けば、そこに”逃げ”が含まれていることに気付けるかもしれません。すると、両極端ではありますが結局ここに行き着くように思います(25巻100話、26巻106話)

 

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-オレは進み続ける
-敵を駆逐するまで

 

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-きっと分かり合える

どちらも”巨人のままで”、戦って勝ち取るか、話し合って分かり合うか、ということです。この二つの考え方は対極的でありながらも命とアイデンティティを守るという共通点があります。そして、不妊化などとは異なりそこに生きる意志があると思います。

エレンとアルミンの対立というのはまさにこのせめぎ合いなんでしょうけど、現実的には「戦って and 分かり合う」というのがベストな落としどころな気がします。現状は「戦って or 分かり合う」になっているわけで、これがどう転んでいくのかが見ものかもしれません。

 


・・と、ここまで書いておいてなんですが、ミトコンドリアが牙を抜かれて細胞と共生していることを考えると、巨人化できなくして話し合って分かり合うことこそが、人間とユミルの民が共存する道なのかもというのも言えるんですよね。それでも独自のDNAを保持して奴隷であらぬよう抗う部分が、エレンであり進撃ということなのかもしれません。

 

 

巨人化学⑰に続きます。

 

 

 

 

 

 


-迷文-


今まで神経ネットワークとか精神世界の考察をしておきながら、漫画でどのような描き方がされるのか想像もつかず楽しみにしていたのですが、今回少し垣間見えた感じがして感動しました。

思うに今回のあの場面は、心象世界とでも言うべきものの具象化ではないかなと思っています。生きる意志に呼応して、少女はいつも砂をこねているのかもしれません。どちらが現実なのかとか考えだすとなんとも言えませんが、少なくともジークやエレンが存在している世界とは次元が異なるであろうことが読み取れます。

 

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-何年も…
-そうしていたような気がするし
-一瞬だったような気もするが…

あちらでは現実の時間感覚は意味を成しません。「道」から未来の記憶が流れてくることも考えれば、現世の時間を超越した世界と言えるでしょう。つまり高次元の世界です。


ところで、天の川は私たちには蛇行する川のように見えます。あるいは雲と表現することもあります。でも言うまでもありませんが、本当は数多くの星が集まったものがあのように見えているだけ、点の集合体です。そして銀河はネットワーク構造を形作りますが、それも点である星々が集まったものがそう見えるだけです。

あの星はジークという存在そのものかもしれません。そして惑星ジークや繋がりのある星々が集まって線のように見えるのが、「獣の巨人」と呼ばれるものなのかもしれません。その線が集まる中心にあるのが「始祖の巨人」と呼ばれるものであり、それら全てを俯瞰して見えるネットワーク構造こそがユミルの民の「道」であり始祖ユミルである、といった感じなのかなと思います。

人間も素粒子をこねて固めてできてるようなものですから、実際あんな感じなのかもしれません。私たちが見ている世界は、私たちに見えている世界だけです。この世界の真の姿なんて私たちには見ることはできません。身の回りにいろんな物があるように見えますけど、それらは全て素粒子という粒のようなものが集まったものです。この世界は素粒子が集まっている部分とそうでない部分があるに過ぎないとも言えたりします。それを私たちの脳が色々な”物”として認識してるだけで、違う性質の脳からは異なる世界が見えるはずです。果たしてどちらが本当の世界の姿なのか、私にはわかりません。一つ言えるのは、私たちにとっては私たちに見える世界が”現実”だってことだけでしょうか。


くだらない話は置いておくとして、あの少女はクリスタのイメージが投影されている感じではないかと予想します。

幼少期のヒストリアに重ねて描かれていることから、同じように”要らない子”だったのかもしれません。でもおそらく「誰にでも優しい子」だったのでしょう。そして自分に優しくしてくれたクリスタのイメージが、始祖ユミルの中に永遠に生き続けている感じかなと思います(27巻109話)

 

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-私は…
-お姉ちゃんみたいな人になりたいの

始祖ユミルはそんな優しいクリスタのようになりたくて、ジークに寄り添ってあげたのかもしれません。「きっとお姉ちゃんならこうする」って。そして始祖ユミルにとって人に優しくするのはクリスタなんだと思います。

それはカヤの抱くサシャのイメージと同様に偶像と呼べるものかもしれません。おそらく、クリスタの死を伴う”導き”によって永遠の偶像が生み出されたのではないかと考えます。

始祖ユミルの巨人体がクリスタの姿かたちなのも、そのためでしょうか。ところがその姿で人を殺さなくてはならなかったとすれば、葛藤が生まれたことでしょう。なんとなく始祖ユミルの苦悩が見えてきたような気がするのでした・・・って、ほとんど妄想ですけどね。

-迷文おわり-

 

 

 

本日もご覧いただきありがとうございました。


written: 21st Mar 2019
updated: none