進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

022 巨人化学④ 心臓を捧げよ

みなさんこんにちは。

 


今回は前回の 巨人の始め方 の続きになります。まずはそちらをご覧になってからお読みください。現行のストーリーには直接関わりは無いかもしれませんが、それでも良ければどうぞご覧ください。

 

この記事は最新話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。

 

 

 

 


[心臓を捧げよ]

f:id:shingeki4946:20180601231143p:plain

 

 


前回は、巨人化に必要な目的とは無意識によるものとの仮説を立てました。

 

進撃の話から離れますが、少し補足をしておきます。無意識という言葉には大ざっぱに2つの意味があり、一つは「意識がないこと」、もう一つがいわゆる潜在意識と言われるような「意識ではない、もう一つの意識」という感じなのですが、ここで使っているのは主に後者の意味です。

この無意識というものは、私たち自身であることは間違いないのですが、私たちが普段自分自身だと思っている自分、表に出ている意識とはまた別の私たち自身であると言えます。私たちのような高度な(?)意識を持っている生物は、地球上で人間だけです。動物の中には意識を持っていると思わしき種もいくつかありますが、人間のそれには及んでいないようです。つまり人間は意識という一芸に秀でた特徴を持った種であるとも言えそうです。それは進化の過程で、大脳新皮質という脳の発達を得たことにより獲得しました。ということは、意識の獲得以前の人類の祖先は、他の生物同様に無意識を主体に活動し、生き抜いてきたということになります。

ではなぜ意識が必要になったかと考えてみれば、人類は個体の力が脆弱だったために集団行動をとらざるを得なかったが、それを効率よく行うために欲求の抑制が必要になった、ということではないかなと思います。みんなが本能のままに行動してたら集団なんて成り立たず、社会は成立しませんよね。意識とは、単体では生存の危うかった人類が進化の過程で獲得した、優れた”機能”であると言って良いでしょう。

それでは無意識の”機能”とは何なのでしょうか。それは先の考察で反射や身体機能の制御を例に挙げた通り、生存や自己防衛といった、生き物の本能に根差したものであると考えられます。そしてそれを突き詰めると、全ては種の保存に行き着くように思います。どの生物を見てもそうですが、単純なものに遡っていくと、より本質を理解しやすいと思います。究極は単細胞生物でしょうか。もはや無意識すら持っていないとは思いますが、ひたすら自身のコピーを作り増やすことだけをしているかのようです。無意識とは生存し自己複製をするという至上の目的のための”機能”であると言えるのではないでしょうか。そして、その目的を叶え続けるために様々な機能を獲得、取捨選択してきたのが進化であり、進化によって得られた機能で生存に有利だったものの一つが、意識ということになるでしょうか。

さて、そんな本能全開の無意識ですが、私たちの意識からはいまいちよく見えてきません。ところが最近の脳科学の発達により、私たちの行動のほとんどは無意識が主体となって行われていることが実証されてきています。いやいや私は自分自身で、意識で行動を決めているよ、と感じるのですが、そうでもないようなのです。

私たちが意識的に右腕を挙げようと思った時、脳内でそれに対応した部分に電流が発生します。イメージ的には、右腕を挙げるスイッチを入れる、といった感じのようです。それは無意識についても同様に、別の箇所の対応した部分に電流を確認できます。ところが恐ろしいことに、私たちが意識して何かをしようとした時にそれらを観測すると、意識の電流よりほんの一瞬早く、無意識の電流が現れるそうです。

つまり、私たちが意識的にやっているつもりのことは、無意識が先にそうすることを決めて行動している可能性がある、ということです。私たちの意識はそれを後から追認して、自分が意識してやったと思い込んでるだけかもしれません。自分自身だと思っているこの意識は、よく分からない無意識に支配されている、例えるなら釈迦の手の平で踊る孫悟空のようなもの、なのかもしれません。

とはいえ、無意識の決定を意識が拒否することができる可能性も示唆されているそうで、意識がある程度無意識を抑え込むこともできるようです。ただ、少なくとも普段感じているよりも、私たちの行動は無意識によって支配されているということのようです。そして意識は、無意識の欲求を軌道修正しながら叶えていっているという見方が主流のようです。つまり、意識は無意識の決定には容易には抗えない、無意識がアニと戦いたくないと考えていたら意識はそれをどうにか説得する必要がある、といった感じでしょうか。


私たちの意識や自我、記憶といったものには、目に見えるカタチは当然ありません。無意識も同様、意識からもその存在を感じにくいばかりか、いくら脳を解剖したところでそれを発見することはできません。しかしながら、それらは中枢神経系で発生する電流として確認され、そこに私たちの意識や無意識は確かに”ある”のです。そして私たちはそれによって生かされ、同時に支配されている、とも言えるのかもしれません。


さて、無意識の説明が長くなってしまいましたが、本題にまいりましょう。

 

 

前回はエレンを例に挙げて見てきましたが、今度は一般の無垢巨人たちについて考えてみたいと思います。

まず、奇行種をいったん脇に置いて考えれば、無垢巨人は明らかに意識とか意思といったものは無いように見えますよね。ただただ人を感知し喰らうだけです。それこそ本能に基づいた何らかの目的のためにだけ動いているように見えます。ただし、他の生物と明らかに異なるのは、彼らの目的は繁殖ではない、ということでしょう。

巨人が人間からできていることは既に分かっていることです。より細かく言えば、人間が何かしらの変化を経ると、巨人になると言えるわけです。その違いの最たるものは、巨人が不死であることでしょうか。(現状で実例があるのは壁の巨人が少なくとも100年ほど生きている、というだけで完全な不死かどうかは確証が無かったりしますが)

不死と書きましたが、巨人を殺す、あるいは消滅させる方法があるのはご存知の通りです。うなじの下、縦1メートル幅10センチの一部を削ぎ取ることです。そこを開いても何も発見できませんが、知性巨人から類推するに、そこには元の人間の脳と脊髄だった何かが”ある”のではないかと、作中でも推測されています(13巻51話)

f:id:shingeki4946:20180601231322p:plain

そう、カタチもなく見えない何かが”ある”かもしれない、ということです。つながりませんか?

巨人の生命線は、その脳と脊髄だった何かであると言い換えられます。脳と脊髄といえば人間の神経の中枢であり、いわば私たちの自我や意識といったものはそこにあると言ってよいものです。無垢巨人に意識が見られないことを合わせれば、巨人のそれは無意識ということになるのではないでしょうか。

人間の場合は当然異なります。人間が脳や脊髄を損傷しても、後遺症などが残りはすれど必ずしも生命が絶たれるとは限りません。生命維持に関して言えば心臓のほうがより重要であると言えます。人間が心臓を失うことはイコール死を意味します。それは人間のみならず、多くの生き物にも共通しています。

これを比較して言うなら、人間は心臓、巨人は無意識が生命の根幹であるということでしょう。


もう一度言いますが、巨人は人間が変化した存在です。


ということは、人間が心臓を失った(=死)ことによって、無意識の存在に変化した、と言えるのではないでしょうか。

 

 

このことは、こちらの絵に解釈を与えてくれるかもしれません(21巻86話)

f:id:shingeki4946:20180601231448p:plain

ユミル・フリッツと大地の悪魔の契約の絵です。寓話としてデフォルメはされているでしょうが、この契約と呼ばれる何かによってユミル・フリッツは巨人の力を手に入れたわけです。この絵の少女は、リンゴを悪魔に差し出しているようです。そしてそれは心臓のようにも見えます。

北欧神話において、リンゴは不死の象徴です。

上記のことと合わせて考えると、心臓を差し出すことによって不死の存在になることを、まさに図示しているように見えてきます。

 

 

 

こうして解釈した時、ある言葉が思い起こされてきます。


心臓を捧げよ!


この言葉は、壁内において兵団組織の鼓舞に利用されている言葉であり、その意味は「人類のために己の命を賭して事にあたれ」というような感じで使われています。元の由来などは分かりませんが、彼らがユミルの民であることを考えると、どうも前述との関連性を感じてしまいます。エルディア帝国の時代から使われていた標語なのかもしれません、おそらく別の意味を含んで。

本来であれば、「心臓を捧げ巨人という永遠の存在に昇華しましょう」のような感じが平和的で良さそうなのですが、奴隷の血を持った民衆に向けて使われていることを考えると、無垢巨人になることが何らかの奉仕に繋がる可能性は高いように思います。転じてそれが兵器利用を言い繕った言葉になったとかかもしれません。どうも裏の意味があるように感じて仕方がありません。まあ、かなり昔から使われていた言葉と仮定しての話ではありますが。


ところで、巨人になるためにはユミルの民であることと、巨人の脊髄液の摂取が必要です。脊髄液を取り込むことによって、ユミルの民の体内にある何かと反応するということでしょう。ユミルの民であるということは、ユミル・フリッツの血を受け継いでいるということであり、その体内で産生される何かはユミル・フリッツのDNAに由来するはずです。

このことは”進化”の過程と完全に一致しているように思います。

巨人とは人間の進化の形の一つなのかもしれません。そしてその進化とは、従来の人間としての死によって、不死である無意識体へと変化することなのかもしれません。本能の見地からすれば、不死というのは生命維持に関しては究極の方法でもあります。進化とは生存のための環境適応でもありますから、本能によって導き出された生存への解答の一つであるとも言えます。

ところで、進化には淘汰が付き物です。進化したものは、そうでないもの、あるいは別の進化をしたものと生存権を賭けて争うのがこの世の理です。勝てばその種が主流になり、負ければ隅に追いやられやがて滅びます。現在のホモサピエンスネアンデルタール人を駆逐して存在していると考えられています。それはどちらが優れているとかではなく種を繋ぐことができたほうが生き残った、というだけですが、まさに「勝てば生きる、戦わなければ勝てない」という本能の本質的な機能が体現されているわけです。

そうなると世界人類とユミルの民の共存は難しく思えますが、鍵は逆に”意識”にあるような気もしますね。ただ、マーレ人含む他人種によるユミルの民の扱いを見てるとあまり期待はできませんが。「滅ぼし合う他ない」彼らが今後どうしていくのか、こればっかりは作者の解答を待つ他ありません。

 


長くなりましたので、今回はこのへんで。巨人化学⑤ に続きます。

 

 

 

 

 


-余談という名の小考察-


冒頭で、無意識とは潜在意識の方と書きましたが、「意識がないこと」という意味も関係が無いわけではありません。意識が無い時に出てくるのが無意識だと考えれば、当たり前といえば当たり前なわけですが。

みなさんも感じておられる通り、巨人には一種の”自動性”とでも言うべきものが散見されています。ハンジはかつて、ティースプーンの事件の後にこんなことを言っています(6巻26話)

f:id:shingeki4946:20180601231727p:plain

-何かしらの用途があって存在している道具のような性質とも見てとれる

 

前回挙げた部分巨人化などは分かりやすい例ですが、最近にもそんなことがありましたね。


まず、ライナーの指のかたまり(26巻103話)

f:id:shingeki4946:20180601232522p:plain

ライナーは既に意識を閉ざしていた状態と思いますが、指のかたまりはそれ自身が意思を持っているかのように、巨人化後しばらくしてから地表へ上がってきました。これは「ファルコを守る」という目的で無意識が創り出したと考えられますが、その目的に従いおそらく酸素が足りなくなる前に、しかしながら安全確保のためできるだけ遅く、上昇したのではないでしょうか。ファルコが咳きこみながら意識を取り戻すのが意味深ですね。


ピークの射出(26巻104話)

f:id:shingeki4946:20180427023912p:plain

当時ピークは息も絶え絶えで、おそらく周囲の状況も見られない、もしくは意識が無い状態だったと思われますが、ジャンの攻撃に対して絶妙のタイミングでうなじを開き、蒸気を発することで雷槍を逸らしました。このシーンはピークではなく、車力の目が見開かれて行動していることも無意識によるものを感じさせますね。面白いことにこの時の目的もおそらく「ファルコを守る」だと思います。結果的に自身も守ったとは言えますが。

これらを無意識が行ったとすれば、外から見ればあたかも自動的にそれが為されたように見えます。本人の意識から見ても同様で、部分巨人化の際のエレンも「腕とそれを支える骨格だけ巨人化してスプーンを拾おう(あるいは榴弾を防ごう)」とは思っていませんから、自動的にそれが行われたように感じるわけです。この自動化というのは、まさにハンジが言っていた「道具のような性質」の一つですよね。


ところで、こうして彼らに守られたファルコですが、と同時に彼の存在によってライナーもピークも生き延びたのかもしれないと思います。ライナーはファルコがいなかったら巨人化せずに死んでいたかもしれません。なにせ生きる意思がありませんでしたから。ピークもそのままやられていた可能性も、もしくは追い打ちで死んでいた可能性もありますね。結果論ですが。

その後ファルコは、ガビの命を守り、また同時にジャン(または他の兵団員)の命も守っています。やはり彼はキーになってきますね。そして彼に救われた人々がまた物語を繋いでいくわけですが、もう一つ面白いことに、そもそもの現状に至るには彼の叔父であるグライスさんが欠かせません。もちろんグライスさんだけの意思ではないでしょうが、彼がグリシャを復権派に誘い出すことに成功しなければ、エレンは進撃になっていなかったわけです。ということは、壁内はライナー達につぶされ、当のライナー達を含めたレベリオのエルディア人たちも、今までと何ら変わりなく奴隷生活を続けていくことになったかもしれません。巨人の価値がなくなる近い日まで。

つまり、今後の展開次第では、グライスさんは両サイドのエルディア人を守ったことになっていくかもしれませんね。付け加えるなら、ファルコが上記の重要人物たちを守れたのは戦士隊にいたからであり、彼が戦士隊に入ったのはグライスさんが楽園送りという罪を犯したためでもありますね。このへんの因縁の描き方はほんと面白いなあと思います。

-おしまい-

 

 


本日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

written: 1st June 2018
updated: none