進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

095 最新話からの考察 126話② 稀代の詐欺師

 


みなさんこんにちは。

 

 

ラガコ村でのコニーとアルミンの対峙は、以前から問題として挙げていたアルミンの自己否定感情にひとつのきっかけを与えるものではないかと思います。追い白夜の展開にはなりませんでしたが、むしろさくっとテンポを崩さないのに深くて、こうまとめてくるとは思わなかった、今回はそんなお話です。

 

 

 

 

 

この記事は最新話である126話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。注記の無いものは全て別冊少年マガジン2020年3月号・126話からのものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


[稀代の詐欺師]

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さて、今回アルミンが行動する際に思い浮かべたこの場面。

 

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実際にどういう場面だったか思い出しておきましょう(12巻49話)

 

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-エレンを奪い返し即帰還するぞ!!
-心臓を捧げよ!!

ここ最近にわかに物議を醸している「心臓を捧げよ」というフレーズがさっそく出てまいりました。

 

当時の状況を簡単に要約すると、「エレンを失えば壁内に未来は無くなる、ので命がけで取り戻すぞ!」といった空気感の中で「突撃」を仕掛けた、壁内編での最大の山場の一幕です。

 

ちなみに、これを傍で見ていた”普通の人代表”の憲兵さんはこう語っておられます(12巻49話)

 

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-調査兵団
-奴ら…… 完全にどうかしてる

巨人が密集しているところへ、あえて自分たちの命を投げうつかのように突撃していく調査兵団を見て「気が狂っているようだ」と感じたわけですね。ということは、その気が狂っている調査兵団を先頭に立って引っ張っていたあの人は、まさに”気違いオブ気違い”という名誉ある肩書きを授与されたということになります。

それはもちろんエルヴィン・スミスという人なわけですが、この方どうもギャンブル依存症だという噂もかねてよりありますので、気が狂っているという寸評もあながち的外れではないかもしれません。果たして真偽のほどは如何に。

 

 

 

 

というわけで、今回のアルミンの行動を考えるにあたってエルヴィンの存在は非常に重要だと思いますので、まずはそこから始めていきたいと思います。

 


エルヴィンといえばその類まれなるリーダーシップと共に、博打打ちとしても有名ですよね(14巻55話)

 

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-要は またすべて賭け事なのか…?

とはいえ、お分かりの方もいらっしゃるでしょうから先に言ってしまいますが、彼の本質は博打打ちなどではありません。むしろ博打打ちとは対極のところにあります。実際は「作中の人たちが彼のことを博打打ちだと思いこんでいる」と言うのが適切だと思います。まぁ本人も半分悪ノリというかで風評に乗っかってますし、(14巻55話)

 

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-はい…どうも私は博打打ちのようです

というか本人にしてみれば否定しきれない部分もあるでしょうから、こういった描写に読者が引きずられるのもやむなしではあります、作者も狙ってそうですし。レッテルとはかくも恐ろしき。

 

 

彼の本質が最も見えやすいのはやはりこのあたりでしょうか(7巻28話)

 

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エルヴィンは女型の周囲を覆う蒸気を見て、超大型に関する推論を思い出しています。

「トロスト区の壁が破られた際に超大型が蒸気の中から忽然として消えたのは、巨人化能力者が立体機動装置を付けて脱出したのではないか」、この作戦の前にハンジがそんな推測をしていたわけですね(7巻28話)

 

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-でも それは…
-エレンが巨人から出た時の状況を考えると
-できそうもないって結論づけたはずでは?

ただしその議論の場においては、エレンを見る限り難しそうだという結論に至っていたようです。つまり彼らの共通認識として「この可能性は無さそうだ」となっていました。

ところがエルヴィンはこの場面の直前に女型が無垢巨人を呼び寄せたことを見て、どうもエレンと他の巨人化能力者の間には習熟度からくる力量の差があるかもしれない、という”可能性”に思い至ったわけです。ここでさらに、以前却下されたはずのハンジの説と結び付けることによって、エレンには難しそうでも女型の巨人化能力者は脱出する”可能性”があるという推論にまで至っています。

 

あえて文章として書き起こしてみましたが、なにより凄いのは、これだけの思考をただあのなんでもない蒸気を見ただけでしているということです。

 

当時は他にも数十人の調査兵たちが同じようにあの蒸気を眺めています。でも、他の誰一人としてこんなことに思い至っていません。ここでハンジがいい塩梅に効いてきます。ハンジの頭が回ることは言うまでもありませんし、前述した議論も含めてエルヴィンと全く同じ情報を彼女は持っていたわけです。そんな彼女も気付くことはできませんでした。ハンジにしてみれば、かつての自説に対して「この可能性は無さそうだ」という頭になってしまっていたのだと思います。だからもうそれは基本的には除外するという感じに固定観念ができてしまっていたのでしょう。ところがエルヴィンはそれさえも小さな可能性としてキープしていて、他の情報と結び付いた瞬間に以前の結論さえも引っくり返しています。

要するにエルヴィンがやっていることというのは、他の人が気にしないようなものも含めできるだけ多くの情報を集めて、それを掛け値なしに精査していってるんです。そしてそれらを元にあらゆる可能性を考慮した上で、最も確率の高い可能性をはじき出すようなことをしているわけです。それはつまり50%のことを51%に、51%のものを52%にと勝率をコツコツと積み上げていってるようなものです。

あの「突撃」の場面だって、あのまま生きて帰ったところで、エレンを失ったらどのみち壁内は全滅する可能性がものすごく高いということがエルヴィンには分かっていました。逆に多少の犠牲が出たとしてもエレンを取り返せばそれを回避できる可能性が高くなる。そしてエレンを取り返せる可能性が一番高いのは今、だから突撃したんです。

何もしない、あるいは失敗すればいずれにしても全滅という全く同じリスクである場合に、リターンする可能性が高い方を選ぶ、そもそもこれって「賭け」でもなんでもありません。これを賭けと言うなら、トロスト区奪還戦でまだ謎の多かったエレンに全てを託したピクシス司令の方がよほど大博打なんです。そういえばアルミンはしっかりこれにツッコみを入れてました(3巻12話)

 

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-エレンが確実に岩を運んで穴を塞ぐことが前提です
-その確証が乏しいままこの作戦をやることに疑問を感じるのですが…

このエルヴィンの姿勢は作中で「賭け」として描かれていること全てにおいて同様で、エルヴィンは強運でたまたま当たりを引き続けてきたわけではなく、その思考によってより成功する可能性の高い選択肢を常に選び続けた結果、成功をもぎ取ってきたのです。ですからシガンシナでは、実際に成功する方法を最初から分かっていたにも関わらず、それをすれば自分が99%くらいで死ぬ可能性まで見えていたので躊躇したわけです。

エルヴィンは神様ではありませんから、全てを知ることはできません。そしてもちろん、この世に絶対ということもありませんから100%というのは存在しません。でもその中で情報収集と推理によって70%、80%と確率を高めていくエルヴィンは、言わばガッチガチの理論派と言えると思います。それでもやはり神ではない以上残り20%の想定外があったりして、それを賭けだと言われれば本人としては否定できないものでしょう。


他人にはエルヴィンの頭の中は見えません。特に冒頭に挙げたような憲兵などはそもそも情報格差があって、ここで退いても程なく死ぬというかなり確率の高い可能性が見えてないわけです。すると「何考えてんだ死にたいのか」ってなるわけですね、皮肉な話ですが。

でも先を知っている読者は分かっていることですが、あの時もその前も、誰よりもずっとずっと生きたくて生きたくて地下室に行きたくて仕方が無かったのはエルヴィンなんです。そんな彼が”死ぬための作戦”なんて立てるはずがなく、どうすれば生きられるのかを必死で計算して考え抜いていたんです。

 

こうして考えてみると博打打ちというよりは精密なコンピュータのような感じなんですが、ところで上に挙げた巨大樹の場面はかなり珍しいケースで、エルヴィンって普段はあんまり細かい説明をしてくれませんよね。何を考えているか分からないところがあります。そうやってタネを明かさずに他人を都合よく動かしていたという意味では、本人も言っていた通り詐欺師と呼んだ方がしっくりくる感じもあります。ところで詐欺師は他の大勢より頭が良くて物事をよく知ってないとできませんから、誉め言葉ですよ。

 

で、その詐欺師は事あるごとに叫んでたんですよ、「心臓を捧げよ!心臓を捧げよ!」って。

 

しかもそうやって叫びながら、自ら先頭に立って突撃していくわけです。先ほどの憲兵然り、まるで自ら死にに行こうとしているように見えるわけです。

 

ではその背中を追っていた人には、たとえばアルミンにはどう見えるのでしょうか(7巻27話)

 

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-何かを変えることのできる人間がいるとすれば
-その人は きっと…
-大事なものを捨てることができる人だ

これは兵団のリーダー達を見て育まれたアルミンの矜持です。そして今回あの「心臓を捧げよ」と叫びながら命を投げ捨てるかのようにエルヴィンが突撃する場面を思い浮かべているわけです。

この矜持は裏を返せば、大事なものを捨てられない人はダメな人だと言うこともできるでしょう。そしてその”大事なもの”の最たるものとは当然、自身の命です。まさに心臓を捧げること。それを矜持とするということは、命を捨てることはすごいことであり、自分があるべき姿はそれだと思っているということです。

だから彼の作戦には自分が死ぬことが組み込まれてしまうし、それを目を輝かせながら前フリまでしてしまうのだと思います(20巻82話)

 

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-だから大事に至らない辺りで切り上げるけど
-……あとは任せたよ?
-ほ ほら… 僕ってそんな… 勇敢じゃないから

超訳:命の危険があるところまでいける人は勇敢ですごい人だからね、そうなんだからね。

でもご存知の通りこの時は勇敢に死ぬことに失敗してしまいます。それはつまり、自身のそうあるべきだという矜持に反しているわけですから、今回のコニー同様に「僕はなんてダメな奴なんだ」ってなってしまうわけです。シガンシナの時はハンジや兵長も「エルヴィンになる必要はない」と先回りして言ってくれてましたが、彼の心には届きませんでした。なぜならそれが彼の矜持だから。

 

可哀そうなのは、今回あまりにとてつもない事が起こってしまったためキャパシティを超えてしまい、その矜持が災いして追い詰められてしまったことです(31巻125話)

 

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-エルヴィン団長がこの場にいたら…
-こんな不様に当たり散らしたりしなかったのにね…

自分にエルヴィンのような振舞いができないことをまざまざと突き付けられてしまったため、自分はダメな人間だとより強く思わされてしまったんでしょうね。

 

 

じゃあダメな人間はどうすべきなのでしょうか。矜持を守るためには・・

 

すごいことを”しなくてはいけない”わけです。

 

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そして彼の矜持によればそのすごいことというのは、

 

自らが死んで、つまり心臓を捧げて何かを変えること

 

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といった感じなんでしょう。

 


それもまた失敗してしまいました。そして彼はまたこう言います。

 

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-団長の代わりになれなかった…

なんかここまでくると子供のころのジークと重なってきて悲しくなってくるんですが・・

 

 

とりあえず気を取り直しまして、今回はエルヴィンとアルミンの違いが浮き彫りになってきたように思います。今回、アルミンがなぜ心臓を捧げることに失敗したかと言えば、

 

コニーが大事な友人を犠牲にできるかって助けてくれたから、ですよね。

 

そして言わずもがな、1回目の失敗の原因も大事な友人を助けようとする人がいたからです。

 

つまりですね、彼の計画には「人は大事な人を守ろうとする」という観点が欠けているんです。だから計算が狂ってしまう。今回はそれがはっきり明文化されていまして、

 

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-正しいお前なんかに!!
-馬鹿のことなんてわかんねぇよ!!

正しさっていうのは法律やなんかに付随して発生する概念です。基準となるルールがあって、その基準を超えているか超えてないかということでしかありません。別に20歳の誕生日になった瞬間にお酒が飲める身体に変身するわけではないのです。だけれどもそういうルールになっているから、19歳がお酒を飲んだら”悪い”ことだし、20歳を超えた瞬間から”正しい”ことなんです。ただそれだけ。全体をうまく機能させるためのルールに基づく概念です。

法律ってのはいちおう国民全員の代表が決めるというのが近代国家の建前にはなっていますが、当たり前ですけど全ての国民が大満足する法律なんて作りようがないんです。どうしたって大きく得をする人やそれほどでもない人、あるいは損をする人といった格差ができてしまいます。

つまり、全体のことを考えると、個々人の考えまでは汲み取りきれないんです。アルミンの考え方や矜持は根本的に全体としての考え方に基づいており、だからこそ全体の中での正しさなんかが彼にとっての正義だということなんでしょう。少し毒のある言い方をすれば、個人の想いというものにさほど重きを置いていないとでも言いますか。以前どこかで書いたと思うんですが、アルミンと周囲の会話がどこか噛み合わない感じに表現されていたのは多分そういうことだと思います。

 

エルヴィンの場合は、前述したように死ぬことに価値を見出していない点もそうですが、おそらく人の心の動きまで計算に入れているんです。王政編ではまさにそれをやってますからね。ただ、おそらくエルヴィンは自分の思考法に似たものをアルミンに感じ取っていたと思われまして(18巻74話)

 

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-壁はもう調べたと言ったろ!!
-どこにも隠れられる場所は――

-壁の中です!!

アルミンはこれを「勘」だとうそぶいていましたが、要するにこれ、巨大樹でのハンジよろしく「そこにはいないだろう」という固定観念があり、その隙を敵が逆手に取ることにまで思い至って、その可能性を高く見たわけです(18巻74話)

 

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そしてエルヴィン自身も精査してみた結果、やはりその可能性は高いと踏んで指示を出したのだと思います。思考の仕方が似ているんですね。だとすれば、エルヴィンがもしも今回のアルミンの立場だったらコニーの心理まで計算して動くでしょうが、結果的に同じような行動になるのかもしれません。方向性は違えど、です。

ちなみにもしもハンジだったら、喜んで歯磨きすると思います。

 

 


アルミンは今回失敗してしまいましたが、彼ほどの頭であれば二度同じ失敗を繰り返せばすぐに原因に思い至るだろうと考えます。エルヴィンのエリート教育を受けた彼が、欠けていたものを埋めていくならば、その先にはエルヴィンと並び立つ将来しかないかもしれません。

しかも、です。窮鼠猫を噛む、背水の陣などなど、死を覚悟してくる者の恐ろしさや強さが凄いことは殊更に書きたてるまでもありません。今回はそのことも強調されていて、

 

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-奴に…死を選ぶ覚悟があることを…見抜けずに…

 

今までは矜持が災いして自分が死ぬことが先に立ってしまっていましたが、これがあくまで死を前提としてでも結果を出すという形になっていけば、生きることを前提としたエルヴィンより多くの選択肢を持つことになると思います。言ってみればアルミンの方がよほど大胆不敵なのです。

 


それはつまり、博打打ちの皮をかぶった詐欺師の背中を見て育ったアルミンは、その皮の方だけを継承して大博打打ちになった、ということなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

-雑感-

今回のアルミンに関しては矜持の悪い面として描かれている感じですね。ただ面白いのは、それを救ったのもコニーの矜持だったりするわけで、さらにコニーが矜持を守るべく動いたのはアルミンの矜持があったからという、重なり合う感じになっていることです。

とはいえアルミンの矜持はルイーゼのそれと似ていて、時に「こうあらねばならない」という固定観念に化けたそれは本人の視野を狭めている感じもあります。記事末の推測通りであるならアルミンは「人が大事な人を助けようとすること」を改めて実感することになり、それと同時に自分がどれだけその想いを無下にするような態度を取っていたかに思い至るかもしれません。それはつまり自分の客観視であって、その気付きに繋がり得るきっかけは今回得られたのかなと思います。


前回から続いて矜持という概念について書いてきて個人的に思ったのは、たいしたことは言えませんが、自分を信じるなんて言えばなんかカッコよさげですけど、時に自分を疑ってみることも必要なんじゃないかということ。逆に、自分を疑うことも悪いことではないんだけど、時に自分を信じることもした方が良いのではないかということ。どっちつかずに聞こえるかもしれませんが、こういう矜持のようなものが自分の心の性質として確かにあるということを知り、受け入れた上で自分を客観視することが大事なのかなと思った次第です。

-雑感おわり-

 

 

 

本日もご覧いただきありがとうございました。


written: 13th Feb 2020
updated: none