075 物語の考察 a braver on the nameless casualties(第82話 勇者)
みなさんこんにちは。
!!超絶閲覧注意!!
この記事はアルミンの信奉者である自覚のある方の閲覧は禁止いたします。おそらく気分を害します。
あと、基本的にうちは最新話までのネタを扱ってる関係上、いないとは思いますが原作未読のアニメ派の方、およびそれ以外でもアニメで絶賛感動中の方の閲覧も一応禁止しておきます。
私からの警告は以上。あとは自己責任でどうぞ。
この記事は117話までのネタバレを含んでいるかもしれません。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。
※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。注記の無いものは全て20巻82話からのものです。(扉絵のみ19巻76話から)
[a braver on the nameless casualties(第82話 勇者)]
もともと私は82話の「勇者」という副題になんとなく違和感を覚えていました。と言っても無意識的な感じでしかありませんし、今までの副題と比べてえらいストレートだなとかそんな程度のものです。
実際、超大型に対するアルミンの行動は勇者と称されるに値すると思いますし、エルヴィンや新兵たちの特攻も合わせて勇者と呼べることは疑いようもなく思います。そのため、いつの間にか違和感も忘れ去っていました。
でも今回アニメを見ていて、見落としていた一つのセリフの流れに気付き、おそらく作者が「勇者」という副題に込めた本当の意味に近づけた気がしていますので、世に問うてみたいと思います。受け入れがたい人が多そうな予感はしますが。
もう一度だけ言っておくと、進撃を読んでカッコいいとか美しいとか感動したりしている方は読まない方が良いです。誰も残りませんね、それで結構。私は進撃をグロい物語、それも巨人が人を食うスプラッターなグロさではなく、人間の内に潜むグロさみたいなものを見て取っていて、今回はまさにそっちの記事です。毒も地雷も含んでいます。まだ間に合うので、引き返していただいた方がいいと思います。警告はこれで最後です。
できれば82話を一度読み返してからご覧ください。まぁみなさんアニメでご覧になったばかりでしょうから、別にいいかもですが。
82話はこんなシーンから始まります。
-エレン… 作戦は以上だ
-あとはすべてを実行に移し
-超大型を騙すことさえできれば
-この勝負 僕達の勝ちだ
81話のラストから82話の始まりまでに、すでにアルミンは作戦をエレンに説明し、エレンもやる気満々の表情みたいですね。
さあ、整いました。それでは超大型をやっつけましょう!
あ、ちょっと待ってください。ここで場面はミカサたちと鎧の戦闘にフォーカスします。仕方がないのでそれを待つ間、少し別のお話をしておきましょう。だんだん暑くなってきた昨今ですし、涼を求めて冬季訓練を振り返ってみるのはいかがでしょうか。
それは40話でのこと(10巻40話)
-早く行かないと危ないでしょ…
-早く… 先に行ってよ
ヒストリア(当時はクリスタ)は、ダズを助けるポーズを見せながらユミルを先に行かせようとしていました。ここでユミルが入れているツッコミはほぼ的を射ていると考えていいと思います。おそらくヒストリア自身も無意識半分でやってるみたいなところはあるんでしょうが、最終的に本人が吐露しています(10巻40話)
-できないよ
-今だって…
-ここから3人共助かる方法なんて無いでしょ⁉
つまり、本人も助からないだろうと思っていながら「私たちは助かる」とユミルに嘘を告げて先に行かせようとしていたわけです。まさにユミルが指摘していた通り本人は最初から死ぬ気で、伝説をユミルに託そうとしていたわけですね(10巻40話)
-本気で死にたくないって思ってない…
-いつも… どうやって死んだら褒めてもらえるのかばっかり考えてただろ?
先に書いたようにヒストリアは無意識半分でしょうから否定しようとしていますが、言い返しきれないあたり、やはり図星だと捉えていいと思います。有り体に言えば、いつも理想の死に場所を求めていた、ということになるでしょうか。
少し涼しくなっていただけましたか?
あっあっ、ミカサが鎧を転倒させてこっちに順番が回ってきそうです。本題に戻りましょう。
では、作戦決行です! 超大型をやっつけましょう!!
・・・
・・・
あ、あれ・・?
-自分で考えた作戦だけど
-成功は…僕がどれだけ
-耐えられるかで殆ど決まるなぁ
ここからはみなさんご存知の通り、アルミン一世一代の「嘘」の場面が描かれていくわけですが・・
ちょっとわざとらしく書きすぎたので誇張のように思われるかもしれません。でも、アニメで見返した時に、心の中で思わずツッコミを入れてしまったんです。
まだ話すんかい、って。
作戦はすでに共有しています。エレンの目もやる気満々です。そのまま作戦を進めても全く問題ありません。鎧の方ですでに時間も少し経過しています。
・・でもまだお話するんです。
上で強調したのはそういうことです。率直に言ってここの会話、無くても問題ありません。見方によれば念を押している感じになってるわけですが、作戦には一切変更もありませんし、もしもこの嘘の場面が無いまま作戦を行ったとしても、アルミンの行動が勇者と讃えられることも変わらないだろうと推測できます。そしてエレンのやる気に影響しているわけでもなさそうです。
いや、むしろエレンの感情をかき乱している疑いさえあります。作戦の遂行を重視するなら、こういった余計な言動は省くべきとまで言ってもいいかもしれません。本当にいらない。
実際エレンは、このアルミンの発言から初めて何かを疑いだしています。
この嘘の場面が無くても、エレンは疑いもせず同じように作戦を遂行したでしょう。それでもやっぱりアルミンを生かそうとするでしょうし、何も変わらない。ほんとこの場面意味ないんです。
ところで、なぜ私が副題に違和感を覚えたのかが自分ではっきりとわかったので、先にそれをお話しておきます。
今回のアニメを見ると、エルヴィンと新米兵士から兵長や104期そしてアルミンまで、みんなが勇者だったんだって感想になるでしょうし、それは至極当然だと思っています。
でも原作だと意味合いが全く異なってくるかもしれません。
アニメ54話は、原作の81, 82話を合わせて一話としています。原作だとそれぞれ81話は「約束」、82話が「勇者」という副題です。81話は文字通り、兵長vs獣の「俺は誓った」とアルミン104期の約束が主軸になっており、82話はエレンアルミンと超大型、104期と鎧の戦闘が描かれています。
注目すべき点として原作の82話「勇者」では、内門側のエルヴィン・兵長・新米たちは一切登場しません。
じゃあ新米兵士たちはどこに描かれているかってことなんですが。ひとつ前のアニメ53話「完全試合」は原作79, 80話で、79話「完全試合」から副題を持ってきています。そして80話が、フロックが泣き言を言ったりエルヴィンに質問したりしながら内門側が特攻していく場面になります。その後「約束」という一話を挟んで内門側は全て終わり、アルミンがメインの82話が「勇者」なんです。正直なところ、原作だと兵士たちが「勇者」に含まれているのかは疑問が残るような気もします。
そしてなにより、作者はこの80話の副題を「名も無き兵士」としているんです。ここのチグハグさになんとなく違和感を覚えていたんだと分かりました。ものすごくダブルスタンダードなんですよ。勇者の陰に名も無き兵士ありって? いや、ちょっと待ってください。
名も無き兵士たちがしたことがこちら。
リヴァイが獣を倒すまでの時間を稼ぐために、デコイとして命を捧げた
アルミンがしたことがこちら。
エレンが超大型を倒すまでの時間を稼ぐために、デコイとして命を捧げた
まっっったく同じです。アニメを見た人が「みんなが勇者だ」と思うのも当然のことですよね。全く同じことをしているんですから。
ところが作者は、この両者を「名も無き兵士」と「勇者」という、両極端な呼び方で区別しているんです。「名も無き勇者」ではなく「名も無き兵士」。ただの兵士。
作者はただでさえマルロやフロックを使って、特攻の空虚さみたいなものを描いているにもかかわらず。ジークにまで”誇り高き死”と言わせてそれを強調しているにもかかわらず。なのに、その上でアルミンだけをピックアップして「勇者」という讃えるような呼び方をしているわけです。
じゃあその両者の違いは何かって考えても見つかりません。かろうじて内面が少し違うくらい。死にたくないと思いながら死んだか、死のうと思って死んだかってだけです。それって周りの人からは見えないことだから、「勇者」と「名も無き兵士」の区別にならないじゃないですか。何度でも言いますがアルミンのあの行動が勇敢であったことは間違いありません。それと同時に内心どう思っていようが、あの兵士たちだって勇敢だったことは間違いないはずです。いったい作者は何をもってこの両者を線引きしているんでしょう。
って考えていたら手掛かりが見つかりました。
内面が、見えてました。
アルミンの内面は、エレンがそれとなく知っていたんです。つまり、ここで先ほど必要ないと言った場面が意味を持ってきます。
それでは82話の嘘の場面に話を戻します。
まず、ここでアルミンがエレンに言ったことの全部がウソであることは、どなたも異論はないかと思います。ウソということは、それはアルミンの本来の気持ちとは反対であるということです。
-僕がエレンにウソついたことあった?
もちろんこれは過去のことになぞらえながら、「今言っていることは全てウソじゃないよ」という意味ですから、まさにウソをついているわけです。本心では「今言っていることは全部ウソだけど」ってことですよね。ではそれまでに言ったウソをひとつずつ確認していきましょう。
-僕がどれだけ耐えられるかで殆ど決まるなぁ
これはもちろん後のセリフと繋がっており、「”大事に至らない辺り”をどれだけ引き延ばせるかで決まるなぁ」という意味になります。当然これもウソで、実際の行動を見れば最初から耐えきれないとこまで行くつもりだったことは明白です。
-エレン… 悪いけど僕は
-海を見るまでは死ねない
これも言うまでもなく、最初からエレンに託すつもりでした。
そして・・
-ほ ほら…
-僕ってそんな…
-勇敢じゃないから
つまりこれ、無意識半分みたいな感じかもしれませんが、「僕は勇敢だ」と思っている、あるいはそうありたいと思っているんです。捉えやすいかと思いますので、少し毒のある書き方をすれば、
僕がどれだけ耐えられるかで決まるなぁ(チラッ
僕ってそんな勇敢じゃないから(チラッチラッ
こういうことですよね。もっとはっきり言ってしまえば「ワタシってブスだから」って言う心理と似ています。要するに本心ではそうではないと思いたい願望があって、だから相手に打ち消して欲しいからわざと反対のことを言う感じです。エレンはまさに思惑通りのリアクションをしていますよね、「いやいやおまえカワイイよ」って。
これらが自己肯定感の低さによる承認欲求に端を発していることは想像に難くないですが、そのへんは以前の記事にも書いたので今回は割愛します。今見るとこの下段のコマの表情とフキダシがかなり意味深に見えるかもしれません。
結局この場面は、「僕は今から勇敢に死ぬからね、見ててね」ってエレンに”伝える”ことが最大の意味だったと考えられるわけです(もっと言えば読者にも伝えてると思います。)
さて、こうして見るとアルミンと「名も無き兵士」たちの間には、死にたいと思っているか否かの他に、”死のうとしていることを伝えた”か否かという違いが出てきました。
そうしたら完全一致してしまったんです、兵士たちじゃなくて別の人と。
今からみんなの勝利のために勇敢に死んでいくと伝えて、自殺行為に身を投じたアルミン
今から他人を助けるために心優しく死んでいくと伝えて、自殺行為に身を投じようとしたヒストリア
つまりこういうことです(10巻40話)
-いつも… どうやって死んだら褒めてもらえるのかばっかり考えてただろ?
そして、副題の意味も完全に重なってきます。ダブスタでも褒め讃える意味でもありませんでした。
ユミルは、「今から他人を助けるために心優しく死んでいくと伝えて、自殺行為に身を投じようとしたヒストリア」に対して、こう皮肉っています(10巻40話)
-……お前 このまま死ぬつもりだったんだろ?
-そんで私に女神クリスタ様の伝説を託そうとしたんだろ?
そうやって私に語り継がせようとしたんだろと、「女神様の伝説」という言葉で揶揄しているわけです。ではこの男性版を、あるいは「今からみんなの勝利のために勇敢に死んでいくと伝えて、自殺行為に身を投じたアルミン」の場合を考えてみるとどうなるでしょうか。
もしもアルミンの相手がエレンではなくユミルだったら、きっとこう皮肉ることでしょう。
「おまえ、勇者アルミン様の伝説を託そうとしたんだろ?」
なるほどそういうものかもしれません。
多少偏見こみですが、一般的に良いとされる企業とか学校とかに行ってる人に承認欲求が強い人はかなり多いです。なぜかといえば人一倍他人から認められたいと思っているから、それが強いモチベーションになっているのだと思います。普通の人々が死の恐怖に震えている間に、彼らは自分が優れていると示すことを一心不乱に追い求めているわけです。命さえもかなぐり捨てて。アルミンが賢くて弁が立つのも、こういう動機付けが元になっていると思っています。まぁ、承認欲求も悪い面ばかりではないとも言えるかもしれませんね。
そして、実際の英雄とか勇者とされる偉人たちもそういうことなのかもしれません。アレクサンダー大王、ナポレオン、あるいは織田信長とかでもいいですけど。教科書に出てくるような偉人たち、彼らを突き動かしたものは何だったのか。承認欲求だったのかもしれません。
ひとりの英雄が教科書に載るその裏には、その数千倍、数万倍、あるいは数十万倍もの兵士が、もとい死者がいたことは間違いありません。その死者たちの上に立って後世に名を残した英雄と、人知れず屍の山の一部になった名も無き兵士たちとを分かつものとは、案外ささいな心境の違いの積み重ねだったのかもしれませんね。
-あとがき-
この勇者って副題、ものすごく皮肉的で風刺的ですね。やっぱすごいな、この作者は。
結局、マルロやフロックなんかも絡めて「自己犠牲」という美辞麗句の裏側にあるものを徹底的に炙り出していますよね。凡百の作品ならマルロの独白もアルミンのセリフも全部カットして、彼らはかっこよく、潔く、華々しく散り、仲間たちが彼らを英雄として想い偲ぶことでしょう。読者もそれに感動し、美談として幕を閉じるはずです。まさに英雄譚、一般的な「勇者」という言葉の使い方です。
物語としてはそれで良いのかもしれません。でもそれがもし現実ならば続きがあるわけです。その兵士は若くして生涯を終え、土に還ることになります。物語では描かれなかったりしますが、きっと家族もいることでしょう。奥さん、子供、親、あるいは彼女や友人、残された人にとって、故人を英雄扱いされたところでそれが慰め以上の何かになるのでしょうか。本人は、もっと生きた場合以上の何かを得られるのでしょうか。しかもほとんどは、英雄どころか名も無き兵士の一人でしかないわけです。実際のところ、教科書の英雄たちの陰で死んでいった兵士のことなんて、私たちは名前どころか存在すら知ることもないわけです。
「彼らはコマではない」
アニメでリコが言っていたセリフです。果たして自己犠牲とは、本当に美しいものなのでしょうか。あなたは人類のために死ねと言われたら、死ねますか?(5巻21話)
-死にたくありません!
それが普通なはず・・です。でもそんな中に、自ら死ぬことを所望してそれを実行してしまう人がいます。じゃあその源泉はなんなのかって元をたどってみれば、自己否定の感情なわけです。言ってみればただの感情でしかありません。でもむしろ、それこそが人間というものを突き動かすものだということなんでしょう。普通に頭で考えていれば、人に死ねと言われたからってすぐに死のうという風にはなりません。お前が死ねってなるかもしれません笑。でも無意識から湧き上がってくる衝動は、いとも簡単に人を死に向かわせます。人間の心って恐くて不思議ですよね。
考えてもみてください。たかが、人に認めて欲しいってだけで、そのために命すら投げ出すんですよ。くだらないと思いませんか。でも衝動ってのは意識の上で理屈を考えたところで、どうにも止められないものなんです。
だからこそ自分を愛して、認めてあげることが大事なんでしょう。あるがままの自分を。別に人からダメな奴って言われたっていいじゃないですか。ダメで何が悪いのかが私には分からない。むしろ人からダメって言われるってことは優しいってことなんじゃないかと思います。みんな恐いヤツにはダメ出しなんかしないですからね。言いやすいから言ってる。話しやすいって言い換えたらそれはもう長所でしかない(18巻71話)
-人に認められなければダメですか?
カルラは言ってました。彼女の考え方には賛同します、人に認められなくてもいい。でもむしろ、私は「人に認められない方がいい」と思っています。なぜって認められるとものすごくメンドくさいんですよ、維持しないといけなくなるから。ステータスってあるじゃないですか。最初はなんかキラキラしてていいなって思ったりするんですけど、少しでも手に入れたらもうそれを保つのに必死。手段が目的に代わっちゃうんですね。
承認欲求お化けとか言うんでしょうか、SNSとかでよく見かける人。かわいそうだなって思います。今日はこんなオシャレなレストランに行った、こんなカワイイ鞄を見つけた、他ジャンルでもいろいろありますが、あれは走り出したら止まれない。止まらないんじゃなくて止まれない。止まったら最後、自分は無価値だという地獄に落ちてしまうんです。だから私は最初から「人に認められない方がいい」と思う。
いや、私はいったい何を書いてるんでしょうね笑
まぁ今回読んでくれているのはキツメの警告を突破して読みにきてくれたみなさんですから、いいですよね、たまにはこんなのも。いつもありがとうございます。
こんな話で終わるのもなんなので、今回の発見での副産物をひとつ。
私は後発なので通し読みしてて気付いてなかったんですけど、80話の時点ではフロックは本当に名前が無かったんですね。そして、その名も無き兵士たちの中でも一番死ぬのを怖がっていたのが彼だったわけです。
つまりフロックはまさに”名も無き兵士”の中の”名も無き兵士”であり、エルヴィンの後ろに立っていた「こちらを見ている兵士たち」と特攻した兵士を合わせたものの象徴だと思うんです。言ってみれば亡霊みたいなものですね。
そこで現状を振り返ってみれば、その亡霊は怒り狂ってるわけですよ。「グダグダしやがって俺達が捧げた心臓どないしてくれんねん」って笑
そうなったらもう過去の上司とか関係ありません。ハンジだろうがリヴァイだろうが「シャキッとせいや」って尻を叩きまくってるわけです。むしろ上司であればあるほど、しっかりしてないと腹が立つわけです。
ちょっとふざけた書き方になってしまいましたが、こういうことなのかって得心がいきました。彼らは見ているんです。そしてフロックを媒介して手まで出してきている感じです。ちょっとフロックの印象変わってきませんか? まぁフロックはフロックで、そういったものにムリヤリ突き動かされてる感じなんでしょうけどね。
あと81話「約束」で兵長がエルヴィンと交わした約束が、今も兵長を突き動かしつつ縛り付けていたわけで、結局あれも「夢と呪い」と一緒なんだなと。
キリがないのでこのへんで。
-あとがきおわり-
最後までご覧いただきありがとうございました。
written: 2nd Jun 2019
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