094 最新話からの考察 126話① B-side
みなさんこんにちは。
ああああぁぁぁ、巻いてきたー・・というのが初見の印象でした。今までで一番”終わり”を身近に感じたような気がします。まぁ個人のお気持ちは置いといて、内容的には見たまんまの王道展開でしたのであらすじは省略しながら今月こそは手短にいく所存です。
この記事は最新話である126話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。
※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。注記の無いものは全て別冊少年マガジン2020年3月号・126話からのものです。
[B-side]
まずは泣いて馬謖を斬る的なハンジさん。こういうのをセリフではなく、さり気ない絵で表現してくるところにホント惚れぼれします。
あと兵長はピンピンしてました。正直アッカーマンなめてましたすみません。
それとハンジ関連でこのあたりを期待してる人もいそうなので書いておきますが、
残念ながらゾエではありませんでしたね。
先月もアニのところで書きましたが、作者は”血縁じゃないんだ”って部分をかなり強調しているように思いますので当然の流れかもしれません・・とは言ったものの、べ、別に負け惜しみじゃないんですけど、まだ遠縁とかの可能性が否定されたわけでもないんですよね。苗字なんて一世代で変わり得るわけですから。まぁ遠縁だったからなんだってこともないんですが、それは別としてハンジにはまだ何かありそうな感じになってまいりました。
マガト&ピークちゃんとの場面が始まった時、すでにお互いの名前を知っていたことなどから最低限の情報の共有は済まされていたと考えていいと思います。ということはハンジはこの時点で、エレンとジークが接触した瞬間に壁が崩れ出したこと、巨大な始祖の巨人が出現したことなども既知ということになります。近くを壁巨人が行進していましたから、実際遠目にも見ているかもしれません。そこでこのセリフが飛び出します。
-おそらくは…
-王家の血を利用するためエレンに取り込まれている
-いや… 始祖の巨人に
んん?
いやたぶんその通りなんでしょうけど、ハンジの持っている情報から考えてもたくさんある可能性のうちの一つに過ぎないはずです。彼女は始祖の巨人が現れた瞬間を見てもいないし、もともとは始祖と王家が接触すればという話しか知らなかったはずです。そして彼女が知っている始祖と王家が接触した唯一の例はエレンが叫んだ時だけ。しかもあの時はダイナを取り込んだりするようなことは起こりませんでした。つまり数ある可能性の中でも別段あり得そうに思える要素が一切ないのです。
にもかかわらずハンジはさも分かっていたかのような言い方をしています。やっぱり発想が飛躍し過ぎている感じがします。
オーディンは片目と引き換えに全知を得たといいます。ハンジもそのエピソードになぞらえている部分があるとは思います(もちろん始祖ユミ子ちゃんもです。)でもハンジが片目を失うに至った出来事は、大事な仲間を失ったことでいちばん大事なものに気付く道筋が開けたとかそんな感じではないかと思います。進撃はなにかをゲットしてすごい能力や必殺技を身に付けるみたいな話ではありませんから、別にハンジが急に全てを悟ったわけではないはずです。なんなんでしょうこの知りすぎ感は。しかもこの感じを、次のセリフが後押ししていきます。
-巨人博士のハンジさんなら何でもわかるようですね
-我々マーレよりも…
はい、おかしい。
実はこのセリフが無かったら”ご都合”で済む話です。ああ、飛躍し過ぎだけど話の展開上仕方ないよねって。適当に「そうかもしれませんね」って言わせても良かったわけです。でも作者は、ピークちゃんに「そんなに知っているなんておかしい」ってわざわざ言わせてるんです。
つまりなにかがあるんだとは思います。
そのなにかは現時点では分かりませんが、種明かしを期待して待ちたいと思います。
それはさておき、
夜になり大きな人たちが海に到達して水しぶきをあげているころ、
ここは要補完ですね。眠れぬ夜を過ごしていたミカサたちのもとへ、ハンジが白馬ならぬ車力にまたがって来たということだと思います。それをミカサの鋭敏な感覚が野良猫より早く察知したと。
そして翌日、ミカサは白いジャケットコートを着ることで今の兵団には与しない姿勢を表しています。自らの矜持に従って、ということでしょう。ジャンもまた「今やるべきことをやる」という矜持に従って一芝居打つわけです。
その頃、ご都合よろしくも遭遇した彼らは行動を共にしますが、このメンツはあの場面を思い出させます(5巻21話)
当時のコニーはなんとなく周りに合わせるようなところがあり、アニにもそれをたしなめられていました(5巻21話)
-…あんたさぁ
-人に死ねって言われたら
-死ぬの?
-なら自分に従ったらいいんじゃないの
そんなこんながあったからこそ、いまや自らの意志で「困っている人を助けよう」と周囲を先導するまでになったのでしょう。それはつまり成長であり、自分の中にある一本通ったもの、矜持がこうして育まれたんだということではないかと思います。
あとこれは余談ですが、この一枚。
冒頭に書いたハンジの場面と同じで、デッキブラシがすぐに出てくるということから、普段から面倒を見てあげてることを感じさせますよね。
閑話休題。
「陰湿なルームメイト」もまた、自分がやろうとすることに友人を巻き込まないという矜持があるのでしょう。大事な友人だから守るとすれば、アニにも変化があったということかもしれません。文章は相変わらずぶっきらぼうな感じですが、無駄なく端的であるがために最後の一文がよりストレートに刺さってきます。
その後シガンシナに戻った彼らはミカサと合流して事の顛末を聞いたことになるのでしょう。ここもいちおう補完です。
あとこれはよく分からないけどキースでしょうか。キースであるとするなら教官としての矜持で自らの教え子たちの成長を見守っている、といった感じなのかもしれません。ただやたらアニが気にしている描写がされているのが少し気になります、アニとキースだとたいした接点もないですし。もしこれが過去や未来のエレンだったりしたら面白いですね。エレンは兵舎の窓から外を見ているシーンもありましたから、もちろんその時ではないと思いますが重ねていたりするかもしれません。もしくはア・・いやなんでもない。
ところで・・
私は初見では何の疑問も持たずにフロックとして読んでたんですけど、確かにエレンそっくりですね。設定的にはたぶんエレンでもいけそうな気がするしそうだったら面白いですが、襟足はフロックに見えます。
ところ変わって河原へ。
-元帥殿がご所望だ
ジークまわりの情報を一番持ってそうに思えるのはイェレナでしょうから彼女を生かすのは当然とも言えるのですが、同時に元帥としての矜持で、まがりなりにもマーレの兵士ですから無下に死を望むわけではないのかなと思います。裏切りであれなんであれ、それはマーレの法によって裁かれるべきものであって個人的感情で裁いたら私刑に他ならない、マガトはそんな考えをする人ではないかなと。そもそも元帥は司法ではありませんからね。
そのおかげもあってイェレナが掘り下げられるフラグが立ったように思います。おそらくイェレナはジークと似たような育ち方をして、共通の夢を持った彼に導かれたという感じだと推測しますが、彼女にも生きる意味の再発見がありそうだなと。その上でこれまで志を共にしていたジークを大事に思うのか否かというのは、ミカサやアルミンと重なってくるテーマにもなりますね。
・・そして仲間たちが集います。
相変わらずライナーにドSなアニちゃん。控えめに言って最高です。”変わらない”仲間というのはいいものです。
カミュの名言とされている言葉に「Just walk beside me and be my friend」というのがあります。現代風に言えば、”マウントを取ったり、あるいはへりくだったりするのではなく、本来の自分同士でただ共に進もうじゃないか。それが本当の友だろ”といった感じでしょうか。
紆余曲折はあったにせよ、それぞれがそれぞれの矜持を胸に抱き、惑わされることなく前を見て進むならば、その傍らには信じ合える仲間が自然と集まってくるのかもしれません。
そして未来の英雄たちは手を取り合って、困っている大事な友を止めるために進んでいくのでしょう。
そして、世界の”みんな”を救うために。
本日もご覧いただきありがとうございました。
-お気持ちとかいろいろ-
別の記事にしようか迷ったんですがここに書きます。というかここからが本題でーす。
まず今回のノリでエレンを止めてめでたしめでたしって終わったら私個人としては非常に残念だというお気持ち。とはいえ大筋はだいたいそんな感じになるとは思います、止め方はいろいろあれど。
それから126話を最初に読んだ印象は冒頭で書いた「巻いてきた」の他にもう一つありました。
ぶっちゃけ「ずいぶんご都合が良いなぁ」と。
問題を切り分けたいと思いますが、みんなが集合していく部分を端折ってるのは普通に理解できるんです。描いても同じようなことの繰り返しになるでしょうし、フィナーレに向けてここまで加速してきたドライブ感みたいなものが損なわれてしまいますから。今回巻いてきた感があるのはたぶんそこらへんを考慮しているように考えられます。必要があれば後から少し回想を挟んでもいいわけですしね。
でも”巻き”を踏まえて読んでみても、やっぱり集合する展開がご都合良すぎる印象は拭いきれませんでした。言ってしまえば”雑”なんです。私は今まで進撃を持ち上げる感じで「凡百」という言葉を度々用いてきたのですが、この雑さってまさにその「凡百」でよく見られるようなものなんですよ。でも雑な印象を受けるであろうことなんて、作者や編集者も読み返せば当然分かることじゃないですか。これまでこんなに緻密な物語を狙って創り上げてきた人たちなんですから。
・・なーんてことを考えていたら合点がいきました。
あ、今回は「アルミン回」なんだ、って。
アルミン回ってのはどういうことかと言いますと、進撃のジャンプ面のことです。以前も書いたんですけど、この作品はアルミンを主人公として読んだらまさにジャンプを連想するような王道テンプレ英雄譚になっているだろうと考えていまして、今回はまさにそれそのものなんだと思います。
※注:ちなみに最近のジャンプはそうでもないという話を聞いたこともあるし、長いこと読んでませんので現状は分かりませんが、あくまで友情と勇気となんとかみたいな単語で表される王道ストーリーのイメージとして割と一般的かなと思い、ジャンプの名前を代名詞として使っているだけです。集英社さんに他意はありませぬ。
話を戻しますが、作中では立ち位置などによる見え方の違いがずっと描かれてきていますが、作品全体としても既存の英雄譚を視点を変えて見ているような構造になっているのだろうと思っています。もしも進撃がジャンプに掲載されているとしたら、悩みながらも成長していく主人公アルミンがいて、その親友ポジがエレンであり、同時に好敵手と書いて”とも”である感じです。つまり別マガの進撃は王道ストーリーの裏側を描くことこそが主題ではないかということです。
もちろんそれでも話を展開する上で表側も描く必要が出てきます。でもそこは主題じゃないし、みんな分かりきってる”王道”なんだから端折ってもいいじゃないですか。いやむしろ、雑にご都合が良いのが王道らしさとまで言えるかもしれず・・これは狙ってやってるんじゃないかと思います。たぶん作者の暗黒面です笑
というわけで、別マガの進撃としては今回は裏側の話なんだと思います。ちなみにかつて日本ではこういう裏面のことを「B面」と言ったとか言わないとか・・
そうなってくると今度はA面で作者がなにを描いているのかが気になってきます。その言葉の魔術師が今回投げかけてきたのが「矜持」です。そこで矜持という言葉について小一時間考えてみました。
まず矜持というのは簡単に言えば誇り、プライド、自負とかと同じような感じです。そのまま単語を入れ替えてもだいたい普通に意味が通じるはずです。
じゃあなぜ誇りではなく矜持なのか。
矜持という言葉には誇りそのものだけではなく、その誇りを保持している状態というニュアンスが加わっているようです。パッと思いつく用例として、「武士としての矜持を守る」だとか「医師の矜持に従って」みたいな使い方を何度も目にしたことがあります。これらを紐解いてみれば、まず”ある特定の役割”があって、”その役割があるべき姿”があって、”そのあるべき姿であろうと努める気持ち”といったニュアンスが浮かび上がってきます。今回で例えればコニーの心の内には、「母が望むような兵士としてあるべき姿」という到達点のようなものがあって自分はそうあるべきだと思っている、そこまでをひっくるめて矜持という表現がなされているのだと思います。単なる誇りとはだいぶ趣が変わってきます。
そこでこの記事の本文では各人の矜持と捉えられそうな部分をピックアップしたんですが、それぞれがそれぞれの思い描く理想像を心に抱き、その一本通った矜持に従って行動していく様はかっこいいですよね。信念とか美学という言葉に通ずるものがあると思います。
でもたぶんそれはジャンプ面でしかないのだとも思います。
ルイーゼは自分たちを守る一つの方法として、戦うことをミカサから学び取りました。それはミカサのように強くありたいという矜持を持っていたと言えます。その矜持がイェーガー派の思想と噛み合ったため没入していったのでしょう。私たちは自由であるべきで、自由を得るためには戦って勝ち取るべきである、彼女は死(?)を目前にしてもその考え方が変わることはありませんでした。これも一本筋の通った矜持であると思います。
彼女の姿勢は良く言えば真っすぐで、忌憚なく言えば頑固で融通が利かない印象があります。でも私がどう評価しようが、彼女は自身の信念や矜持といったものに従って脇目も振らずに突き進んだに過ぎません。B面の英雄たちと本質的になんら違いはないはずです。
そんなルイーゼを冷ややかに見つめるミカサは、おそらく過去の自分と重ね合わせているものと思います。”ミカサさんが巻いていたマフラー”というのは、ルイーゼにとっては自らの矜持の象徴とも言えるでしょう。それは当然ミカサにとっても自らの模範たる矜持を象徴するものだったわけで、かつては脇目も振らずにその矜持を守っていました。
矜持という概念は上っ面だけみてるとなんだかかっこいい感じがしますし、理想、信念、美学、筋が通った、などなど美しい言葉でいくらでも言い換えることができます。でもルイーゼなんかを見てると”こうあらねばならない”ということが見えない枷となって本人を縛り付け、視野狭窄に陥らせてる部分も見えてくるように思います。パラディ島の民衆も然り。自由を勝ち取ることに囚われすぎて、なにか大事なことを見誤っている感じです。イェレナのジークに対するものもそうですし、ミカサのエレンに対するものもそんな感じでした。
エレンにしてみればそんな枷のようなものは必要ないというのはもはや言うまでもないでしょう。
ミカサは今回ルイーゼを通して自分を客観視したことで、縛り付けていた枷から抜け出してエレンに対する本当の気持ちと向き合うことができるのかもしれませんね。
まぁネガネガしいことを書きましたが、もちろん矜持が良いとか悪いとかいう話ではないと思います。人間はそういうものがあるからこそ行動していけるようなところもあるし、その人の人生経験の中で育まれたそれは言ってみれば自分自身そのものだとも言えると思います。
でも、なんとなくかっこいいばかりではなく裏を返せばこういった側面がある、たぶんそういうことなんじゃないかなと。
-B面 おわり-
最後までご覧いただきありがとうございました。
written: 11th Feb 2020
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