進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

065 最新話からの考察 114話① みんなのために

みなさんこんにちは。

 

またまたえらい社会派なテーマを投げかけられた気がする一話でした。少し掘り下げてみたいと思います。

 

 

 


この記事は最新話である114話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。注記の無いものは全て114話からのものです。

 

 

 

 

 

 


[みんなのために]

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 みんなのため

なんだか耳ざわりの良い言葉です。

 


 みんなのためにキレイにする

例えば家の前を掃除したりするのはホントは自分のためなんですけど、町内のみんなのためとか言ってみると、なんだか自分が役に立ってる感じがしてきます。

 


 みんなのためにヤツを殺す

なんだか、人を殺すことの”悪さ”が軽減されるような感じがします。これはそのまんま作中でも描かれていました(14巻58話、15巻59話)

 

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-間違っていたのは自分でした
-次は必ず撃ちます

ジャン個人の考えは、”人を殺すのは良くない”から始まっています。ところが、みんなのために殺すべきだった、自分の考えが間違っていたと、一瞬で殺人を正当化してしまっています。兵長が善悪とは切り離すよう諭さなければ、ジャンの考えは”みんなのために人を殺すのは正しい”で固まっていたかもしれません。個の問題を全体の問題として言い換えるだけで、本来の自分の欲求をごまかし、思考停止を伴いながら正当化されてしまうわけです。

 


今度は少し視点を変えて、全体から個への働きかけの場合です。

 

 みんなのために頑張れ

なんか、ここで頑張らなかったらみんなへの思いやりが無いような、悪いことをしているようなニュアンスが生まれてきます。実際「みんなのため」は耳ざわりがいいので、多くの人に支持されることが多いかもしれません。その時「みんなのため」は牙を剥いてきます。それをしない人の”悪いやつ感”はさらに強まり、嫌でも「みんなのため」に頑張らなくてはいけない雰囲気になっていきます。

そのためでしょうか。「みんなのため」は、組織が個人を動かすのに活用されています。家族、学校、会社、チーム、政治、国、世界、ありとあらゆる集団で「みんなのため」にお目にかかることができます。


そういえばエコブームってちゃんちゃらおかしく感じた部分があったのですが、まさにそれでした。政治的な思惑が見え透いてるというのも理由の一つですが、それよりなにより気になってしまいます。地球環境を守るってのはとても良いことのように聞こえるじゃないですか。

でも、誰にとって良いことなんでしょう?

現在の人間にとって、ですよね。今の人間の暮らしを守りたいわけです。別にそれは当然の感情ですから何の問題もありません。人間が地球環境をどうこうできるのかどうかは置いといて、私たち現在の人間にとって良いことである可能性はあります。でもそれを地球全体のため、生物みんなのためとか言いだすから滑稽なんです。おそらく地球も他の生物たちも守ってくれなんて思ってないでしょう。でもそんなことは関係無く、「みんなのため」なんです。そしてそれはなんだか良いことのように聞こえ、賛同しなければ地球まるごと敵に回す雰囲気になっていきます。

 


「みんなのため」は全体や組織の側からすると個人を煽動するのにとても便利な言葉だったりします。もちろん負の面ばかりじゃありませんけど、「みんなのため」はとにかく強いんです。例えば個人と個人、1対1の意見のぶつかり合いであっても、「みんなのため」を用いるとなぜか1対多数の意見のようになり、そうそう負けることがありません。

 

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-みんなの健康よりも自分の家族を大事にしたらどうだ

これが個人と全体の意見のぶつかり合いです。イェーガー翁の個の考え方が正しく感じる方が多いだろうと想像しますが、「みんなのため」は強い説得力を持っているため簡単に説き伏せることはできません。

 

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-見つかったら
-みんな 楽園送りなんだよ?

ジークは賢いので全体には全体で対抗しようとしていますが、付け焼刃の「みんな」では、グリシャの醸成された「みんな」には敵いませんでした。ジークの「みんな」は自分たち家族と復権派ですが、グリシャは全エルディア人という「みんな」であることも大きいと思います。数の暴力のようなものなんでしょう。グリシャの頭の中でも数の暴力が働くとすれば、思考はどんどん「みんなのため」が深まる方向にいってしまいます。一度はまったら容易に抜け出せないのが「みんなのため」なのかもしれません。

 

 

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-そもそも僕らは生まれてこなければ
-苦しまなくてよかったんだ

生まれてこなければよかったという個の感情は、「みんなのため」という言葉によって正当化されていきます。そういう意味では、クサヴァーさんとの出会いは不運であったと言えるかもしれません。もともと個でしかなかった感情が、同じ感情を持つクサヴァーさんの個と結びつくことで”集団”になってしまいました。

自分もクサヴァーさんも生まれて来なければ良かったと思っている。フェイおばさんだってそうだったかもしれない。みんなもそう思っているかもしれない。しかも自分たちが生まれてこなかったら世界中のみんなのためにもなるじゃないか。

結果論を言えばクサヴァーさんは罪深いかもしれません。ジークが生まれて来なければ良かったと確信を持ったのはこの言葉の影響が大きいでしょうから。

 

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-君を…
-…愛さなかった

自分は親に愛されない、要らない子だった。仮に本人にそう思うところがあったとしても、第三者から言われるのは全く違った意味合いを持つと思います。まぁのっぴきならない状況で生まれた言葉ですから、やっぱり不運だったと言う他ないのかもしれませんが。


ただ、ジャンの例で分かる通り「みんなのため」は本来の個人の欲求を覆い隠すベールであり、自己欺瞞のようなものです。そもそもは、ジークの根っこにある感情は”死にたい”のではなく、”生きたい”なんです。

 

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-うん…
-僕は…戦士になりたい…

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-僕はフェイおばさんみたいになってもいいの?

ジークにとってフェイは死の象徴だったのかもしれません。ジークの”生きたい”という想いは、両親の「みんなのため」によって否定されていましたが、クサヴァーさんとの出会いでジークの想いは後押しを受けます。

 

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-これでよかったんだ…
-ずっと収容所から出られなくたって
-生きてさえいれば…

その関係はやがて、自分が生きるために両親を死地に追いやることも後押ししてしまいます。当然ものすごい罪悪感があったはずです。その罪悪感をごまかすために「みんなのため」の出番です。

 

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-…君は悪くない


みんなのために親を殺したのは、正しい。
みんなのために殺すことは正しい。
だってみんなのためだから。


本当はただ生きたかっただけ、その叶えられなかった想いや親を殺した罪悪感をごまかすように「みんなのため」に傾倒していったのでしょう。実はグリシャも全く同じで、根本はただ普通に生きたかっただけだし、妹を殺した罪悪感が元になっていると思います。それは逃げ、なのかもしれません。もちろん他者の生きる権利を踏みにじる思想は許容できるものではありませんが、自分のため、クサヴァーさんのため、みんなのためと逃げ続けなければならなかった心情は理解できるような気もします。人間って弱いですから。

 

このグリシャとジークの関係も負の連鎖と言えるように思います。しかも人間の本能に端を発するような連鎖です。

結局二人ともやってることは一緒です。”三つ子の魂百まで”なんて言いますけど、幼少期に親から受ける影響はものすごく大きいです。親にしてみれば我が子は自分の分身のように感じますから、自分の経験を活かしてもっと上手に生きていけるように生き方を教えようとします。それは言わば夢を託すと捉えることもでき、同時に体に染みついた呪いとして縛り付けていくんでしょう。みんなの希望だという夢は、呪いとなってジークの個人を殺したのです(21巻83話)

 

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-俺達はあの父親の被害者…

そしてジークは弟も同様だろうと想像し、同じ考えを持つだろうと自らの「みんな」に含めていきます(28巻113話)

 

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-俺達にしか…
-わからないよな

でもエレンがおそらく異なる考えを持っていることは、満場一致のことと思います。自由を求めるエレンが安楽死をよしとするとは思えません。ではエレンはジークを騙しているのでしょうか。

 

 


一つ予想の材料を挙げるとすれば、こちらかなと思います(22巻87話)

 

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-ジーク自身と向き合ったことが一度でもあっただろうか

エレンはこの記憶を持っています。見たというより、経験として持っているのです。それはつまり、ジークにしたことを後悔する気持ちを持っているということです。言ってみれば、エレンはジークを我が子のように感じ、自分の行動によって悲しい思想を持つに至らせてしまったことを申し訳なく思っている感じではないかと思うのです。エレン自身も「みんなのため」を克服した経験がありますので、ジークの消えてしまいたい気持ちにも共感ができることでしょう。もしそうであれば、騙したり利用したりというのは考えにくいのではないかと思います(16巻66話、17巻70話)

 

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-自分なんかいらないなんて言って
-泣いてる人がいたら…
-そんなことないよ って
-伝えに行きたい

 

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-困ってる人がいたら
-どこにいたって見つけ出し
-助けに行くって言ってた

エレンは後で振り返って言葉にするほどヒストリアの考えに共鳴を示しています。であれば、ジークに寄り添い「そんなことないよ」って言ってあげたいのではないでしょうか。グリシャの代弁としてジークに謝罪し、心のわだかまりをほぐして”生きたい”って思わせてあげたいと考えているかもしれません。エレンの発するメッセージはやっぱり「戦え」そして「生きろ」だと思います。

 

・・無事会うことができれば、ですが。

 

 

ライナーから想像するに、さすがのジークでも下半身が切断されればしばらくは意識を失うんじゃないかと思います。もしもピクッがあの場に現れたとすれば、どちらかと言えば知性巨人に引き寄せられる可能性が高いはず。

さてどうなるんでしょう。

 

 

 

 

 

 


-雑感-


負の連鎖と書きましたが、グリシャジークだけでなくイェーガー翁のセリフも考慮していたりします(24巻98話)

 

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-私が…普段から厳しすぎたんだ

自分を責める言葉なので誇張がだいぶ入ってるんだろうと思ってましたが、今回のジークへの教育爺っぷりを見ているとあながち的外れではないのかもしれません。彼もジークに自分の考えを植え付けようとしてしまっているんですよね。グリシャにもそうだった可能性は充分に考えられます。つまりこれ、普通に起こり得るというか、どこにでもある連鎖なのかもしれません。

もちろん状況が特異なので単純に現実と比較はできませんが、彼らは良い親とは言い難いとはいえ、よくいる普通の親とそう変わらないようにも思います。違いがあるとすれば程度の差くらいでしょうか。

子供をいい学校に入れようとするのは、自分がそうして良かった、あるいはできなかった経験からだと思います。経験とは記憶です。私たちはその記憶を持ったまま子供の立場になって考えてしまいます。”あの時無理にでも勉強させてくれて良かった”、あるいは”させてくれていれば”と。だから勉強しなさいとなるわけですが、実際の子供は勉強なんてしたくない子が多いわけです。なんで勉強しないといけないのか知らないからです。つまり記憶の差がすれ違いを生み出しているだけなんです。

 

グリシャたちの思想は、ジークやそれに続く未来の子供たちを想っていることは間違いないでしょう。

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-でも…いつか
-私達のやってきたことをジークはわかってくれますよ

愛していない相手に期待もがっかりもしないでしょうから、愛していなかったというより愛し方が下手だったんだと思います。それもそのはずで彼らは我が子を育てた経験がありません。初めてです。最初から上手くやれなかったら毒親なのだとしたら、この世界は毒親だらけなのかもしれません。子供を個人として尊重するのは大事なことだと思うし、誰もがすぐにそうできれば素晴らしいと思いますが、口で言うのと実際やるのは違ったりするものです。そんな簡単な話であれば、世の親たちは思い悩んだりしてないよなぁと。

親離れって親を普通のダメな人間と認めることによって成就すると言われるのですが、ジークは親離れができないまま成長せざるを得なかったと考えられます。依然として親は特別な存在であり「親とはこうあるべきだ」という考えがあるから、そうでなかったグリシャを恨んでしまうわけです。でもそれはブーメランでもあって、やがて「子供はこうあるべきだ」という類似した考えを生み出してしまったりします。それがまたすれ違いを生み、連鎖に繋がっていくのかもしれません。


-雑感おわり-

 

 


本日もご覧いただき、ありがとうございました。


written: 13th Feb 2019
updated: none