進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

016 物語の考察 始まりの時

みなさんこんにちは。

 

 

!妄想注意!
最初にお断りしておかなくてはなりませんが、これは妄想です。

 

今回はいつもとは少し趣を変えて、事実からの考察ではなく、妄想に妄想を重ねてみたいと思います。というのも、ある一つの疑問があり、物語のラストあたりまで答えが出ないであろうと思われる事柄なのですが、そこに妄想が湧いてしまったためです。

 

それは物語の初期に何度か出てきた、年号らしきもの、に関することです。

 

年号と聞いてご興味が湧かなければ、ご覧いただかないほうが良いと思います。最初にお断りしました通り、あくまで私の妄想です。しかも長いです。


それでもお付き合いいただける方はどうぞ、お進みください。また、この妄想がまさかの的中を果たした場合に、重大なネタバレになる可能性にもご留意の程、お願いいたします。

 

 

この記事は最新話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。

 

 

 

 

 

[始まりの時]

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(3巻 特別編 リヴァイ兵士長)

 

 

 


私は以前、巨人大戦の真相とは と 壁の王 にて、レイス家と壁内人類はエルディア人とマーレ人の混血ではないかという妄想を垂れ流しました。

できればまず、そちらをお読みいただけると助かります。それを踏まえた妄想になっています。妄想に妄想を重ねるとはそういう意味です。

 

 


では・・

 

 


進撃の巨人では物語の初期に、数字が描かれたコマが4回、出現しています。

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845(1巻1話)
850(1巻2話)
844(2巻5話)
847(4巻15話)

 

これらは、物語の時系列と合致することから、おそらく年号であろうと推測されています。また、アニメを根拠として良いのであれば、アルミンの声で”845年”などという風にナレーションされているので、まさに年号であると思われます。

 

ただし、絶対に忘れてはならない事実として、このアルミンのナレーションを除けば、作品中の人物は誰一人として、年号を語ったり思ったりしたことはありません。また、新聞等には何らかの年号があるはずでしょうが、それが物語上で明記されたことはないのです。既に100話を超え、壁内のみならずマーレや世界が描かれている現在においても、全ては”何年前”や”何日前”といった形でしか、出てきていないのです。

 

それはつまり、この年号は誰が使っているものなのか分からない、ということです。

 

さらにこの年号を不可解なものにしているのが、その年数の中途半端さです。現在判明している大昔の重要な出来事は、ユミル・フリッツが巨人の力を手に入れたことくらいなのですが、それはおよそ1800年前ということは複数の人物が語っており、確からしいと言えます。それを現実の西暦風に言えば、およそ紀元前1000年前後ということになります。その後エルディア帝国が支配した歴史が1700年続き、巨人大戦があった後、約100年後が現在とされています。現在の約850年前に何か大きなことがあったらしいとは、今のところその断片すら見いだせません。しかし、何かがあったはずなのです。

 


では、そもそも年号とはいったい何なのか、ということから考えてみましょう。

 

現在私たちが使用している年号は、西暦という紀年法に基づいています。そして、西暦というのはイエス・キリストの誕生を基準にして作られたものであることは、誰もが知っていることです。それは同時に、イエス・キリストが産まれた当時、西暦1年頃の人々は、何か別の年号を使って暮らしていたことを意味しています。つまりこの年号というもの、基本的に後年になってから、ある基準になる年や日を決めたものだということが分かります。(西暦が作られたのは6世紀頃、実際に広く使われるようになったのは15世紀頃のことらしいです)

 

日本にも皇紀という、神武天皇が即位したとされる年を基準にした独自の紀年法があります(今年は皇紀2678年だそうです)。これは明治時代に制定されました。現在は世界の標準に合わせて西暦を使用していますが、イスラム圏など、西暦以外の紀年法を使っている国々は今でも存在しています。

 

なぜ西暦が世界標準になっているのかを簡単に言えば、キリスト教の国々が世界の覇権を握り、その流れが続いたまま現在の世界があるからと言えます。つまり、紀年法も歴史と同様に”勝者”によってその基準を決められる性質があるということです。日本が”勝者”になっていたら、皇紀が世界標準になっていた可能性すらあります。

 


進撃世界に話を戻します。

 

上記の紀年法の性質を考えれば、エルディア人の年号では無さそうに見えます。私がエルディア人なら、ユミル・フリッツの誕生、あるいは巨人の力を手に入れた年、またはエルディア帝国の建国を基準にすると思います。そうすると現在はおよそ1800年+αくらいになるはずです。

 

ではマーレなのかと言うと、これもちょっと違うように思えますね。マーレ国は現在の覇権国と言っても良いでしょうが、その覇権をとったのは巨人大戦ですから約100年前です。マーレ国自体はエルディア帝国より歴史が古いはずなので、建国で言えば1800年よりもっと前のはずです。つまり、現在は100年くらいになるか、1800年より大きい年号になる可能性が高いと思います。

 

ということは、ヒィズルとかあるいは別の国なのでしょうか。実のところ、この可能性は否定できません。はっきり年号としているのがアルミンのナレーションだけなので、これは未来のアルミンが回顧している、と捉えることができるからです。その場合、ヒィズルあるいは別の国が近い将来に覇権国となり、アルミンはそこからの視点で語っている、ということになりそうです。

 

普通に考えれば、今ある情報から推測できることはここまでです。

 

 


なのですが、ここから妄想の出番となります。

 

 

一部、以前書いたこととかぶりますが、ご容赦ください。

 

約850年前といえば、エルディア帝国が君臨していた時代です。現在よりも軍事技術が進んでいなかったでしょうから、巨人の力はより圧倒的だったことでしょう。そしてそこには、民族浄化真っただ中という歴史が付いてきます。もちろんこれは、現在の覇権国であるマーレが、以前の覇権国を貶めるため、そしてエルディア人へ贖罪意識を植え付けるために語られている”勝者”による歴史ですから、その真偽の程は定かではありません。クルーガーが言っていた通り、マーレ人がちゃんと現存しており、さらにはオグウェノ大使やオニャンコポンらの黒人や、東洋、中東の人々がいることからも、少なくとも誇張はされているでしょう。ただし、人々はほっといても混じり合っていくと考えていますので、ある程度の混血があったことは間違いないと思います。

 

そんな中、エルディア帝国の時代に、エルディア人がマーレ人より優遇されるのは必然です。仮にエルディア帝国が度を越した善政だったとしても、このことは覆らないと思います。そうしないとエルディア人の民衆が不満を持つからです。さらに、そこに混血の人々を加えて考えると、彼らの立場もエルディア人には及ばず、微妙な立ち位置になる可能性があります。

 

しかも、です。進撃の世界ではエルディア人と他人種の混血は、巨人化できてしまいます。

 

 

仮に無垢巨人が1体必要になったとして、エルディア人と混血エルディア人がそこにいたら、どちらが選ばれると思いますか?

 

 

 

 


ここで話がいったん飛びます。

 

 

 

 


進撃の巨人の物語は、このページから始まりました(1巻1話)

 

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-その日 人類は思い出した
-ヤツらに支配されていた恐怖を…
-鳥籠の中に囚われていた屈辱を……

 

これは大事なことなので、1話の終わりにもこの言葉が繰り返されています。

 

 

このナレーションは、現状ではこう解釈されています。

 

100年の安息の時代を経て、平和ボケしていた壁内の人類は、超大型の出現によって思い出しました。それは巨人に生殺与奪を支配されている現実と、巨人がいるため壁の外に出られない籠の中の鳥のようなものだということです。さらに、後から分かったことですが、王政によって壁の中で飼われていたという比喩にも受け取れます。

 


ここで、屁理屈マンの登場です。

 

どうもこのナレーションはダブルミーニングの疑いがあります。それはなぜかというと、「支配されていた」「囚われていた」と過去形になっているからです。次の文章をご覧ください。

 

-その日 人類は思い出した
-ヤツらに支配されている恐怖を…
-鳥籠の中に囚われている屈辱を……

 

日本語とは面白いもので、「ている」に変えたこちらの文章も、前者と全く同じ意味に受け取れます。ただし、こちらの場合は上記の解釈だけに限定されます。つまり、彼ら人類の現状を意味することになり、「思い出した」というのは「思い知った」という感じの意味になります。

 

この「ている」の例を一度見てから、元の文章を読むと、もう一つの意味に気付きませんでしょうか?

 

そうです。「ていた」と過去形になっていることで、「ている」と同様に継続している現状の他に、「以前、支配されていたことがある、囚われていたことがある」とも受け取れるのです。その場合、「思い出した」というのはまさに「思い出した」という意味になります。

 

実際のところ、壁内の人類がレイス王によって記憶を改竄されてから100年間、まともに巨人と戦ったり、襲われたことなんてありません。外に出た調査兵団が勝手に死んでいるだけのことです。彼らには思い出すことのできる恐怖の記憶なんてないはずなのです。な、なんだってー⁉

 


まあ、偽の記憶を植え付けられていた、とすればそこは否定できるんですけどもね。壁内人類がかつて「支配されていた」「囚われていた」民だと仮定するといろいろ繋がるんです。

 

まず、エレンは超大型を”ヤツ”呼ばわりしています。さらに巨人たちの総称として”ヤツら”と言っています。壁内の人類は超大型を初めて見たはずです。であるにも関わらず、超大型もひっくるめた”ヤツら”に支配されているという表現は、少し違和感があるのです。でも、かつて知性巨人を擁するエルディア帝国で支配されていた、と考えるとしっくりくるかもしれません。

 

王政の幹部はザックレーに対し、「お前のその血は奴隷用の血だ」と言い放ちました。ザックレーも含めて壁内の人類は一つの血統に属する集団ですから、彼ら全体が奴隷であった可能性があるということです。

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(16巻63話)

 

でも、壁内人類はエルディア人なのになぜエルディア帝国で奴隷になるのか、という疑問が湧いてきます。そこで前述の混血理論のお出ましとなるのです。

 


混血理論に従って、レイス王率いる壁内人類を”A”「マーレの血が入ったエルディア人」、レベリオなど壁外にいるエルディア人を”B”「A以外のエルディア人」と仮定してみます。

 

先に民族浄化のくだりで述べた通り、Aはエルディア帝国においてどちらかと言えば虐げられる存在になる可能性が高いです。すなわち知性巨人や無垢巨人を操るBのエルディア帝国によって、支配されていた民族になります。

 

そう考えると、壁の王の行動が見えてきます。Bは、かつてエルディア帝国でAを奴隷として扱っていた敵のようなものですので、滅ぼしてもかまいません。ただ、かつて自分たちと同じように支配されており、自分たちもその血を引いているマーレ人のために、生かして奴隷にします。なぜならマーレはエルディアの支配から解放されたとはいえ、なんの力も持っていません。世界に対抗する術がないので、ほっといたらまた別の国に蹂躙されるのが関の山でしょう。ヴィリー・タイバーが言っていた、「マーレへの贖罪として自由と力を与えた」ということと合致します。また、このBに対する対処は、グリシャの父が語っていたマーレの思想教育の一部とも一致します。

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(21巻86話)

-本来なら…我々はマーレによって根絶やしにされてもおかしくない立場だ
(中略)
-寛大なマーレは我々を殺さずに、生きる土地を与えて下さったのだ

 

 

壁の王が壁外のエルディア人を敵だと思っているなら、グリシャが来た時のフリーダの対応にも納得がいきます。

 


さらに、ジークはシガンシナ戦の際、こう独白していました。

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(20巻81話)

 

-哀れだ… 歴史の過ちを学んでいないとは…
-レイス王によって「世界の記憶」を奪われたのは悲劇だ
-だから何度も過ちを繰り返す
-しまいには壁の中の奴ら全員、年寄から子供まで特攻させるんだろうな…

 

これは全く手掛かりがありませんが、おそらく過去にそうした事案があったということは推測できます。そしてこれは、Bであるジークから、Aの人々を見て言っています。そのような戦闘員以外の特攻までするという、一揆のような決死の攻撃をするというのは、Aが支配され、搾取されていた人々であるということを想像させます。

 


こうして考えた時、エルディア帝国の時代と現在とを見比べると、AとBの立場は完全に逆転しています。おそらくクルーガーが言っていた、「同じ歴史、同じ過ちを繰り返す」とはまさにこのことではないでしょうか。だから憎しみの連鎖を断つために、愛が必要だと説いているわけです。

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(22巻89話)

 

 

そして、ジークが苛立っていたのも、ただAを倒すだけでは、結局その連鎖を繰り返していくだけだからではないでしょうか。だからこそ彼は「俺達で終わりにしたい」と願い、多少の犠牲を払ってでもその道を模索しているんだと思います。

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(19巻77話)

 

それはおそらくA側にも同様の想いがあり、ウーリは「滅ぼし合うしかなかった我々」が友になることを夢想していました。それが壁の王の罪の意識の一部でもあるかもしれません。でも、どうすることもできない無力感さえ感じさせました。そして、せめてもと愛や平和を人々に説いていたようにも見えます。

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(17巻69話)

 

現在のマーレ国では、エルディア人との間に子供を作ることを厳禁とし、マーレ人も厳罰に処せられます。それは新たな”連鎖”の種を作らないため、ではないでしょうか。

 

 

 

 

もしこの推論が正しいとしたら、現状の争いの原点はだいぶ過去にさかのぼることになります。そしてそれは、AとBが別の民族に分かれたスタート地点だと言えるかもしれません。AとBを隔てるものとは、血です。AもBも元はユミル・フリッツの血を受け継ぐ一つの民族だということは間違いありません。しかし、その系統樹の中で現在のAの一族に繋がる、エルディアとマーレ双方の血を受け継いだ最初の子供が産まれた時があるはずです。Aの”始祖”とも言えるその子が産まれた時、おそらくそれが約850年前なのではないでしょうか。


ちょうど民族浄化の真っただ中です。いや、民族浄化自体は疑わしいので、おそらくそれは、ほんとうに他愛もない、歴史には残らないような、あるエルディア人とマーレ人の男女の、民族を超えた愛情だったんじゃないかと思います。その方が、物語として美しいし、残酷ですから・・

 

 

 

 

 

 

 

-最後に-

 

一つ、考察サイトとしての体裁を保つために蛇足を申し上げるならば、あの年号はAの立場からのもの、ということになります。そしてそれを未来のアルミンが語っている可能性が高いわけです。イコールAの勝利、とは断定できませんが、何らかの決着がついた後に、そもそもの原点に想いを馳せているのかもしれません。ちなみに、エレンはBである可能性の方が高いと思います。

 

 


繰り返しになりますが、これは私の妄想です。

 

 

 

本日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

 

written: 14th Apr 2018
updated: none