進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

089 最新話からの考察 124話 二番煎じに追いがつお


みなさんこんにちは。

 

乗るしかない、この

 

 

!!閲覧注意!!
毎度のごとく何を知るかはあなたの自由です。知らないほうがいいことがあるかもしれませんし、ないかもしれません。

 

 

この記事は最新話である124話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。注記の無いものは全て別冊少年マガジン2020年1月号・124話からのものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


[二番煎じに追いがつお]

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初めにお断りしておきますが、今回はただの乗っかり記事ですよ。

 

 

 


とりあえず諸々からいきます。

 

 

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-海の外の連中が一番恐れていたことが起きちまった…
-俺達を悪魔だと決めつけて皆殺しにしようとしたばかりに…

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-つまり… これは…
-外の連中が招いた結果であって…
-俺達には… どうすることもできなかった…
-…そうだろ?

ジャンの客観的な状況分析。敵が自ら招いたというのも実際その通りではあるのですが、少し責任を押し付けるような口ぶりになっているのは、さすがのジャンでも冷静でいられないほど”重すぎる”ということなのでしょう。

自分たちが生きる為とはいえ、それが未曽有の大虐殺によって幾千万もの死体の上に成り立つとなれば確かにヘビーです。かと言ってそれを否定すれば、裏返って敵が生きるために自分たちが滅ぼされることになりかねません。それもまた受け入れがたし。

 

 

 

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そしてついにアニが始動。以前の記事では最後の記憶からエレン寄りの感情を持っているかもと書きましたが、現状では少なくとも父の危機を取り除くことを優先させる可能性が高いですね。ユミルの例も考えると記憶のシャワーに晒されてておおまかな状況をすでに把握してたりするのかどうかという点が少し気になります。だからどうというわけではないのですが。

 

 

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最近は現実を認めたくない風のセリフを発しながら死んだ目をしていたアルミン。アニちゃんの復活を予期して久しぶりに瞳を輝かせちゃいます。エレンじゃなくても「しっかりしてくれよ」って叱咤したくなるところですが、今回はさりげなくキラリ輝く一面も見せてくれました。

 

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状況に応じて瞬時に頭を切り替え、”自ら”ピクシス司令に引導を渡したのは見事です。仕方が無いとはいっても、誰もができれば”自分では”やりたくないことですから。そして同時に彼の信念である「大事なものを捨てる」をブレずに体現してみせました。

 

 

そのピクシス司令といえば、

 

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-例えば… ピクシス司令だ
-イヤ…母ちゃんだ

ジャンの言葉を契機に瞬間的に”命の選択”が問われ、あの「白夜」を彷彿とさせる感じになりました。そこでご存知の方も多いと思いますが、ツイッターの進撃界隈では「追い白夜」なる言葉がやたらと飛び交っているようです。

いわく、ちょうど瀕死の人がいるじゃないかと。現状のコニ母かファルコかという問題に加えて、兵長が加わるんじゃないかというのです。これがまた目鱗であり、考れば考えるほどあらゆる事柄が絡みついてきてあり得そうな感じなので、今回に関しては全力で乗っかることにしました。それにしてもどなたが言ったか知りませんが「追い白夜」とは絶妙な表現と言う他ありません。

 

かくして、未だ起こってもいないことの意味についてあれこれ考察するという、なにやら訳の分からない二番煎じな記事の始まりと相成ります。

 

 

 

 

 

さて、前提となる「白夜」に関しては人それぞれ解釈があると思いますが、私なりの解釈を 063 変わらないもの という記事などに書いてますのでよければご参照ください。かいつまんで申しあげれば、あれは個と全体のぶつかり合いが生々しく表面化された出来事ではないかと考えています。

全体、つまり壁中人類のためを考えればエルヴィンを生かすのが至極当然の選択でした。

個、本人が生きたいとか他の人が生かしたいとかいう私情を考慮した結果、アルミンが選択肢としてテーブルに載せられました。

このような個と全体の対比構造が主菜であり、その狭間で揺らぐ人間模様が付け合わせになっている、といった捉え方です。それを踏まえて今回のケースに目を向けてみれば、「白夜」とかぶる点とそうでない点が浮き彫りになってきます。

 

 

 

前述したくだり、ジャンがピクシスの名前を挙げたのは咄嗟の思いつきのような部分もあるかもしれませんが、今後の戦局といった全体を考えれば、やはりピクシスあたりの司令官クラスを生かすのが当然の判断だと思います。それに対してコニ母は完全にコニーの私情でしかありません。こうして全体と個の対立構造が生まれましたが、状況がそれ以上の議論は許さなかったためにピクシスの死によってひとまず流れました。

ピクシスが亡くなったことに関しては、いい人だったので悲しい・・みたいなのもあるのですが、このピクシスの死はそれだけに止まらない意味を帯びているような気がします。

現状はガビとアルミンたちの接触によって、すでにコニ母とファルコの”命の選択”の構図に移行しつつあります。そこにご都合主義よろしく兵長が加わるのかというと、正直うーんと思わないでもありません。なぜならコニ母とファルコだけでも”命の選択”は成立しているからです。

 


でも、ピクシスが亡くなったんです。

 


今回、明確にピクシスとナイルの死が描かれました。さらに途中で出ていたのがローグなのかは断定できませんが、ジャンのセリフがあるので巨人化した人々はみな掃討されたとみて良いはずです。

 

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-マーレ兵はほぼ全滅して
-無垢の巨人は…もういない
-ひとまずここは安全だ

 

思い返せば少し前には、ザックレーが殺される一件もありました(27巻110話)

 

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ここしばらくの間に、兵団上層部のお歴々がことごとく”明確に”排除されたことになります。兵政権の総統、総統代行をしていた駐屯兵団の実質トップ、憲兵団の師団長と副官などなど、それら全てが不在となりました。すると何が起こるかと言えば、調査兵団長であるハンジの立場が相対的に上がるはずです。そしてそのハンジと実質ツートップであり、分隊長時代からパートナーのように接してきたのが兵長です。兵長の立場もつられて上がると考えて良いかと思います。

さらにピクシスらが”明確に”死んだことで、もう誰も「もしかしたらピクシスやナイルが殺されずに生き残っているかもしれない」みたいな別の可能性を論じることができなくなりました。この状況で”命の選択”において兵長を選ばないようなことがもし起これば、かつてのフロックやハンジがそうであったように「私は兵長を生かすべきだと思ったよ」と誰もが言い出しかねないのは想像に難くありません。

 

つまるところ兵団幹部の死は、兵長の”命の重み”のようなものを増すことに一役買っているのです。

 

そんな意図があるからこそ、わざわざピクシスやナイルを”明確に”殺したんじゃないかという邪推ができるわけです。そもそも、当事者たちはともかくとして、兵団やパラディ島の民衆目線だとコニ母とファルコだけだと弱いんですよね、”命の重み”が。兵長という大きな全体が加わらないと、なんだか小さな個と個のぶつかり合いのように感じられてしまい、「白夜」と比べても劣化コピーになってしまいかねません。

 

 

そんなわけで私は兵長合流がありそうだと思い直したわけですが、ではそうなったと仮定して考えてみましょう。

 

役割としてはエルヴィンの替わりに兵長、エレンがコニーに、アルミンがコニ母にと、きちんと全体と個という形に収まりながら「白夜」と完全に重なってきます。すると現時点ではコニ母とファルコという「白夜」もどきに過ぎないものが、兵長とコニ母という「白夜」そのものに新たにファルコという一味を付け加える感じになります。

ファルコの立ち位置というのは、ガビがどうしても生かしたいという意味では個であり、エレンが生かしたかったアルミンと同様なのですが、食われる側である点で大きく異なります。思い返してみればかつての「白夜」ではこのポジションが意図的にはずされていたようで、ベルトルさんは魔法の蘇生薬のような扱いしかされていませんでした。もちろんベルトルさんを好きな人なんかはもやもやするところはあったでしょうが、当時は情状酌量の余地のない「敵」として描かれていたので、作中の人物もほとんどの読者も基本的には天秤にかけるまでもなかったんじゃないかと想像します。彼を食わせることに対する躊躇のような様子も作中には見当たりませんしね。じゃあ作者がすっかり忘れていたのかというとそんなはずもありません。最期の瞬間に”わざわざ”ベルトルさんを目覚めさせ、かつての仲間に救いを求めさせ、そして我に返らせる描写をしています。誰にも見向きもされなかったけど彼は蘇生薬でもなんでもなく、かつての仲間で、仕方なく「敵」として戦っていて、そしてなりよりただ生きていたい一人の人間でしかなかったことをさり気なく挿入しているんです。

そんな封印されたポジションが今回は解禁される、ということです。

 

 


3人の大まかな立ち位置が見えてきました。では天秤はどのように傾くのか、さらにたらればしていきます。

 


まず現在の状況及びこれからを考えれば兵長を生かすべき、というのが議論の前提になるかと思います。戦力として、ハンジの精神的な支柱として、人々の象徴として、兵長を失うことはパラディ島全体にとって大きな損失です。人類最強の兵長を選べばパラディ島民もニッコリ納得、作中でいう最善策なのはおよそ間違いないだろうと考えられます。

ハンジも「白夜」当時はこのような合理的判断でエルヴィンを生かすべきだと主張していました。事後においてなお、全体の序列に従い兵長の決定を尊重するが、自身の判断は異なっていたことを改めて表明していました。

 

そして今回、役割が回ります。

 

兵長がエルヴィンの立ち位置になることにつられるかのように、今度はハンジが以前の兵長の立ち位置、すなわち最終決定をする立場になる可能性が高そうです(14巻56話)

 

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-こういう役には多分 順番がある…
-役を降りても…
-誰かがすぐに代わりを演じ始める

このサネスの言葉は呪縛のようにハンジにのしかかっていますが、むしろこれを言われていたからこそ、よりはっきりと”立場が変わったことによる見え方の違い”を自覚できるのではないでしょうか。あの時兵長が何を思ってあの決断をしたのか、当時のハンジには見えなかったそれに思い当たるきっかけになり得るやもしれません。

 

 


続いてコニ母です。”命の重み”みたいな観点から言えば優先度は低いと言わざるを得ません。以前のアルミンと重なる立ち位置になるわけですが、アルミンと比べてもやはり見劣りしてしまうのは否めません。アルミンは才覚を現し始めてたとはいえ当時は一兵卒に過ぎませんでしたが、それでも兵士という戦力であり、若さという可能性も持っていました。コニ母はそのどちらにも該当しません。「人民の生命は何よりも大事なものだ」といった綺麗事をまくしたてれば正当化はできますが、実際に壁中人類の未来に与するかと言えば難しいでしょう。言ってしまえば完全にコニーのわがままでしかありません。

 

そんなわけで「白夜」の時のエレンの立場にあるのがコニーです。コニーも我を通すことに逡巡するかのような表情が描かれていますが、

 

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それでも強引にでも自分を貫く決断をした裏には、ざっと二つの要素が垣間見えます。


まずはかつての「白夜」が、最終的にエレンの個を優先したような形になったことです。

 

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-お前だってベルトルト食ったから!!
-蘇ったんだろうが⁉

アルミンへのツッコミにも表れていると思いますが、当時の傍観者的なコニーの立ち位置から見れば個人の私情が優先されたように見えておかしくないはずです。ならば今回だって個人の私情が優先されていいだろと考えても無理はないでしょう。

 

もう一つがエレンの行動でしょうか。ちょうどジャンの説明で衝撃を受けるかのような複雑な表情が描かれていますが、

 

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自分の大事な人を守るために他を犠牲にする、せざるを得ないという点でジャンの説明は筋が通っており、エレン批判の急先鋒だったコニーも見方を改めるところがあったかもしれません。さらに言えばエレンの行動が背中を押すかたちで、おれも大事な人を守るためなら自分が汚名をかぶっても・・と兵団の上司や子供の犠牲を呑み込む感じになったのでしょうか。コニーは今までおおむね傍観者的な立ち位置をとってきましたから、指を咥えて見ているうちにサシャを死なせてしまったというような自責の念を持っている可能性もあります。いずれにしても「二度とこんなのはごめんだ」みたいな感情が彼の中で渦巻いていたのはこのあたりからも察することができます(28巻118話)

 

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-もう…!!
-裏切られるのは飽きてんだぜ 俺は!!
-ライナーに…ベルトルト!!
-アニ!! エレン!!
-もう飽きたんだよクソが!!

 

 


そして今回の新たな味付けであるガビとファルコです。彼らはベルトルさん同様に「敵」ではあるのですが、あくまで子供である点が直接の敵そのものではないような感じを覚えさせます。104期の面々にしてみれば、すでに何度か会って見知っている点でもただの道具にはしづらい感覚があるかもしれません。

ただ忘れてはいけないのが、コニーにしてみればサシャが死んだ直接の原因はガビです。飛行船から今までこらえてきたとはいえ、内心忸怩たるものもありそうですから易々と彼女の要求に耳を傾けられないかもしれません。選択肢の一つとするのさえ相当の葛藤が必要になるような気がします。そういう意味では兵長抜きだとしてもかなりのドラマが期待はできるんですけどね。


それからファルコに関してはアルミンの言葉が効いてきます。

 

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-彼らと親しいその子を…僕達が殺すとなれば
-ライナーや車力の巨人と新たな争いを生むことになる

このセリフによって、ファルコの命には全体のための重みが加えられました。ファルコを無下に殺せばパラディ側にとっても将来の損失に繋がる恐れがあるわけです。ファルコは全体としての意味合いも帯びてきたことになります。


ところで少し余談になりますが、ファルコを生かしたいガビの要求を伝えるためには、ガビがラガコ村に行く必要があり、そのためには案内が必要です。現状だとアルミンあたりが連れていく感じになりそうでしょうか。退避も兼ねてブラウス家が一緒に行く、あるいは彼らが連れて行く可能性もありますね。

そこでアルミンはすでに上記の見解を表明してますので直接参加しなくても役割は果たしているのかもしれませんが、彼が参加するとなればそこにも役割のスライドが生まれる点が気になります。かつては天秤にかけられる側にあり、自分を生かした判断に反発までしたアルミンが、今度は”命の選択”をする側にまわることになるわけです。おそらく以前のハンジのようなポジションで。ぜひともそうなって欲しいところ。

 

今回のアルミンは第三者的な立場からファルコを選ぶ可能性を言いました。その場しのぎな感じも少しありますが、合理性はしっかりと保っています。もしアルミンのセリフを斟酌してファルコを天秤に乗せたとすると、みんなの未来のためには兵長とファルコのどちらかという全体対全体の構図も生じてきそうです。そこで今回のきらりと光る動きが意味を持ってくるかもしれません。

 

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-ここまで僕達を導いてくれたのは あなたです
-ゆっくりと… お休みください

 

アルミンは、大事なものを捨てられるのです。

 

そして兵長を切り捨てることを主張するのに必要な考え方はこれなんですよね。

 


さらにファルコの側にはその場にいればブラウス家も加わることが予想されます。もちろんファルコが家族の一員だというのもありますが、それ以上に子供に遺恨を背負わせてはいかんというのがサシャ父の考え方だからです(28巻111話)

 

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-だから過去の罪や憎しみを背負うのは
-我々大人の責任や

 

当然子供に罪をかぶせるかのように犠牲にすることを良しとはしないでしょう。であればニュアンスはだいぶ異なるのですがアルミンと同じ方向を向いているのです。そして多少目的が異なっていても手段が一致していれば人々は連携する・・かもしれません。

 

 


というわけで、大方の予想通りファルコが生きる結果になるのだと予想します。

 

 


いきなり結論に跳ぶなよって感じですが、どうも全ての矢印がファルコを指し示しているように見えるのです。以前の「白夜」の記事で、天秤にかけられた本人たちの意思に私は着目しました。今回もそれにならって言えば、まずファルコは正真正銘生きたいだろうと考えられます(29巻118話)

 

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-オレと結婚してずっと幸せでいるために
-お前に長生きしてほしかった

自分を差し置いていますが、ファルコが生きていなければ実現しない願望です。これは前回のエレンと同様に、ガビにとってのファルコを生かしたい理由にもなり得ます。

 


対してコニ母は想像することしかできませんが、果たして子供を犠牲にして自分が生きることを望んでいるのか疑問です。

これは単なる推測でしかありませんが、コニ母が家から動けない巨人になったのは「コニーの帰りを待つ」という生前の想いの現われではないかと以前の記事で書きました。もしそうであるなら、しばしば母の様子をコニーが見に行っている現状は、必ずしも悪いばかりではないのではとも思ったりします。それと後述しますが、コニー本人の説得はそんなに難しくはないはずです。

 


あとは兵長です。

 

兵長本人の意思は分かりません。でも一つ指標にできるとすれば、「白夜」の時に彼が示した判断基準が彼の意思だと言えるような気がします。

 

 

 


「白夜」は個と全体の揺らぎの中で最終的に個が選ばれた形だと書きましたが、なぜ兵長が個を選んだのかと言えばエレンの提議があったからです(21巻84話)

 

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-アルミンは戦うだけじゃない
-夢を見ている!!

 

 


夢。

 

 


それも子供たちの夢です。子供たちの夢というのは、未来です。そして同時に希望です。子供たちの夢がつぶされてしまうような世の中だったら、文字通り夢も希望も無いでしょう。作中で言えば、クルーガーやグリシャも未来の子供たちを想って蛮行を繰り返したのです。それはもしかしたら「度が過ぎた」のかもしれませんが、それでも本人たちはそこに希望を見出していたのだと思います。だとしてもやっぱり、大人の夢のために子供の夢を潰したら、それは間違いなんだと思います。だからこそグリシャはジークのことを後悔して変わりましたし、兵長は大人の夢ではなくアルミンの夢を選んだんだと思います。


兵長にとって若い兵士たち、そしてその一人であるアルミンが子供のようなものだったのは、いつも「ガキども」って言ってることにも表れていると思います。そして彼はなにかに付け子供たちの希望に沿う姿勢を見せています(28巻113話)

 

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現状を少し視野を拡げて見るならば、ファルコはユミルの民という民族にとっての子供です。そしてもし彼らが「ユミルの民の未来」を主眼に置いて考えるならば、ファルコの夢こそが希望であり、それ以外の選択肢は考えられないんじゃないかと思えてしまいます。

さらに付け加えるならば、ファルコは個と全体の双方を兼ね備えた選択肢だということも言えるかもしれません。おそらくかつての兵長は、エレンとアルミンの個の中にある全体の未来を見出していたんじゃないかと。

 

 

 

 

 

 


もひとつ付け加えるならば、エレンの行為は子供の夢を守ろうとする一方で、別の子供の夢を踏みにじる一面もあるということに・・なりますね。

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 


-あとがき-

 

ちなみにセルフツッコミというか、少し皮肉っぽい話になるのですが、実は直近で子供を切り捨てるような判断を兵長は下しています(28巻112話)

 

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-そしてヒストリアが覚悟した通りなら
-そいつを食ってもらう
-数か月後の出産を待ってな

状況に迫られたとはいえ、エレンに裏切られような想いからか過去の選択を悔やむかのような気持ちをにじませた上で、ヒストリアとその子供を犠牲にする決断をしているんですね。だから、とか因果みたいな話で語られるかもしれませんが、このことはまだ誰も知りません。ですのでハンジの判断は彼女に見えていたリヴァイ像によって行われるでしょうし、そもそもハンジはヒストリアの子孫を犠牲にすることに難色を示していました。そして”立場による見え方の違い”に彼女が気付けば、かつての兵長がアルミンを選んだ本当の理由にたどり着くんじゃないかと思います。


あと、いつの間にかコニーを蚊帳の外にしてしまいましたが、コニーにはこう諭してあげればいいんじゃないかと思います。

「わざわざ、主人と子供が死んだ苦しみを味合わせるために、13年の命を与えるのかい?」

 

知らない方がいいことが、あるのかもしれません。

そして”生”とは思っている以上に残酷な部分を持ち合わせているのかもしれません。

 

 

 

 

最後にひとつ言い訳的なものを。

 

記事中では敢えて”命の重み”という表現を多用したのですが、反発を覚える方もいらっしゃるかもしれません(私自身こう書いてる時点で、なんらかの抵抗があるのだとも思います。)

 

命に軽重なんて無いし、誰の命だって等しく尊いもの

 

これはまさにその通りなんです。なんですが、全体の中での概念として命の軽重はどうしても発生してしまうようです。そして個だけでは生きられない人間という生き物は、どこかでそのランキングに名を連ねてしまうのが現実です。一人の王様を百人の衛士が命を投げ出して守ります。100倍の重み。これが大きな全体の中での軽重です。

もっと小さな全体、あるいは個でも軽重は存在していて、私にとって私の家族の命はものすごく重みがあるんですけど、これを読んでるみなさんにとって私の家族の命はほぼ重みゼロ。これがまごうことなき現実であり、まさに「残酷な世界」の現われの一つなんでしょう。

 

で、なんでこんなことを書いてるかというと、白夜というか進撃はまさにそういうことを描いていると思うからです。そもそも命の軽重が存在しないなら白夜は成り立ちません。誰もが等しいならあれこれ悩んだって絶対に答えが出るはずもないし、それこそくじ引きかなんかで決めるのが一番フェアということになってしまいます。注射器を転がして針が向いた方とか。いや、くじのやり方ではなくてですね、結局それぞれがそれぞれの立ち位置や価値観でその”重み”を計っているわけで、だからこそ難しい問題ではあるけれど考える価値のある話だとも思うんですね。ニュースなんかを見ててもそう思わせられることが多々あるんですが、綺麗な言葉だけ発して思考停止してしまうのはもったいないし、危険だよなぁと。せっかくこうしてきっかけをもらっているのだから、正面から考えたいなぁと思ったんです、私は。

 

-あとがきおわり-

 

 

 

 

本日もご覧いただきありがとうございました。


written: 16th Dec 2019
updated: none