038 物語の考察 敵
みなさんこんにちは。
今回はエレンが何と戦おうとしているかについて考察してみました。のですが、あまりに長くなってしまったので2回に分けております。
そして、後半(次回)についてはあくまで考察とはいえ、万が一、それこそ文字通り0.01%の確率だったとしても考察が的中してしまった場合のネタバレ度が非常に高いです。もちろん、ただの考察にすぎませんので当たるかどうかなんて分かりませんが、念のため、連載を読む際の楽しみを減らしてしまう危険性を覚悟していただける方のみ先へお進みください。今回は前フリみたいなものなので特に危険なことはありませんが、次回を読まないなら読む必要もないかもしれません。
この記事は最新話までのネタバレ、登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう、切にお願い申し上げます。
※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。
[敵]
ハンジの質問は、読者にも同じ疑問を覚えさせるものでした(27巻107話)
-何と戦うの?
エレンは戦え戦えと自分を鼓舞しながら、何かと戦おうとしていることは間違いありません。その何かがマーレなのか、世界なのか、それとも実はジークだったり兵団だったりするのか、それは今のところ分からないように描かれています。そのためいくら考えたところで妄想以上のものにはなり得ませんが、作中に描かれていることから、その何かにできるだけ近づく試みをしてみたいと思います。
まずはエレンの考える”敵”について、その変遷を整理していきたいと思います。
①敵=全巨人(1巻2話)
-駆逐してやる
物語の冒頭、母が巨人に喰われたことにより巨人が敵となります。
②敵=戦士隊(10巻42話)
-このッ…裏切りもんがあぁああ
やがて自分の信じていた仲間に敵がいたことを知り、裏切られた想いとともに標的を戦士隊にスライドしていきます。
③敵=自分、父(16巻65話)
-オレはいらなかったんだ
しかし、自分のせいでみんなを死なせてしまったという想いから、自分自身と産みの親である父親を否定する感情に囚われます。いわば自分と父が敵となっています。
④敵=戦士隊(17巻70話)
-…殺さなきゃいけないんだ
仲間の支えや母からの承認を受けて、父への疑念は残しつつも自身への否定を解消、再び来るであろう戦士隊が敵となります。
⑤敵=マーレ(22巻90話)
-…でも違った
-海の向こうにいるのは敵だ
目下の敵を追い返し、父の記憶を得たことによって海の外(≒マーレ)が敵になります。また、1年前までの回想でも漠然とではありますが、敵はマーレ(もしあれば敵対してくる国々)といった感じのままです。
⑥敵=???(25巻100話)
-海の外も 壁の中も 同じなんだ
約1年の空白期間を挟んで今回の襲撃前、ライナーとファルコにこう語りました。
こうして俯瞰してみると、エレンが相手を敵とみなす基準は家族や仲間に危害を加えたものであるように見えます。ところが同時に、敵は度々変わっていることも見えてきます。それはあたかも血に飢えた餓狼が常に新しい敵を求めるかのようでもありますが・・
しかしながら、なぜ敵が変わったのかを見ていくと、そこにはある基準が見えてきます。
当初は無垢巨人を筆頭にした巨人全てが敵でした。しかし、壁を壊したのが戦士隊だと知ったことにより、無垢巨人への積極的な敵視は薄れていってます。それは後に「同胞」と呼ぶほどにまで変化していきます。
ところが③で父の行いにより現状があることを知ったエレンは、自己否定とともに自分が死ぬことを望みました。つまり、人類の敵は自分と父だ、と考えていたわけです(17巻67話)
-そう…あなたのお父さんは
-初代王から私達人類を救おうとした
しかし、父への否定が間違っている可能性を知ったエレンは、疑念は残していながらも改めて戦士隊に向かっていきました。その後、父の記憶の追体験によって、父の行動の意味を知ったエレンは、今度は海の外を敵としていきます。
わざとらしい書き方になってしまいましたが、エレンは様々な事実を”知った”ことによって敵を変えていってることが分かります。
もしも家族や仲間を殺されたことを恨んで敵とするのならば、いくら相手の事情を知ったところで殺した事実は変わりませんから、敵であることは変わらないはずです。父の記憶を見たエレンにとって、壁の王や壁内の人類は敵とみなすこともできなくはない存在と言うこともできます。でも彼は、その過去の罪をヒストリアや壁内の人々に被せることはしていません。仲間を殺した無垢巨人を同胞と呼び、ライナーにも同じだと共感を示しています。つまりエレンは過去の罪には囚われていないということです。
そう考えるとエレンがやっていることは、その時点で知りうる情報から当たりをつけて敵を探し、相手の事を知ってみたら敵じゃなかった、ということの繰り返しにも見えてきます。それはあたかも少しずつ真犯人に近づいていくかのようです。
さて、まわりくどく説明してまいりましたが、実はエレンが相手を敵とみなす基準はみなさんもご存知の通りです(18巻73話)
-広い世界の小さな籠でわけのわかんねぇ奴らから自由を奪われてる
-それがわかった時 許せないと思った
全てはこの感情に根差していると思います。つまり自分や大事な人々の自由を妨げているものが彼にとっての敵だということです。前述のことは全てこれに当てはまります。
壁の外へ出る自由が無かったのは無垢巨人がいたからです。
↓
戦士隊が壁を壊したことで、母や人々の生きる自由、シガンシナ区に住む自由が奪われました。そして戦士隊はまたやってくるはずです。
↓
でもその状態になっているのは、父が壁の王を殺し自分が始祖を持っているせいです。つまり、自分が人々の自由を奪っています。
↓
ところが父の行為は必ずしも間違ってない可能性があり、そんな中、再び壁を壊したり壁を塞ぐことを妨げるのが戦士隊です。
↓
父の記憶に触れてみたら、レベリオの民が仕方なく戦わされていることを知ります。その自由を奪っているのはマーレです。
↓
マーレに潜入してみたら・・
謎解きをするかのように、徐々に根源に近づいているのが分かります。
エレンが現在の原因を基準にしているのも改めて確認できますね。過去に囚われていないのは、襲撃前の会話でライナーを許すとか許さないという立ち位置にいないことからも伺えます。エレンが言っていたのは「俺も知らなかったしお前も最初は知らなかっただろうけど、俺たちは初めから敵じゃなかったんだよな」ってことだけです。ただ共感しているだけなんです。
それはつまり、壁の王も巨人大戦も、エレンにとっては過ぎ去ったお話でしかないということです。そして多分これが重要だと思います。
少し話が逸れますが、エレンは敵に相対していくにあたって、周囲を顧みていないことも付け加えておきたいと思います。特にそれが分かるのが自分と父が敵になった時です。あの時のエレンは、自分が死んだらミカサや仲間がどう思うかなど顧みずに、自分をレイス家に喰わせようとしていました。巨人との戦いでも、あらかじめ作戦があった時以外は基本的に誰かに相談などせずに動こうとしています。自分がこうと思ったら行動をしていることが多いのです。
何が言いたいかというと、エレンが周囲の人を顧みずに突き進んだり、相談もせずに何かをすることは今に始まったことではないということです。そして、物語を一貫して自由を妨げる”敵”を追い続けているようです。エレンの考え方が度々変わっているように見えるのも、その都度新しい事実を知って、本当の敵に迫っていってるからだと考えられます。
これらを踏まえて考えれば、現在のエレンはマーレ潜入を経て何かを知り、敵が変わっていると考えられると思います。そして今まさに、周囲を顧みたり相談をしたりせずに敵に突き進んでいるということもより明確になります。
では話を戻しまして、現在のエレンは誰を敵として戦おうとしているのか考えていきましょう。
1年前までの回想でもマーレへの警戒が描かれていますから、渡航前はマーレが敵であったのは間違いないでしょう。
そして渡航後・・
襲撃前にはライナーに「同じだ」と共感を示しました(25巻100話)
ピークポッコを隔離したことも考えれば、戦士隊すら敵ではないと考えて良さそうです。さらにこのシーンで重要なのは、「ムカつく奴」として描かれているのがマーレ軍のマーレ人であるコスロだということです。そのコスロも同じだと言ってるわけですから、マーレ軍であっても一般のマーレ人は敵ではなくなっているということです。
もっとも襲撃を見れば、エレンが攻撃対象にしたのは戦鎚(タイバー家)とマーレ軍幹部と海軍の一部だけですので、もともと一目瞭然とも言えるのかもしれません。104期のみなさんによって”巻き添え”にフォーカスされていますが、これに囚われるとエレンの目的を見失うと思います。先述したように、エレンは標的を倒すためなら周囲を顧みないのはいつものことです。市民の巻き添えを言うなら、エレンはストへス区の住民をたくさん殺していますしね。というか、それが調査兵団のやり方だったわけですけど、まあこれは別のお話ですね。
ところで、タイバーやマーレ軍幹部を叩くことだけが目的であるなら、ネット上でもよく言われているように、ヴィリーの演説による世界の結束の高まりを待つ必要はなかったはずです。
ここでフロックのセリフをご覧ください(25巻102話)
-エレンは示した
-戦えってな
さらに、襲撃が始まってから調査兵団が現場へ駆けつけたことは戦わないオプションがあったことを示唆しています。最初から戦う予定であったなら、兵団員が集まってから戦闘を始めれば良かったはずです。おそらく兵団員はレベリオの外に待機していて、戦わない場合はそのまま撤収する手筈だったのでしょう。その場合エレンは、王政編のエルヴィンのように首を差し出す覚悟だったのかもしれません。
ということは、エレンはあの演説で何かを見定めていたと考えるのが自然でしょう。
ではエレンは何をもって開戦判断を下したのでしょうか。
宣戦布告を待っていたとも言われています。私もずっとそう考えていました。ただ気になるのは、100話の冒頭、宣戦布告のずいぶん前に足の回復を始めていることです。この時点でもう正体を隠す必要もなくなった、つまり戦う決断を下していたと考えられます。
その直前にヴィリーが言っていたことはこんな感じでした(25巻99話)
-近年パラディ島内で反乱が起き フリッツ王の平和思想は淘汰されました
-「始祖の巨人」がある者によって奪われたのです
-世界に再び危機が迫っています
-フリッツ王の平和な世界に歯向かう者が現れたのです
-平和への反逆者…その名は
-エレン・イェーガー
今まで隠していた「事実」の公表に続けて、エレンを名指しで世界の危機だと位置付けています。まぁいずれにせよ正体が分かるような、宣戦布告に結びつくような文言ですので同じことなのかもしれませんが、前述したエレンの敵視の理由、自由を妨げるものということを踏まえて考えた時、ヴィリーの何を見定めようとしていたかという点に、ある一つの可能性が浮かび上がってきたのです。
中途でたいへん恐縮ですが、次回に続きます。
(以下、アニメ最新話ネタバレあり注意)
-余談-
アニメ最新話で、フリーダの始祖巨人体の髪の色が黒に改変されていました。アニメをどこまで公式設定として捉えるかは難しい問題なのですが、作者の指定があった可能性もありうる以上、形質の考察はいったん凍結したほうが良さそうですね。ユミルの耳の件もありましたし、ちょっと様子を見る必要がありそうです。
エレンが記憶を得るシーンでは、神経細胞ネットワークとDNAの螺旋構造が描かれていました。こちらはほぼ裏付けが取れたといって良さそうなので、さらに考察を進めていきたいところです。
大胆にカットされまくってる中にあって果敢にも残されたザックレーの拷問シーン、あれをカットしても伝聞の形でエルヴィンとピクシスのシーンは成り立つわけです。つまり、あのシーンがカットできないということは、直接繋がっている「奴隷の血」「人類の数」このどちらか(あるいは両方)がカットできないセリフだということだと思います。
まぁ、人類が一人になれば、ってのは色々と妄想が捗るセリフですよね。
-余談おわり-
本日もご覧いただき、ありがとうございました。
だいぶ落ち着いてきたようだし、今ここを読んでくださってるみなさまは以前から私のニッチなブログを見てくださってる奇特な方か、祭りが終わった後もここに残ってくださってる奇特な方だけだと思いますので、もう触れても大丈夫でしょう。
実は今回のツイッター騒動である面白い発見をすることができました。
自分のブログに関することなのに幸運にも第3者的な立ち位置から騒動を見守ることができてしまった私は、たくさんの人の感想をこっそり拝見していました。最初は少しガクブルしながら、もともと興味津々だったのと、承認欲求もあったと思います。
賛否どちらの方々も冷静なご意見がほとんどで、私の言葉足らずだった部分さえ補完してそれぞれの解釈をしていただけてたのが印象的でした。今思えば、あの性格傾向は特殊なことじゃなくて現実にもありふれているようなものですよ、ってことを書いてなかったのが良くなかったと思っています。私自身、あのアルミンの性格傾向に似ている部分がかなりあると思っていて重要視してなかったのですが、どうもその普通のことであることを汲んでいただけたかどうかが、冷静なご意見とそうでないご意見を分けてしまったのかなという反省点はありました。
さておき、実は最も興味深かったのは賛否の両極端なご意見に至る心理背景だったんです。自分で026を読み返してみても、多少強引な持っていき方をしている感は否めませんが、ディスったり他を持ち上げてる感じはそこまで受けませんでした。ダークサイドとか108話のあたりは、ディスってると言われても仕方がないと思わなくもないですが、アクセス数などを見ても集中してるのは026だけなので、これがまさに視点の違いによる物事の見え方の違いなんだろうな、なんて思っていたわけです。
俗にいう感情移入という言葉がありますが、その意味するところは他人や物などに自分の感情を投影して、あたかもその他人や物の気持ちを感じるようになることです。
少し似た感じで心理学用語に共感というのがあり、こちらは他人の感情を汲み取って同様の感情を抱くこと、といった感じです。
違いは何かというと、共感の場合はまず相手の感情があって、自分という全く別人の感情があって、その2つが完全に一緒になることはあり得ないという前提だけれども、その中で相手の感情をできるだけ汲み取って同じような感情を覚えることなので、対象は必ず人なんです。物には感情が無いから共感できないわけです。
感情移入の場合は、人だけでなく物でもOKなんです。例えば自分の大事なカバンとか財布を地面に落としてしまって、「ごめんね、痛かったよね」なんて思うのは感情移入なわけです。雑に言うと、そこには相手の感情が必ずしも介在していないんです。自己の投影ですので、あくまで自分が対象になりきってその感情を想像、あるいは創造している感じです。
ああ、だからアルミンに共感ではなく感情移入している方々は反発せざるを得なかったんだな、なんて分かったつもりになっていたところで気付きました。面白いことに、アルミンに自己のイメージを投影しているはずのその方々の言動は、まさに私が026で書いたアルミンの傾向と似ていたんです。
そこから次のことが発見できました。いや、その方々に教えていただいたと言ってもいいと思います。
作中でも、アルミンは感情移入してて、エレンは共感してると思います・・・たぶん。
今までエレンとアルミンの”分かり合い”の違いを上手く言葉にできていなかったのですが、これじゃないかと思います。
蛇足ですけども、自分で026を読み返していて思ってしまったんですが、それが拡散される以前から最近のアルミンの言動を疑問視する声は大きかったはずです。私の考察は、以前の誰が見ても聡明なアルミンが現状なぜあんな風になってしまっているかという問題に、彼自身がやむにやまれぬ理由付けをしているものですから、そういう意味ではアルミンの弁護をしているような側面もあるなあとか。
そしてこれを読んで「そういう考えもできるのか」と取るか、「そんなの言い訳だ」と取るかも、また共感と感情移入の問題になってくるのかもしれませんね。ああ、人間の意識ってなんてややこしくてめんどくさくて面白いんでしょう。
written: 27th Aug 2018
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