073 最新話からの考察 116話 信念とは貫くものであるという風潮
みなさんこんにちは。
今回もとてもドラマチックな一話でしたね。まずはアルミンについてのちょっとしたお話です。
この記事は最新話である116話までのネタバレを含んでおります。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。
※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。注記の無いものは全て116話からのものです。
[信念とは貫くものであるという風潮]
今回はなんだか洋画を観ている気分になりました。引いた構図で奥行きのある描写が多かったせいか場面が立体的に入ってくる感じで、ぜひともアニメなどで見てみたい感じです。
そんな116話でしたが、またひとつ謎が生まれたと言わざるを得ないかもしれません。
アルミンが今後どっちへ向かうのかが、全く分からなくなった気がしています。もちろんそれを狙ってどちらとも取れる描写をしているんだと思いますが。
とはいえ短期的な動きはなんとなく予想は付きますよね。イェレナが、アルミンは”同じ方向を向く者”として捉えたと考えられることから、エレンあるいは島側が危うくなった際に、超大型の力を求めてアルミンを頼る可能性が高くなりました。マーレに攻められてる以上、当然アルミンもエレンのことは抜きにしてマーレと戦うことになりそうです。
で、そのアルミンなんですが・・
嘘泣き? 笑ってしまった? イェレナを騙している?
確かにそんな風に見えます。じゃあイェレナを騙してアルミンは何をしようとしているのでしょう。このあたりを考えていたら、エレンよりよほど分からなくなってしまいました。今月の段階では分かりようもありませんが、せっかくですのでアルミンについていろいろ考えてみたいと思います。
まず前提として、今までの考察で私はアルミンに関して以下のような見方をしています。
・子供の頃にエレンに導かれ、エレンのようになりたい願望があった
・「夢」のすれ違いから、エレンに裏切られたような感情を抱いている
・現在はオニャンコに導かれて、その思想に心酔(?)している
以前も書いているので端折りながらいきますが、かつてのアルミンにエレンの顔を黙って見つめることが度々あったのは、私が言うまでもなくどなたもご存知かと思います。きっと憧れなんかが含まれていたんだろうと思いますが、作中で最後にこれが見られるのは3年前の御前会議の時のようです(26巻106話)
そして106話を読み返していただくと分かりますが、「時間を稼ぐ」と「分かり合う」で意見の対立を見せた際、アルミンはほとんどエレンの方を見ずに話をしています。むしろエレンやミカサが度々アルミンの方を気にするように見ている感じです(26巻106話)
さらにその1年後、それを強調するかのような描写がありました(27巻108話)
汽車の操作をしているからかもしれませんが、なんとも意味深な構図です。そこで最近のアルミンはどうかと言うと・・(28巻111話)
急に口を挟んだオニャンコを注視するかのような描写があり、さらに(28巻111話)
わずかな合間合間にオニャンコとお話してます、ということが見てとれます。さらにさらに(26巻106話)
この時もアルミンの視線はオニャンコに向いているかもしれません。オニャンコと目が合っている(目くばせをしている?)かのようにも見えます。
アルミンがエレンを見なくなってオニャンコを見るようになった、つまり注視する対象が変わったと考えられるのは、3年前の御前会議からエレンとの会話までの間です。その頃にあった出来事がこれです(26巻106話)
普通に考えて導かれたと考えるのが自然だと思います。その意味するところは、エレンは以前のような憧れの対象ではなくなっている可能性が高い、ということです。もちろん大事な幼馴染であることは変わらないでしょうが。そしてアルミンの信奉する対象が変わったことがあるという事実でもあるかもしれません。
それらを踏まえて今回のシーンにまいります。
自由を求めるエレンが安楽死計画なんかに賛同するはずがない、という真意に気付いて嬉し泣きをしてしまった、あるいはそれに気付かずに夢物語を語っているイェレナがおかしくて噴き出してしまい、それらを誤魔化しながらイェレナを欺くために感動して泣いたフリをしている、というのが現在の主流の見方かと思います。私もそんな感じかなと思いましたし、最もあり得そうな話だと思います。
でも、なんかすっきりしない部分があるんです。
もしもそのような感じなのであれば、エレンがジークやイェレナを利用しようとしている、とアルミンは考えていることになりますよね。それはつまり、エレンは操られていないと思うことと同義です。
そこで私がアルミンの立場ならば、こんなことを疑問に思います。
じゃあなんで操られていないエレンが、わざわざジークを迎えに行くようなことをしたんだろう?
なぜなら、最近のアルミンは昔に戻ったような描き方がされているので忘れられていそうですが、エレンのレベリオ襲撃に関しては誰よりも思うところがあるはずなんです(26巻105話)
こんな、今まで見せたことのない表情をするほどに。
最近ではエレンバッシングの先鋒はコニーやジャンでしたが、この二人はエレンが”笑う”まではそこまでの感情を持っていませんでした(26巻105話、25巻102話)
-肉…って言ってた
-この戦いの先に何があるのか
-それを見極めるためには…
-生き残らねぇと
普通にエレンと受け答えもすれば、作戦にそこまで否定的だったりもしていません。彼らの感情が一気に動いたのはサシャの死を笑ったことからで、どちらかと言うとサシャが死んだことへのやり場の無い怒りを転嫁している感じのようにも見えます。でも、アルミンはそうではありませんでした。サシャが死ぬ以前から、あんな表情をするほどにエレンの襲撃に対して強い気持ちがあったはずなんです。
じゃあアルミンになったつもりで、なぜエレンがジークを引き込んだのかを考えてみましょう。
例えば渡航前は信じ込んでいたとか、または敵か味方か確かめようとしていたとか、イェレナに脅されて従っているフリをする必要があったとか、いろいろ推論はできます。
ところがこれらはどれも簡単に解決できる問題で、誰かに「実は~なので内緒で自分に合わせてくれ」と話せばいいだけです。ザックレーでもピクシスでも、あるいは兵団が信用できなければ自分たちでもいい、最初は彼らを信じていたなら戻ってきてからでもいい。たったそれだけのことですし、普通そうすると思います。もしエレンがジークやイェレナを騙そうとしているのならば。
でも実際のエレンはだんまりを決め込み、イェーガー派の煽動に呼応して脱獄、兵団を制圧し自分たちを言葉と腕力で叩いた上に投獄までしています。敵を騙すなら味方からなんてレベルはとうに超えていると思います。アルミンだったらこの程度のことには即座に思い至るでしょう。その上で「やっぱりエレンは僕たちと同じ考えだったんだ、わーい」というのはちょっとお花畑が過ぎるように思えてしまいます。むしろ飛行船の時のように怒ってもいいくらいではないでしょうか。
だとすればちょっと別の可能性も検討してみた方が良いのではないかと思うわけです。
例えばこんなケースも考えられるかもしれません。
前述と同様イェレナを騙しているけど、エレンは関係ないケース(29巻115話、29巻116話)
前回オニャンコが食事に手を付けていないあたりや、今回イェレナの顔色を窺っている描写から、オニャンコは調査兵団寄りであることが分かります。アルミンが今回のオニャンコの言動をどう捉えたかは分かりませんが、表向きイェレナに従わざるを得ないのだろうと考えたかもしれません。であればアルミンも同様のポーズを取る、といった可能性は充分に考えられると思います。オニャンコに導かれている、つまり彼のようになりたいという感情とも一致します。
前述と似ていますが、エレンの真意どうこうで嬉し泣きではなく、自分たちが檻から出ることを狙って純粋にイェレナを騙しにかかっている感じですね。
そしてもう一つ、本当に感動したケースも考えられると思います。
以前その共通性などに少し触れましたが、アルミンはジークと同じように自分に自信が無いところがあると思います(3巻11話、13巻52話、21巻85話)
-結局僕は……最後まで
-臆病者以外の何かにはなれなかった…
-何で僕らがリヴァイ班に選ばれたんだろ…
-僕が…
-エルヴィン団長の…
-代わりをですか??
榴弾の時にエレンとミカサの承認から自信を取り戻して以降も、何度となく自信の無さを見せています。実際は勇敢さを発揮して幾度もみんなのピンチを救っていますが、それでも自信の無さを拭いきれていません。おそらく自己肯定感の低さから、常に承認を受け続けていないと自身の価値を見出せない感じではないかと思います。根本的にジークと似たところがあるんですね。
かつてアルミンが言っていた「何かを捨てられない人は~」というのは、まさに”みんなのため”の理論です。全体のためには個人の大事にしているものを捨ててでも”いいこと”をしないといけない、といった感じです。実際にピクシスは兵士という個人たちにデコイとして死んでもらうことで壁を塞ぐことに成功しましたし、エルヴィンも部下に情報を与えず犠牲にすることで女型を捕縛することができました。個を犠牲にすることで全体の利を取る考え方です。
そしてアルミンは自らのその信念に従って、シガンシナ戦である大事なものを捨てようとしました(20巻82話)
-僕が 捨てられる 物なんて
-これしか ないんだ
何よりも大事であるはずの自身の命を犠牲にして、みんなを助けることを選んだわけです。しかも生還した後でさえ、自分より団長の命の方がみんなのためだという考えが変わることはありませんでした。アルミンにとっては死ぬことよりも、みんなのためにならないことの方が耐え難いのかもしれません。作中では別件でそのあたりの感情に触れています(10巻40話)
-本気で死にたくないって思ってない…
-いつも…どうやって死んだら褒めてもらえるのか
-ばっかり考えてただろ?
どちらが良いとかいう話ではありません。エレンが賞賛していた通り、アルミンの行動は勇敢な英雄的行為であったことは揺らぎません。あくまでこういう信念をアルミンが持っているということです。
自分の命を犠牲にしてでも、みんなを助ける
それは安楽死計画の理念と重なるものです。この3年間、「自分たち(島)が生きる為には戦わないと」とエレンが言うのに相対するかのように、アルミンは「みんな」が平和になる方法を考えていました(27巻108話)
-どうしてみんなが平和になる道を考えられないんだ…
安楽死計画は、そのみんなの平和を実現する理念です。ではなぜ、世界のためにエルディア人が犠牲にならなきゃいけないのか、エルディア人はみんなに含まれないのか、って思うかもしれません。
だって、何も捨てられない人には何も変えることはできないからです。
ジークは「王家の血を引く者」としてみんなを救わなければいけないという呪いをかけられました。その呪いは本人の考え方としてしっかり根を下ろし、自分や祖父母を救うために両親も犠牲にならなければいけない、世界を救うためにエルディア人も滅びなければいけない、と他者にも同じ考え方を求めるようになっています。
自分の命を犠牲にしてみんなを助けようとしたアルミンが、エルディア人という自分”たち”の命を犠牲にして世界中の人”たち”を助けようと考える、普通にあり得るんじゃないでしょうか。
エルディア人が大事なものを捨てなければ、何かを変えることはできないのですから。
もしそうであるとするなら、もの悲しい展開がやってきそうです。
おそらく今度はイェレナ(あるいはジーク)に導かれたような感じになると思います。そして同時にエレンへの回帰とでも言いましょうか、エレンも同じ考えだと思うことになるでしょう。でも大方の予想通り、エレンはどうもジークやイェレナと目的が一致してない節が見られるわけです。
すると、アルミンはエレンが同じ考えだと思い込んでいて、エレンはそんなこと言ってないし実は異なる考えを持つことになります。やがて実際にエレンが安楽死計画に反する行動をした時どうなるかというと・・
アルミンはまたエレンに裏切られることになるんです。それも「夢」と全く同じパターンで。
-もう13日ですがおまけ-
謎は全て解けた、そう言わざるを得ません。
ド迫力の116話が話題になっている中、密かにとんでもない事実が判明していたようです(28巻未読の方は閲覧注意でお願いします)
これです(28巻末)
つまりエレンだけには見えてるってことですよね?
そんなバカな・・と思って読み返していたら、こんな伏線がありました(25巻末)
これ、マルコ気付かれてないですよね? というか誰も反応してないし、いなかったとしても変わりませんよね?
そこで思い出してしまったんです・・アニメで・・エレンだけは、マルコが調査兵団のマントをはおっているところを見てしまいましたよね。現実ではあり得ない光景のはずなのに・・
いやいや、そんなホラー映画みたいなことあるはずないと思っていたら、さらに繋がってしまいました(28巻112話)
人ひとり分、不自然に空いてますよね? ウィジャボードの場面と被ってるし、エレンもなんか声を聴こうとしてましたよね?
あっッッ⁉(2巻6話)
だからミカサの居場所が分かって・・
つまり、シックスセンスだということです。最初からエレン死んでるオチ。ああああああああ
・・なんてくだらないこと書き終わってから気付いたんですが、何より恐ろしいのは、たぶん「シックスセンス」って言われても分からない方が多いであろう現実なのでした。ああ、寒い・・私はこれからどこへ行けばいいの
でもまだ終わっていません。実はさっきの25巻末のシーンはある人の視点です。つまりその人にも見えているということになるはずです(25巻末)
ヒッ
-もう4月13日なんですが悪しからず おわり-
本日もご覧いただきありがとうございました。
written:13th Apr 2019
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