進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

064 巨人化学⑭ 生命-V 大地の悪魔

みなさんこんにちは。

 

この記事は 生命-I から続くお話であり、そちらの警告をご承諾いただいてない方の閲覧はお断りしております。まずはそちらからご覧くださいますようお願い申し上げます。

 

この記事は最新話である113話までのネタバレを含んでいるかもしれません。さらに登場人物や現象についての言及などなど、あなたの読みたくないものが含まれている可能性があります。また、単なる個人による考察であり、これを読む読まないはあなた自身に委ねられています。その点を踏まえて、自己責任にて悔いのないご選択をしていただけますよう切にお願い申し上げます。あなたの選択とその結果に対して、当方は一切の責を負うものではありません。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。 

 

 

 

 

 

 

[大地の悪魔]

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前回、作品全体に象徴的に描かれていることを根拠に、始祖ユミルの起源は鳥かもしれないと書きました(21巻86話)

 

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まぁ、どこからどう見ても鳥ではありません笑。どちらかと言えばヤギ人間ですね。いくら大昔の伝承とはいえ、鳥ならもう少し鳥っぽく描かれてもいいはずです。むろん私もこれが鳥だとゴリ押しするつもりは毛頭ありませんが、当てずっぽうで言っただけでもなかったりします。

作中の鳥は、自由の象徴としての意味合いも含めて描かれているのもあると思いますが、それでも気になるのがこちらの表現です(21巻86話)

 

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-「大地の悪魔」と契約し 力を手に入れる

イェーガー翁は始祖ユミルの契約した相手が大地の悪魔だと言います。前回までの記事を読んでいただいたみなさまには言うまでもなく、この大地の悪魔は人間を指している可能性が高いと考えられるわけですが、人間が大地の悪魔ってどういうことかと疑問が湧いてくるかもしれません。

 

私はこの「大地の~」という修飾語の裏には、視点が含まれていると思うんです。

例えばですが、私たちは車や電車などを使って旅行をすることを”陸の旅”とか”大地の旅”ってあまり言わないですよね。飛行機を使うと当たり前のように”空の旅”なんて言ったりします。あるいは”船旅”、”水上の~”といった感じもよく耳にします。私個人の言語感覚の可能性もありますが、これって基準となるもの、デフォルトの旅行が陸上だったからだと思うんです。そして私たちはデフォルトと決めたものには修飾語を省略する傾向があります。赤リンゴとは言わない、みたいな感じです。

つまり「大地の~」ってわざわざ修飾するのは、デフォルトが大地じゃない視点から見た言葉ではないかと思うんです。

 

『大地と大空はなぜ分かれたのだろう』
(歌詞引用:暁の鎮魂歌 by Linked Horizon 作詞・作曲 Revo 販売 ポニーキャニオン

そしてどうも、作中で大地と対照にされてるものは大空の可能性が高いのではと考えられるわけです。


大地と大空が分かれた理由を答えることは哲学然としていて困難ですが、そうせしめたモノの一つは知能だと思います。

前回も書きましたように、生物の形にはある程度の必然性が見受けられます。知能を高めるには脳の肥大化が必要となり、その重量を支えるための直立形態が必要となります。鳥は二本足で直立していますし、かなり高い知能を持っています。ただし飛ぶときは頭を前に突き出し首で支える形、すなわち四足歩行と同様の体勢をとります。直立したまま飛行する鳥が存在しないということは、自然の力学的に難しいとか無駄が多いということなんでしょう。ということは完全な直立形態をとるためには飛ぶことをあきらめ地に降りる他ありません。つまり飛ぶことと知能を高めることはトレードオフの関係にあると考えられます。進化の方向としてそのどちらに重きを置くか、それが大地と大空を分けたものだと言えるのではないでしょうか。知能を取るのか、大空を舞う自由を取るのか。

 


鳥に進化したものとは恐竜です。いや、祖先どころか鳥類という分類が揺らぎ始め、現存する鳥も恐竜そのものではないかという分類学上の説も有力になってきているようです(5巻20話)

 

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-そもそも本来ならあの巨体が2本足で立ち
-歩くなんてことはできないハズなんだ

現実でも同様のことが恐竜の謎とされてきました。大昔は地球の重力が小さかったなんてトンデモ説まで生まれたほどですが、そんな大幅な重力の変化は無かったことが分かっています。つまり恐竜たちは今とたいして変わらない重力下で、あの巨体を直立させていたということです。巨人が実際に存在する可能性は十二分にあったと言えるのかもしれません。

ジュラシックパークなんかでお馴染みですが、恐竜たちもかなりの知能を持っていたと考えられています。種類にもよりますが二足歩行していたこともそれを裏付けるかのようです。その子孫である鳥も二足歩行であり、カラスやインコなどは人間の幼児と遜色ない知能を持ち得ています。

 

かつてこの地球上はそんな恐竜たちによって支配されていました。やがて環境の変化によって恐竜は滅びていきますが、その中で大空を選択した者が生き永らえたことになります。そして大地は支配者がいなくなったことで小型の哺乳類によって支配されていきます。それでも大空は鳥の天下のままでしたが、大地で頂点に立ったニンゲンという哺乳類は、集団性と道具の力で空を脅かし始めます。大空の支配者たる鳥たちを大地から矢で撃ち落し、罠を仕掛けて捕らえ、喰らうために囲ったりしたのです。

これを鳥たちの目線から見れば、それこそ”大地の”悪魔と呼ぶにふさわしいのではないかと思ったりするのです。

 


ただし伝承の絵には羽根などが描かれてないことから想像するに、契約をしたのはおそらく大地を選択した方ではないかと思います。恐竜からさらに知能を高める方向に進化したもの。そして現実世界では哺乳類に負けて大地を明け渡したと考えられるものです。その理由はパラディ島という特殊な環境にあります(11巻46話)

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-「さる」って何なんだ

みなさんもご存知の通り、パラディ島には「さる」がいないようです。

猿がいないということは人間も発生しなかったと考えるのが自然です。おそらくパラディ島はガラパゴスのような独自の生態系を発展させ、あるいはニュージーランドのように鳥の楽園と呼べる場所だったかもしれないと想像されます。しかも人間がまともな航海術を生み出すまでの間、数千万年という歳月を進化に費やすことができたはずです。

 


さらに、巨人が単なる哺乳類ではないことを示しているかもしれないのが歯です(11巻43話)

 

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超大型、歯がいっぱいありますよね。私たちの祖先である原初の哺乳類は歯の総数が44本です。そしてそれ以降の哺乳類は進化(または退化というべきか)して44本以下なんです。ネズミが16本、人間や猿は32本、豚やイノシシなどが44本で最大です。超大型は哺乳類の範疇を超えていると言えるかもしれません。エレンの段になった歯並びも恐竜とか爬虫類を思わせる感じです。さらに顎なんかに見られる歯です(12巻49話)

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哺乳類は犬歯とか臼歯のように、歯に種類があって目的ごとに最適化された形をしています。同じ形の歯がずらっと並ぶのって、哺乳類以外の生物に見られる特徴です。もちろんほとんどの巨人は歯の種類を持っているようですから人間が混ざっているのは間違いなさそうです。でも、歯の種類が無かったり本数が多すぎる個体が存在するということは、哺乳類以外の何かが混じっていることの証明になるかもしれません。

 

そして混ざっているということで言えば、獣の巨人です。獣というのは一般的に哺乳類のことですから、おそらく獣の巨人は混ざっている中の哺乳類の特質を切り出したものだと思います。というのも、夜行性というのは哺乳類全般の特徴の一つだからです。人間の祖先にあたる小型の哺乳類は、天敵だった恐竜が活動していない夜に行動せざるを得なかったため、視覚や体質が夜型に進化していきました。翻ってデフォルトの無垢巨人は完全な昼行性を示します。さらにわざわざ”獣の”性質を切り出しているということはデフォルトは獣ではないもの、と言えるかもしれません。(関係の無い余談ですが、鳥は一般的に獣には含まれないので、巷でよく言われるファルコの説はあまりおすすめしません)

 


それはさておき・・

 

 

マーレなどで「大地の悪魔」と言えば巨人、すなわちユミルの民のことです(23巻93話)

 

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-大地の悪魔たる巨人は
-ただ空を見上げ続ける他なくなるでしょう

矛盾するように感じるかもしれませんが、こちらは現代の人間の視点で語っている点を忘れてはいけないでしょう。エルディア帝国下の1700年に渡る歴史で大地の支配者となった巨人たちは、いつの間にか自分たちが大地の悪魔と呼称されるべき存在になり替わったわけです。人間の立場からすれば「どっちが大地の悪魔だ」といった具合に言葉を拝借したのかもしれません。

ところで現在は人間が大空の支配権を獲得しつつあり、それによって以前は大空の支配者だった現在の大地の支配者が種の存続を脅かされているというのは面白い構図だと思います(21巻86話)

 

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冒頭にも書きましたが、伝承の絵では山羊のようなツノと蹄が描かれています。現実世界でも山羊は悪魔の象徴とされることが多く、まさに”人間の考える”悪魔になっているんです。旧約聖書では贖罪の象徴にもされており、その儀式では二匹の山羊のうち一匹を神への生贄として捧げ、もう一匹には人々の全ての罪をなすりつけて荒野に放ったと言い、これがスケープゴートという言葉の語源になっています。

一匹はパラディ島の神への生贄として、もう一匹は全ての罪をなすりつけられて人間界という荒野に放たれ、罪を償うべくレベリオで奉仕をしていくわけですね。

 


イェーガー翁が提示した本は、民族浄化の描き方などを見てもマーレで作られた可能性が高いように思います。であればそれは、人間の視点から書かれたものであるということになります(13巻54話)

 

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逆にクリスタの本は、ヒストリアとフリーダの会話から想像するにネガティブな印象は受けません。あくまで心優しいクリスタの物語といった感じですし、フリーダが残虐な歴史書を小さな妹に読み聞かせるというのも考えにくいです。つまりこちらはユミルの民(あるいはエルディア人)の視点で書かれているのではないでしょうか。

原作だとクリスタ本の始祖ユミルは全体像が見えませんが、アニメを参照するなら山羊のツノなんかはマーレ側の本だけに描かれている可能性があります。もしそうであるなら、そこには始祖ユミルに罪をなすりつけたい人間の思惑が含まれていると考えられるため、あの姿そのものの考察は意味が無いかもしれません。その人間側の思惑は見事に成功し、同じ民族だと知っていながら相手を悪魔の末裔と罵るガビやベルトルさんの一丁上がりと相成ったわけです。

 


とどのつまり、悪魔なんてのは自分に都合の悪い存在のことをそう呼んでいるに過ぎないと思います。神話や伝説で語られる悪魔というのは、およそ敵対勢力の神や英雄を貶めているのがほとんどです。勝てば官軍、神となり、負ければ悪魔と誹りを受ける。

”奴らは悪魔だったから神聖な我々が滅ぼした”

悪魔という言葉には体制や民族の正当化の意図が根底にあるように思います。


それと同時に、被征服者から見れば征服者も悪魔になるでしょう。

”我々を征服した奴らは悪魔だ、いつか滅ぼしてやる”

反撃の正当化にもなります。なるほど、いずれも敵のことを耳ざわり良く言い繕っているに過ぎないようです。悪魔とは誰がなんと言おうと邪悪なものだから一方的に虐殺してもいいのだと目くらましをしながら、悪魔を倒す自分たちは正義だ神聖だと優越感を煽っているわけです。神話を絡めた宗教が民衆の統制に利用されてきた理由が見えてくるような感じがします。特に二元論的なものほど民衆を騙すのに都合が良かったのでしょう。そういえば壁内編では宗教がかなり皮肉をもって描かれていましたね。

北欧神話の面白いところはそんな絶対的な悪がいなくて群像劇になっていることかもしれません。そして進撃もそれを踏襲しているようです。何が正しくて何が悪いのか、そもそもそんな枠組みで捉えようとしていることが最初から間違っているのかもしれませんね。

 

 

 


・・さて、鳥だ恐竜だとさんざん言っておいてアレですけど、それらはあくまで器であって本体は「道」です。

 

次回に続きます。

 

 

 

 


-蛇足-

 

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(13巻54話)
クリスタ本の始祖ユミル(?)はランタンのようなものを持っていることが確認できます。童話としてデフォルメされている可能性もありますが、地下に住んでいたことを示唆しているかもしれません(13巻51話)

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都の地下街がある空洞は、人の手で造られたとは考えにくい感じがします。レイス家の地下空洞にも似ていますが、光る石も使われてなさそうですし、天井にある鍾乳石がかなり育っていることから相当の年代を経たもののように思います。むしろこちらが元祖なのかもしれません。


なんとなくですが、ネアンデルタール人がモデルの一つになってそうな気がします。彼らは大柄な体躯を持ち、洞窟に住み、食人をしていた痕跡が発見されています。骨を割って、髄まですすっていたらしいです。もちろん実際のネアンデルタール人は現在の人間(ホモ・サピエンス)と同じ祖先から枝分かれした哺乳類ですから、そのものではないでしょうけど。

ネアンデルタール人の名誉のために?言っておきますと、食人行為はおそらく儀式だったのではないかと考えられています。死者を悼むような感じです。そもそも食人を野蛮とするのは現代の価値観によるもので、ホモ・サピエンスが食人をしていた痕跡もあちらこちらで見つかっていたりします。やたらとタブー視されている感じがありますけど、その割にはそこかしこの伝承なんかに残っているんですよね。死者の想いとか力を受け継ぐみたいな感じで。イエス・キリストの肉はパンで血は”ワイン”とか言ったりしてて、”力”を得られるとか(また聖書と繋がってしまいそう)。食人を忌避することに病気のリスクや種の保存といった本能的な部分が関わっているのは否定できませんが、生物全体を見ると”共食い”ってそこまで珍しいことではないようです。つまりそのタブーは人間の善悪の概念に付随して生まれたものであり、さらに言えば意識による産物であると考えられます。

 

生きとし生けるものは他の生物を食うことで命を繋いでいますから、必要があれば同種でも殺します。自分が生きるために殺すわけです。人間も自分のために殺しますが、時として必要であっても殺すことを躊躇したり、自分が殺される方を選んでしまったりします。

それは心、すなわち意識があるゆえなんですが、意識とは進化の果てに生まれたものだと考えると非常に興味深い行動ですね。”自分のため”という概念が指し示すものが変わってきているのかもしれません。だって”自分のため”に自分を殺してしまうとこまでいっちゃうわけですから。

 

-蛇足おわり-

 

 


本日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

written: 3rd Feb 2019
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