進撃の巨人を読み解く

進撃の巨人はSFを下敷きにしたヒューマンドラマだ・・と思う

033 巨人化学⑦ ネットワーク仮説

みなさんこんにちは。

 

 


!!閲覧注意!!
心理学の後は科学?のお時間です。今回は”道”そのものについて考えてみました。あくまで仮説にすぎませんが、作品設定の根幹に関わることなので、念のため閲覧注意とさせていただきました。まぁこのあたりの設定がどこまで作品内で明かされるかも謎なんですけどね。謎を謎のまま残しておいたほうが盛り上がるケースがあるという大人の事情もありますので・・進撃はちゃんと謎解きしてくれると信じています(チラッ)


ストーリーのネタバレはほとんどしてないと思いますが、ネタバレの可能性をご承諾いただける方のみご覧ください。

※画像は全て 「進撃の巨人(諌山創著 講談社刊)」 より引用させていただき、個別に巻・話を表示しております。 

 

 

 

 

 

[ネットワーク仮説]

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今回は理屈っぽいです。

 

 

 

 

 

 

 

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f:id:shingeki4946:20180726231226j:plain(Virgo Consortium)


この2枚の写真、似たようなものをネット上でご覧になった方も多いと思います。

1枚目が鳥の脳の神経細胞ネットワークのスライス写真で、2枚目は銀河団の形成をコンピュータでシミュレートし、現在の状態を再現した画像です。

銀河団とは銀河が集まったもので、銀河とは太陽のような恒星が無数に集まってできたものです。無人ボイジャー1号が太陽圏を脱出するのに40年ほどかかりましたが、次の恒星に接近するまで4万年ほどかかるそうです。それを考えると銀河の規模の大きさたるや想像を絶するものですね。(ちなみにボイジャー1号は時速60,000km程で飛んでいるそうです。地球の直径が約13,000kmですから、もの凄い速さです)

その遥かに雄大銀河団の織り成す模様が、私たちの肉眼では小さすぎて見えない神経細胞の描きだす模様と同様の形態をとるというのは、とても不思議で、興味をそそられる現象でもあります。私たちの宇宙は何か巨大な生物の細胞の一部だ、なんて昔から冗談のように語られている話が、科学の発達により実証される日が来るのかもしれませんね。まぁ内側からそれを観測することはできなさそうですけど。

 

 


そんな夢のある話はさておき・・

 

 


もうお気づきの方、また同様に予想してらっしゃる方も多いとは思いますが、私が現在のところ考えている「道」は、これらの写真のようなものです。

これらの写真は妄想をかきたててくれるばかりではありません。これらの意味するところは、全てのものがそういう性質をもっているらしいということです。大きな銀河も、小さな神経細胞も、私たち人間も、同様のモノで構成されているからですね。それは素粒子と呼ばれる”最も基本的な物質”です。かつては原子が全ての基本だとされていましたが、科学の発展により原子は陽子と電子、中性子に分けられ、さらにクォークレプトンというもう一段階小さいものが発見されています。

そういった素粒子が集まって原子を成し、原子が集まって分子となり、分子が集まって細胞を形作り、細胞が集まって私たち人間を含む生物を構成しています。星も同様だと考えれば、そもそもの根源となる物質が同じである以上、同様の性質を持っていてもおかしくないと考えられると思います。そのことは、全ての生物が本能として持つ遺伝子の存続という性質も、元をたどれば素粒子の性質から来ているものかもしれないと考えさせられます。

 

そんなこんなを考えた時、進撃の世界の「道」が、全てのユミルの民を繋ぐというネットワークの役割を持っており、またそこに電気信号が流れるという神経細胞との類似点が見られる以上、その構造が同様のものだという推測はあながち的外れではないだろうと思うのです。

 


では道をそのようなネットワーク構造として仮説を立てた場合に何が分かるのか、ということになると思います。

まず最初に定義として、それは人々の無意識を繋ぐネットワークであると考えられます。なぜなら、作中の人々は道で繋がっていることを自覚していないからです。つまり、人々の意識からは見えないところで繋がっています。さらに、無垢巨人は意識自体をおそらく持っていないこともそれを補強しています。集合無意識という疑似科学のような概念がありますが、おそらくそれに近いものではないかと想像します。

 


クルーガーは「記憶や意志が流れてくる」と言っていました。

029 もう一つの不死 では、私たちは記憶があるからこそ私たちとしてある、ということを書きましたが、意志なども結局は記憶の産物と言ってよいと思います。例をあげてみるなら、

エレンが巨人を駆逐したいのは、過去のある記憶が巨人を憎むべきものと感じさせるから
サシャが肉や芋を好きなのは、以前それを食べた時の記憶と美味しい、心地よい感覚の記憶が結びついているから

といった感じで、私たちの意志、嗜好、性格などは、全て記憶によって形作られていると言えます。つまり、私たちが自我と呼んでいるものは、私たちが持っている膨大な記憶の集まりとその結びつき、と言い換えてしまっても良いと思います。

ということは、「道」とは人々が持つ記憶を結び、人々の間で伝達する、”記憶のネットワーク”と呼べるものではないかと思います。そしてこれは人間の脳神経の働きとひじょーーーーーーーーーーによく似ています。


つまり、最初の写真のようなネットワーク構造が個々人の頭の中にあるわけですが、たくさんの人々のそれが「道」によって繋がっているとするならば、そこにはさらに大きなネットワーク構造ができあがることになります。そして、記憶の集まったものが個人であるとするならば、その個人の記憶がたくさん集まって大きなネットワークを成した時、それもまた個人であると言えるのではないでしょうか。

 


もしかしたら、これが”始祖ユミル”の現在の姿なのかもしれません。

 


ではその”始祖ユミル”とはどんな人になるのかと言うと、彼女(と言っていいのかわかりませんが)の性格はたくさんのユミルの民の記憶に基づいてできていることになります。より多くの人が悲しい記憶、辛い記憶を持っていれば彼女の感情もネガティブになり、ネガティブな行動を、楽しい記憶や幸せな記憶が多ければポジティブな方向へと向かうと考えるのが自然です。

そして、エレンが他者の記憶を体験していることから、道には双方向性があると考えて良さそうです。すると”始祖ユミル”の感情は同時に、個々人の無意識に、ネガ・ポジな感情として流れてくるのかもしれません。ユミルの民は知らぬ間にその全体無意識の感情に左右された行動を取ってしまい、正か負のスパイラルを描いていってしまうのかもしれませんね。

 

 


こうして考えてみると、愛や平和を説き、それを祈ることに意味が生まれてくるように思います。もしも全ユミルの民が心から平和を願い、他者を愛する感情で満たされていたら、誰もが平和を実現するような行動を取るのかもしれません。

 

 

この仮説が正しいとしたら、「全ては始祖ユミルの頭の中のお話でした」というオチにもできなくはないのですが、まぁそれはしないでしょうね。あくまで全体無意識としての人格とでも言いますか、民族全体で共有している自我・感情のようなものだろうと考えています。

 

 

 

 

 

 


今のところ「道」はユミルの民に限定されたものとして描かれていますが、もし同様に人類全体を対象とするネットワークがあったと仮定してみると、それは全人類の無意識の記憶を統合し、全人類に見えざる影響を及ぼしてくるものとなります。

 

 


人々はそれを、”神”と呼ぶかもしれないなあと思うのでした。

 

 


おわり。

 

この仮説は 巨人化学⑧ に続いていきます。

 

 

 

 

 

 

 


最期にもう一つだけ、仮説というか妄想を投げておこうと思います。

 

 


おおよその物語において、ナレーションとは俯瞰的な立場からのものです。

そして、それは時に”神の視点”と称されますね。

 

 

 

 

 


本日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

written: 26th Jul 2018
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